直に観る心

稀山 美波

そういう類の『好き』

 僕には、自負がある。


「へえ、なんだか難しい仕事してるんだ」


 直観力がある――とりわけ人物の性質を見抜くということに関して、特に優れているという自負が。


「頭、いいんだ」


 ひとつ断っておくと、『直感』ではなく、『直観』だ。

 どちらも、ひらめきのようなものであったり天啓のようなものを指す言葉ではあるが、その本質はまるで違う。


 『直感』とは読んで字のごとく、『直に感じる』ことだ。俗に言う、第六感だとか勘といったものに相違ない。とどのつまり、論理や推察を介さない、感覚的なものである。


 対して『直観』は、『直に観る』と書く。つまり、これまで見聞きしてきた経験や体験を基にして、論理的に推察された結果のことだ。『直感』と『直感』、どちらも同じ音をしているが、そこには論理的であるかないかという大きな違いが存在する。


「あたしには、わからない世界だなあ」


 そして、僕の直観は告げていた。

 目の前でちびちびとワインを飲むこの女は、いわゆる地雷であると。


「頭がいいわけじゃあない。少しばかり他人より、要領がいいだけさ」

「よくわかんないけど、それを頭がいいって言うんじゃない?」


 その者の仕草、言動、喋り方、目の動き。そんなものを観察すれば、おおよその性質は見えてくる。恐らくこの女は、あまり学もなく、良い家庭環境で育ってきたわけでもなく、ひたすらに愛に飢えている。簡単に言ってしまえば、『重い女』だろう。


 もちろんそれは、僕の経験や体験に基づいた、『直観』だ。


「あたし、母子家庭で、母親もろくに働いてなかったから高校も出てなくて。すぐに夜の世界に入ったからさ、ほんと馬鹿なのよ」


 女はまるで答え合わせをするかのように、身の上を語っていく。


「学もなけりゃ、運もない。男を見る目もなくてね。付き合う男という男が、そりゃもうひどい男で。愛に飢えてるけど、愛を求めれば求めるほど傷ついて」


 やはり僕の直観は正しい。経験に基づいた推察は、おおよそ外れることはない。僕はそうやってこれまで、学業から仕事、友人関係にいたるまで、あらゆる物事を直観で見極めてきたのだ。


「そんな女なのよ。あんたも、なんとなく気づいてるんでしょ?」


 そんな僕の直観は、告げている。

 この女と一緒にいても、ろくなことにならないと。

 互いに互いを傷つけあうだけで、利を得ることなんて何一つないのだと。


「そうだね」

「……はっきり言われると、それはそれでむかつく」


 だというのに、何故だ。


「じゃあ、なんで毎週一緒にあたしたちはこうして一緒に酒を飲んでいるのかな」


 僕はもう、彼女から目が離せないでいる。


「独りで飲む酒はつまらないからだよ」

「あんたなら、一緒に飲んでいてもっと面白い人がいるでしょうに」

「そうだね」

「だからはっきり言われるとむかつくって」


 彼女と初めて出会ったのは、二か月ほど前のことだ。

 時折顔を見せる馴染みのバー、そこのカウンター席で独り、彼女はワイングラスを傾けていた。薄暗い店内でもわかるほどの、美人だった。ちょっと引っ掛けてやろうと、僕の方から声をかけたのだ。


「……相変わらず、変な奴」


 そして言葉を交わして数分、僕の直観はけたたましい警笛を鳴らしたのだった。関わり合いになるだけ無駄だ、見えている地雷を踏みに行くべきでない、と。そこで適当に会話を打ち切って、また独り酒に戻ることもできただろう。


「互いにね」


 だけど僕は、そうしなかった。

 正確に言えば、できなかった。


「……相変わらず、むかつく」


 この女と、一緒にいたい。

 直感が、そう告げたのだ。


 一緒にいたいというのは、その夜だけだとかこの場だけといったものではなく、もっと漠然とした意味でだ。ずっと彼女といたい、彼女の横にいるのが僕の運命なのだと、彼女と添い遂げるのが僕の幸福に違いないと、そう思ってしまった。『直観』に反した感情を、『直感』が告げたのだ。

 

「そらどうも」

「あんたのそういうスカした感じ、あたし嫌い」


 そうして、思考を感情が超越した結果、彼女と再び飲み交わす約束を取り付けた。それが毎週のように続き、いつの間にか週末は彼女とこのバーで酒を飲むのが決まりのようになっている。


 僕は、一体どうしてしまったのだろう。

 自らの直観に従って、これまで僕は生きてきた。自らの直観を信じてきたからこそ、今の僕がある。


 その直観に反する行動を、論理的に破綻した行動を、僕はとってしまっている。自らの中に初めて生じた、『直感』に従っている。


「……ねえ」


 そんな僕の心情を察してか、彼女はワイングラスをゆっくりと置きながら、えらく真剣な面持ちでこちらへと向き直る。


「あんた、あたしのこと、好きなの?」


 その口から紡がれたのは、僕の心を覗きこんでくるかような言葉だった。


 彼女が好きか否か、それすらも僕はわからないでいた。ただ僕は、『彼女と共にありたい』という自らの直感に逆らえずにいるだけなのだから。



「好きだよ」



 けれどもきっと、そういう感情を人は『好き』だと形容しているのだろう。だから僕もそれに倣ってみることとした。


 この言葉に、嘘偽りはない。僕はきっと、彼女のことが好きなのだ。直感がそう告げている。直感とは自らの感情から生じたものなのだから、どう転んでも間違えようがない。


「……それはどういう類の、『好き』?」


 そんな僕の感情に対する彼女の返答は、予想外のものであった。受け入れるか拒絶するかのどちらかだと思っていたのだが、彼女はその感情を更に掘り進めていく。


「と、いうと?」

「あたし馬鹿だからさ、よくわかんないけど。あんたがあたしを恋愛的な意味で好きになるなんて、ありえないと思うのよ」

「そうかな」

「『好き』にも、色々あるじゃない。だから、確認。あんたの言う『好き』は、どういう種類なのかなって」


 掘り進めた先に待つものがなんなのか、僕自身わからない。正直、知らないままでいいとすら思っている。あくまでも彼女に対する思いは、『直感』であるからだ。論理的でない感情を知ることに、意味を問いても仕方がない。


「一晩限りの『好き』とか、体の関係だけを求めての『好き』なら、納得できるよ。そういう『好き』は、これまでもたくさん経験してきたから。あんたとなら、別に寝てもいい。あたしもあんたのこと、『好き』なんだと思う。でもこの『好き』がどういう種類の『好き』なのか、あたし自身もわからない」


 しかし彼女は、知りたがっている。


「……恋愛的な意味での『好き』なら、悪いことは言わないからやめておいたほうがいい。あたし、あんたとは絶対に釣り合わないし、二人ともきっと辛い思いをする」


 僕の直感の、正体を。

 それと同時に、自身の感情の正体も。


「だから、教えて。あんたの言う『好き』が、なんなのか」


 彼女の目が、僕を捉えて離さない。その瞳の奥には、確かに炎が灯っている。彼女の言葉が、僕を茶化そうだとかするものでないことを、その煌めきが示していた。


「実のところを言うと、僕にもわからない」


 だから僕も、ありのまま、思うがまま、この感情について語りたいと思う。


「はあ?」

「直感なんだ」


 僕の中に生じた、直感について。


「……馬鹿にしてる?」

「真面目だよ。君と関わってもろくな目に遭わないだなんて、僕が一番わかってる。これでも僕は直観に、人を見る目には自信があるんだ」


 僕は頭ではなく、心で話していた。頭で考えても上手く言語化することが難しく、言葉を脳で咀嚼することなく、思いついた言葉を並べていく。


「でも、そんな直観を殺すほど、僕の直感は囁いたんだ。君といたい、君と一緒になりたいって」


 しかし彼女は、首を傾げたままだった。無理もない、『直観』と『直感』、言葉にしてしまえばその音は同じなのだ。「ちょっかんで君を好きになった、けどちょっかんは君といることを拒んでいる」だなんて聞かされても、そりゃ意味がわからないだろう。


「だから、僕の言う『好き』ってのはこう――」


 違う。もっとだ、もっと感情のままに話せ。直感で、思いついたまま、彼女とどうありたいのかを。そうしなければ、この感情の正体がわからない。



「幸せも不幸せも、二人で共有したい。僕たちが一緒になると辛い思いをするのなら、それを分かち合いたい。それがきっと、僕にとっての幸せなんだ」



 そこまで言語化して初めて、僕は自らの心を直に観た。



「ふたり肩を並べながら軒下に腰かけて、子供たちが庭で遊んでるのを眺めたい。一緒に爺さん婆さんになって、一緒に孫を可愛がりたい。どちらかの死を、どちらかが看取りたい」

「ちょ、ちょっとあんた――」

「僕の『好き』ってのは、そういう類の『好き』だよ」 



 そうか、そうだったのか。


 僕はただ、彼女とそういう関係になりたかっただけなのだ。共に歩み、共に同じ時間を過ごし、共に同じ景色を見る。


 経験に基づいた論理的推察によって生じる『直観』が、彼女を否定したのも無理はない。だって僕はまだ、不幸せを共有する幸せというものを、経験したことがないのだから。不幸せが幸せだということは、論理的に破綻しているのだから。


 しかし、未経験や論理的破綻を飛び越えて、僕の直感は教えてくれた。彼女と共にあれ、と。 


「なにそれ」


 真直ぐな感情をぶつけられた彼女は、腹を抱えながら笑っていた。その目尻には、涙が溜まっている。


「告白すっとばして、プロポーズ?」


 その温かな体液は、笑いによって生まれたものか、それとも感動によって生まれたものか、それはわからない。


「……そういうことになるのか」

「でも、しっくりきた」


 けれども、彼女は笑っている。それだけで十分だ。

 僕の思いはきっと彼女に伝わったはずで、彼女はそれに答えてくれるに違いない。もちろんそれは、経験に基づく『直観』から推察したものでなく――



「あたしの『好き』も、多分それ」



 あくまでも、『直感』だが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

直に観る心 稀山 美波 @mareyama0730

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ