ドントスピークジャパニーズ
猿川西瓜
お題 直観
週末、駅前のカフェで僕は彼女を待っていた。
梅が散ったばかりの季節、僕は桜を待ちかねていた。
冷たい雨模様で、吐く息は白くならないまでも、足元は寒かった。
どこかへ行くための待ち合わせという訳でもない。僕たちは、駅ナカの本屋やカフェでだらだらと近況を話し合うことが週末のルーティンとなっていた。
約束の時間より30分早く着いた僕は、カウンターに向かい、いつもこの店で頼んでいる、フローズンカプチーノコンパンナを注文した。冬でも夏でもこれを注文している。値段は440円。一番長持ちするし、僕は甘いものが好きなのだ。フローズン状のコーヒーのうえにバニラクリームが乗っている。それをゆっくり時間をかけて食べながら本を読むことが好きだった。
会計をすませてから受け渡しの場所で待っていると、ろれつの回っていない英語が怒鳴り声で聞こえてきた。
ふと聞こえた方を見ると、黒のニットジャケットを着た外国の男性が、一人で座って過ごしている女性客に絡んでおり、女性店員が彼に席に着くようになだめていた。
女性店員が離れると、外国の方は独り言を話しながら受け渡しカウンター……つまり僕のほうにふらふらとやってきた。
彼はコーヒーカップを手に持ったまま歩いていた。黒のニットジャケットは、こぼれたコーヒーで少し汚れていた。
女性店員に向かって、おそらく英語で《何か俺が悪いことしたか? 店内を歩き回るのは悪いことなのか?》と何度も喋りかけていた。僕は彼のほうをできるだけ見ないようにスマホを取り出してTwitterをいじっていたが、隣に来たのでその画面を閉じて、彼を見た。
彼は《おまえ、俺をビデオに撮っただろう。警察を呼べ》と女性店員と僕を交互に見ながら絡んできた。何回も何回も言った。
肝心のフローズンカプチーノコンパンナは、なかなか出てこない。なぜなら、このカフェのスタッフは3人しかいないからだ。外国の方に対応するその女性店員はおそらくこのカフェのリーダーであり、彼女が抜けるとレジ対応に一人、作るのに一人だから倍時間がかかるのだ。
彼が座っていたであろう席に、500ミリリットルのアルコール缶が見えた。僕が荒れていた20代の頃によく飲んでいたハイボールだ。見覚えがある。喫茶店に缶を持ち込んで飲んでいるのだ。《こいつは俺をビデオに撮っていた》と言う外国人男性をなだめる女性店員を見ていると、僕はコンビニでのアルコール販売の禁止を国に訴えたくなるような気分だった。
出来上がったフローズンカプチーノコンパンナを受け取って、外国人男性と距離を置くために席につく。女性店員も、彼への応対をやめてレジに移った。
店員がカウンターに引っ込むと、彼はまたウロウロと店内を歩き始め、僕の背後の席に座る女性に絡み始めた。
女性は英語で対応していたが、しばらくして無言になった。彼はマスクはしていないし、それに酔っていることはあきらかだった。それよりも僕は日本人がこんなにみんな英語を使えることがびっくりだった。
僕の英語力では「ドントスピークジャパニーズ」「シットダウンプリーズ」「ゴーホームトゥゲザーウィズミー」という言葉以外、浮かばなかった。よし、英語で対応してやろうと考えて思い浮かんだのがこれらの言葉だった。若干テンパっていたからこんな英語になったのかもしれない。何もかもが間違っている英語しか頭になかった。外国の酔っぱらい相手にすらすらと女性たちはよく英語が出てくるな……と思いながら、僕は席から立ち上がった。
まず、彼に話しかける前に、「警察呼ばなくていいですか?」とカウンターのほうに向かって女性店員に話しかけた。
「はい……まず駅員さんを呼んでから、それから警察を呼ぼうと思います。そのまえにレジのお客さんをさばいてからにします。ほんとうに申し訳ありません」と悲壮な表情で言った。そうしている間にも、結構な近さで女性に絡んでいるので、とんとんと彼の肩を叩いた。
彼はあっさりと振り向いた。
僕は彼に開口一番「ドントスピークジャパニーズ」と言った。(のちに彼女にそれを告げると、いやそこはイングリッシュだろ。ドントも違うだろ。あなたのほうが酔っぱらいよりもひどいと言われた)
男はわりとポカンとした顔をしていて、それから「え、なんで?」といった表情を浮かべた。
「アイドントスピークジャパニーズ、カモン、プリーズ」
ドヤ顔で堂々と言って、僕は、彼がもともと座っていたハイボールの置かれた席に促したのだが、彼はなかなか座らない。
僕は割と英語が通じている風な自信満々で、「プリーズ、シットダウンチェア。ビコーズ、ディス、プレイス、ドントスピークゾーン」。
もちろん彼には何も伝わらず、ダメだこいつという顔をされた。わりと近距離で、《俺はこの店内で友達を捜している》風なことを言い始めた。
僕は自動ドアを開いて、外に一緒にでようという意志を伝えるため「ゴーホームトゥゲザー」と言うと、彼は自分のカップを指さして《このコーヒーを飲んでいないからでれない》と強い口調になった。
「シットダウンプリーズ。ディスイズカフェ、ビークワイエットネバー、アンドシットダウン、マストハリアップ」
《ノーノー俺は友達を捜している。カフェを飲んでいるのだ》
ここは日本なんだから、静かにしろ、という言葉を伝えようと思い、「ジャパンイズ……」と考えて、「カフェ?」と僕がいうと《コーヒー》と流ちょうな英語で言い直された。いや、英会話の授業するんじゃねえよ。「ジャパンイズカフェ」だよ。わかってくれよ。「日本じゃカフェでは静かにする=ジャパンイズカフェ」ってことを。
酔っぱらいは僕に耳を傾けていた。彼はもう自己主張というよりは、このマスクの日本人男性がいったい何を言っているのか理解しようと努力している風だった。僕は「ここはカフェなので、座って静かに飲んでください」と伝えたつもりだった。僕はちょっとだけ英語力のつたなさを謝った。
「ソーリー。アイムドントスピークジャパニーズ。カフェ、ビークワイエット、シットダウン」
再び同じ言葉を繰り返す。
外国の方のコーヒーカップがこぼれ懸けていた。
「オー、ドリンクフォールダウン」
彼はカップを傾けたまま《俺は友達を捜しているんだ!》と訴える。
僕の直観では、この人はやっかいな酔っぱらいで、けしからん外国人で、というのが最初あったかもしれないが、彼のその目をだんだん見ているうちに、考えが変わってきた。
それに、わりと小綺麗な服装をしているので、彼は英会話学校とかで働く人で、コロナ禍でクビになったか、恋人の女性にフラれたか、慣れない日本で孤独なのか、寂しいのだろうと思った。それに、乱暴な言葉を彼は使っていない。酔っぱらっているが、ジャップだのなんだのは言っていない。酔っぱらっているのにも関わらずそこまで暴力的な乱暴さもない。むしろ「自棄気味」と言ってよかった。
コロナ禍での孤独な外国の男性。だったら、いますぐにでも一緒に外に出て、もう少し話したいと思った。
「ゴーアウトプリーズ。ゲットアウト。カモンウィズミー」
《俺はカフェのカップを持っている。カップを持ったまま外にでることはできない》
「オーケー。バット、ゲットアウト。プリーズ、ウィズミー」
もう10回目くらいのやりとりだ。結構な時間が経った気がする。
いつのまにか店員が駅員を呼んできていた。
「ほんとうにすみません」と女性店員が言った。
その外国人男性は3人ほどの恰幅のいい割と年のいった駅員に囲まれ、それからその駅員の一人が警察を呼んだ。警察がきて、店員が事情を説明し、結局彼は連れて行かれた。
……といった経過を彼女に報告した。
彼女と事情を喋っていると、後ろのソファー席に座っていた老人男性二人組が「日本から追い出せばいいのに」「だからあんたは右翼なんだよ、馬鹿なことを言うな」と会話をしていた。
その後、彼を警察に引き渡した女性店員が事情を説明しにわざわざ席まで来てくれた。
この駅の近くで日本人の奥さんが働いているようで、その待ち合わせだったという。
その奥さんに連れられて無事に帰宅したようだった。店員にお礼を言われたので、僕も店員さんをねぎらった。
彼には奥さんがいるという。どうして昼からハイボールをあおっているのか、僕は色々考えたりしていたが、自分の頭の中の範囲でしか世界は見られないのだから、これ以上考えるのをやめた。それは真実の探求であって、事実ではない。
彼女からも「フラれて孤独な独身男性じゃなくて、パートナーがいるじゃない。何言ってるの」と僕の直観をたしなめられた。
「いや、やっぱり一番の失敗は、ドントスピークジャパニーズだとおもう。あそこで僕は終わっていた」
僕はフローズンカプチーノコンパンナをたいらげた。
彼女もカフェオレを飲み終わった。
すっかり体が冷えてしまい、僕はコートを羽織って大きなのびをした。
ドントスピークジャパニーズ 猿川西瓜 @cube3d
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
氷上のスダチ/猿川西瓜
★41 エッセイ・ノンフィクション 連載中 29話
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます