レプリカ

殻部

第1話

 直観とは、無意識下でその場の情報をくみ取り、経験や知識に照らし合わせて即時になされる認識であるという。

 ならば、これは直観だ。

 あれは――人間じゃない。

 その時、私はある目的を済ませたあと街をぶらぶらと歩き、午後もわりと過ぎたのでどこかでご飯でも食べようかと考えながら、人がひしめき合う交差点を渡っていた。

 向こう側からやってくる有象無象をただの障害物と捉えていかにすり抜けるかとぼんやりと頭を巡らせていた時。ふとその「障害物」のひとつに目が行った。

 とりたてて特徴のない、ベージュのニットとグレーのパンツの中年女性である。白いショルダーバックに白いウォーキングシューズ。化粧は薄め。少し大柄であること以外は何の変哲もない。

 しかし、足でも悪いのか重そうに歩くその姿に、なぜだか私は本能がおぞけだつような感覚に襲われた。

 何の根拠もなく、私はすぐにわかってしまったのだ。

 あれは人間ではない、と。

 こんなふうになったのは初めてだ。でもわかる。

 あれにかかわっていはいけないことを。

 ましてや、あれに私が人間でないと気づいていることを覚られてはならいことを。

 困惑と恐怖と緊張を必死で抑え、私はなるべく自然に、視線を前方に向けながら斜めに進路をとった。こちらに向かってくるあれと距離をあけるためだ。

 通り過ぎてしまえばあとは遠ざかるだけ。しかしできるだけ離れて行き違いたかった。

 それなのに。

 なぜだかベージュニットのおばさんは、私が横にスライドするのに合わせるかのように、斜めに、私の方へと歩いてきた。

 すれ違う人間を避けているうちにたまたまそうなっただけかもしれない。気づかれる理由なんてないのだ。ただ、私があれに気づいたように、向こうも直観的に私に気づいていたなら……。

 私はなるべく冷静を装いつつ横にずれていき横断歩道の端にまで行き着いた。なのに、おばさんはいつのまにか進路上にいて、こちらに向かってくる。視線は奥の歩道にいっていて、こちらに意識はいっているようには見えない。

 やがてすれちがった。肩が触れることもなく、何事もないまま。

 露骨な安堵を見せることもできず、振り返ることもできないまま、私は歩き続け、交差点を渡り終えてもわき目も降らずにまっすぐ進んだ。とにかくここから離れるために。

 最寄りの駅は背後だが、多少歩いてでも別の駅で帰ろう。そしてしばらくはここに来るのはやめよう。そこまで考えていた。

 だが。

 進行方向すぐ手前にある信号の下、横断歩道を渡る人の群れの中に、あのおばさんの姿を見つけて悲鳴をあげそうになった。

 なんで?前に?

 すれ違った交差点で道の向こう側に渡り、私を追い抜いて回り込めば物理的には可能だ。でもそんなことをする理由なんてない。普通なら。

 混乱したまま私は目の前の路地に入って、気持ち早足で通りから離れた。しばらく行ってからさらに折れ、つまり最初とは逆の方へ向かう。そのまままっすぐ駅に行ってしまおう。

 なのに。

 大通り、つまり最初の交差点で渡った道と同じ通りに出た途端。向こう側の歩道を歩いているベージュのおばさんが視界に入った。

 こちらに気づいているようすも、何かを探しているといった素振りもなく、進行方向だけを見ている。それでも私は恐慌をきたし、駆けだした。

 そうやって、ひたすら逃げて。

 人気のない高架下にたどりついた。上は線路のようだ。知らない場所だが、どちらかに行けば駅がある。やっと帰れる。そう思った時。

 わきからひょいと人影が現れた。

 ベージュのニットを着たおばさんだった。

 おばさんは硬直する私の前まで、つかつかと無表情で歩み寄り。

「あんた」と低い声で言った。私は恐怖に震えているのを覚らせまいとするが、自然と息が上がってしまう。鼓動が激しくなってしまう。

 わかってしまう。それが次に何と言うか。やめろ。やめてくれ、それ以上は。

「――人間じゃないね」

 それははっきりと言った。

「は?」

 私は最大限呆れた声を出した。だがおばさんは意に介さず淡々と言う。

「とぼけなさんなよ。誤魔化せば誤魔化すほど立場が悪くなるよ。あんたもレプリカント――外星監察官だろ。

 終わったと思った。

 そうだ。私は星間文明の共同体から派遣された、この星の未開文明の監視を担う監察官の一体。原住生命に外観を模した人造生命体だ。このおばさんと同様に。

 そして。

「監察官は一地区に一体。担当のあたし以外の外星監察官がこの街にいるはずがない。つまりあんた……サボりだね」

「あう……」

 図星を指されて二の句が継げなかった。

 そう、私は任地をこっそり離れて、この地区にやってきたのだ。ここでしか買えない限定品を買うために……。

 それを見透かしているのか、おばさんは冷めた目をして

「あんた何期製だい」と聞いてきた。

「2922代02期…です」

「ずいぶん若いね。新人かい。最近の若いレプリカントは冗長性を優先するあまりユルいところがあるってのは本当なんだねえ」

 感心しているのか馬鹿にしているのか、口調からは読み取れない。

「ちなみにあなたは何期で……」

「ああ、あたしは0800代だ。何期かはいいだろ」

「さ、三ケタ代……!」

 私は大先輩と知って驚愕した。三ケタ代はレプリカントの黄金時代ともいわれる世代で、特に800代は星間文明戦争真っ只中に生まれて多様な任務を経験している。戦争で失われたロストテクノロジーが幾つか使われているとも聞く。我々にとっていわゆる伝説クラスの存在だ。

「おみそれしました!」

 私はこの星の流儀で深く頭話を下げた。

「やめな。目立つことをするんじゃないよ。長く生きてるだけさ」

 大先輩は迷惑そうに言った。

「ひ、ひとつ質問よろしいですか」

 勇気を振り絞って、私は気になっていたことを訊ねた。

「なんだよ」

「なんでわかったんですか。私がレプリカントだって」

 現場の監察官同士は情報を共有されていない。そして私たち2000代のレプリカントは原住生命への模倣に特化している。この星にカスタマイズされた私は、人間臭すぎるというほど高精度に人間に寄せられているのだ。その精度は遺伝子解析でさえすり抜ける。識別信号を出してない状態で、人間はおろか同じレプリカントに気づかれるはずがなかったのだ。

「わかんだろ」

 呆れたように言う歴戦のおばさんレプリカント。

「直観だよ」

 その答えに、私は何とも反応しようがなかった。その様子を見てどう思ったのか。

「ったく最近の若いレプリカントは――」

 そこから先輩の長い説教が始まった。

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