田ノ神

葛瀬 秋奈

「不思議なことなど何もない」

 うちの文芸部には部室がある。主に過去の部誌や紙を置いたり製本作業をする為に使う部屋だが、部員は自由に出入りすることができる。

 ほとんどが幽霊部員ではあるものの、僕や何人かのメンバーは放課後によくここへ来て過ごしている。そんなある日の出来事。


「なぁ小野くん、直感と直観の違いって何?」

「え、なんすかいきなり」


 本日この場にいる唯一の三年生、一条先輩からの唐突な質問。この人が唐突なのは今に始まったことではないが、僕の精神衛生的に悪いのでやめて頂きたい。


「先輩も文芸部の一員なら、わからない言葉は辞書でも引けばいいでしょう」

「調べたけどわからんから聞いてんの」

「えー……なんて書いてあったんですか?」

「えっとね、『直感とは、感覚的に本質や道理・愛を感じとる力』『直観とは、過去の経験に基づいた、即時的・論理的認識』……だって。ネット情報だけど」


 何だそれ。『愛』て。

 僕も思わず腕組みして考え込んでしまった。


「やっぱりわかんねーよな?」

「んんん……たぶん、ですけど。あくまで過去の経験や知識に基づきつつ瞬間的に言語化できないプロセスを経た分析によって導き出される答えが『直観』ということなのではないかと」

「ああ、前提知識の有無が重要なのかな」

「いわゆる『経験則』に近いような気がしますね。なんとなくですけど」

「お前さんの『なんとなく』も『直観』なんじゃないかい?」

「僕のはただの『推論』ですかね、たぶん」

「ふむふむ、知識が足りないのかな」


 一条先輩は部室の窓から外を見た。つられて僕もそちらを見る。空が青い。


「あー……もしかして『天啓』って『直感』の仲間なのかな」

「ひらめきを授かるという意味では同じかもしれませんが、そこに触れるのは危ないのでやめておきましょう」

「そうだな、よし」


 そうして一条先輩はもう一度、正面から僕を見据えて。


「山に登ろうか、今夜」


 と、いい笑顔で言った。

 

「すんません、唐突なのも大概にして下さい」

「そんなこと言わずにさあ、行こうぜ」

「前にもそんなこと言って遭難しかけたの忘れたんですか?」

「山っても今回は学校の裏山だからさ。頼むよ、今夜あたり何かがありそうな気がするんだ。なんとなくだけど」


 先輩の『なんとなく』は直感どころか直観ですらない勘という名のただの願望なのに、何故か嫌な方向で当たる可能性が高いから断りたいのだが。

 僕は思わず部屋の隅にいてずっと黙っていた、同学年の田神部長と後輩の谷口を見た。先程から田神は黙々と原稿をチェックしてるし、谷口は挿絵用のイラストを黙々と書いている。つまり真面目に部活動に取り組んでいる。


「田神部長、こんなこと言ってますけど」

「ネタになるなら何でもいいよ。原稿さえちゃんとやってくれればね」

「いつからうちはオカルト部になったんだ」

「さすがガミさん、話がわかる〜!」

「まぁ私は門限あるので行きませんけど」


 駄目だ。田神は上級生に甘い。

 しかもちゃっかり自分だけ難を逃れようとしている。そもそも足の悪い田神を夜の山に連れてくことなどできまいが。


「でも、前に遭難しかけたときも一条先輩はそんな事言ってて狐に化かされてましたよね」


 よし、ナイス援護だ谷口!


「狐じゃなくて狸じゃなかった?」

「いや、確かあの時は蜃気楼という結論だったような……どうでもいいか」


 騒動の原因はこの際どうでもいい。問題は事の発端が一条先輩の軽率な思いつきだったということだ。


「うん、どうでもいいな。それで待ちあわせの時間だけど」

「話を戻そうとするな」


 あんたはもう少し反省してくれよ。このトラブルメーカーが。


「小野くんは俺に厳しいなぁ」

「誰のせいだよ」

「そうだ。今日は新月ですよ、一条先輩」

「それがどうかしたの?」

「足下暗いし危ないじゃないですか」

「懐中電灯あれば平気でしょ」

「待って、新月? 新月って言ったの谷口くん」

「言いましたけど、どうしました田神先輩」

「えーと、ね」


 田神は指を顎に当てて考える仕草をした。どうも言葉を選んでいるらしい。


「これは私の『直観』なんだけど。今夜あたり『狐の嫁入り』があります。裏山には稲荷社がありますし、先輩の『なんとなく』はやっぱり当たることになる。でも、さすがに危ないから山登りは中止して下さい」

「マジかよ」

「直観? 直感じゃなくて?」

「月齢を忘れるとはこの田神、一生の不覚」

「いや、田神部長は何者なんだよ」

「因果関係が全然読めねーわ」

「控えめに言って怖いです」

「あなた方に説明しても理解できないでしょうけど、たぶんもうそろそろ来るでしょうから」


 何が、と言おうとして口を開けた瞬間、窓の向こうからサーっという音がした。思わず口を開けたままそちらを見る。

 青から赤になりかけの夕空に、雨が降っていた。天気雨、すなわち『狐の嫁入り』だ。


「もしやガミさんは巫女か何かなのか」

「どちらかというと孔明的なアレでは」

「まさか忍者だったりして……」


 昔読んだ古事記に出てきた『クエビコ』という田の神は、知恵の神でもあったという。

 顔の半分に手を当てて不敵に笑う田神部長は、本物の『田の神様』のようだった。

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