先輩の好きになる基準

さばりん

匂いから始まる恋愛術

 これは、サークルの飲み会での出来事。

 隣に座っていた松崎紗里まつざきさり先輩がいい感じに酔っ払って頬を紅潮させ、上目遣いで突拍子もないことを言ってきた。


「ねぇ……ゆう君っていい匂いするよね」

「えっ……?」


 僕、田代有たしろゆうは、サークルの先輩である松崎紗里まつざきさり先輩から唐突にそう言われて、思わず自分が身に付けているセーターの匂いを確かめてしまう。

 自宅で使っている柔軟剤の香りのことだと思ったのだ。

 すると、僕の行動を見た先輩がくすくすと笑いだす。


「違うってば。服の匂いじゃなくて、有君の匂いだよ」

「僕の匂いですか?」

「そうそう」


 コクリと頷いた紗里先輩は、そのまますり寄ってきて、顔をぴとりと僕の肩へと乗せた。

 そして、大きく息を吸うと、「はぁ~」っと満足そうに幸せな表情で吐息をきながら、僕の匂いを堪能し始めた。


「ちょ、先輩!? やめてくださいよ!」


 僕は慌てて紗里先輩から離れる。


「むぅー」


 すると、紗里先輩は頬をぷくりと膨らませて不満げな顔を見せる。


「酔ってるんですか?」

「別に、酔ってないし。本当のこと言っただけなのに」


 拗ねたように唇を尖らせる紗里先輩。

 小顔で可愛らしいことも相まって、僕もドキっと胸の鼓動が高鳴ってしまう。

 すると再び、先輩が僕の元へとすり寄ってくる。


「有君の匂いを嗅いでると安心するの。だからもう少しだけ、嗅いじゃダメかな?」


 紗里先輩は頬を赤らめながら、上目遣いにそんなことを言ってくる。


「いや……でも、もしかしたら汗臭いかもしれないですし」


 冬ということもあり、制汗シートも使っていなかったので、もしかしたら蒸れた汗の匂いが漂っているかもしれないと思ったのだ。


「そんなの気にしないよ。むしろ少し汗臭いほうが大歓迎」


 そう言って先輩は、今度は僕のセーターの袖を手で掴みながら、僕の胸元辺りに顔を近づけて、すぅっと息を吸い込む。

 そしてまた、口元を緩ませて幸せそうな笑みを浮かべる。


 こんなに可愛らしい先輩ににじり寄られた挙句、自分の体臭までかがれるとは……。

 驚きと緊張で身体が硬直してしまう。


「ねぇ、知ってる?」


 すると、紗里先輩がおもむろに話しかけてきた。


「なっ、なんですか?」

「好みの体臭って、遺伝子的に決まってるんだって」

「へ、へぇ……そうなんですね」

「有君の体臭を嗅いでいるとね、私の心が凄く落ち着くの。あぁ……有君の隣でずっとこうして癒されてたいなって。こんなに私好みの匂いの男の子、有君が初めてだよ……」

「は、はぁ……」


 反応に困っていると、先輩が目を細めて見つめてくる。


「むぅ。信じてないでしょ?」

「そ、そんなことないですよ! ちゃんと聞いてますし、信じてますよ」

「本当に?」

「はい、もちろん・・・・・・」


 やっぱり酔っぱらっているからなのか分からないが、今日の紗里先輩はどうもいつもと様子がおかしい。


「だからね、有君の匂いを初めて嗅いだ時、直観で決めたの。あぁ……有君と付き合いたいなって」

「えっ!?」


 いきなりの大胆発言に、僕は一瞬大きな声を上げてしまう。

 周りの視線がこちらに向けられ、冷たい視線が突き刺さる。

 けれど、周りの人達も僕と紗里先輩の馴れ合いはよく見る光景だからか、あまり二人のスキンシップを気に留めることもなく、すぐに近くの人達との雑談に戻ってしまう。

 一方で、先輩の瞳は熱を帯びており、甘えるように首を傾げてくる仕草がとても可愛らしい。


「ねぇ……私と付き合ってよ」


 紗里先輩の告白に、僕は思わず生唾を呑み込む。


「いやっ……先輩、いくら酔っぱらってるからって、勢いに任せて告白しちゃダメですよ……」


 僕の経験からして、酔っぱらった勢いで付き合い始めた男女は、酔いがさめた時に後悔して、後々上手くいかないと……。

 だから、僕は直観を信じて言った。


「告白なら、もっとちゃんとした時に僕の方からさせてもらってもいいですか?」と……。





 そんな出来事があった三日後。

 僕は紗里先輩を空き教室に呼び出した。


 電気もついていない薄暗い机の上に腰掛けて、足をプラプラとさせながら、僕は先輩が来るのを待っていた。

 すると、ガチャリと扉が開かれ、紗里先輩が入ってくる。

 ドアから入ってきた先輩は、苦い表情を浮かべながら手を上げた。


「やっ、やっほー有君。この間ぶり・・・・・・」


 気まずそうに手を上げる紗里先輩を見て、僕は直観した。

 やはりこの落ち着きのなさ。

 酔っぱらった勢いで告白してしまった事を後悔している顔に違いない。

 僕は机の上から下りて、先輩を正面に迎える。

 お互いに向かい合ったところで、先輩がちらりと僕の様子を窺う。


「それで……今日はどうしたのかな?」

「先輩に、この前のこと、ちゃんと確かめたいと思いまして……」

「そ、そっかぁ……」


 先輩は、気まずそうに視線を泳がせる。

 けれど、紗里先輩が後悔しているのだと分かったので、僕の心も少し楽になった。


「やっぱり、この前のことはなかった事にしましょうか」

「えっ……どうして!?」


 すると、先輩は驚いた声を上げ、信じられないと言った様子で僕を真っ直ぐ見据えてくる。

 そこで僕は、不思議な違和感に苛まれた。

 あれ……なんでだろう。

 どうして先輩はそんなに驚いているのだろうかと……。


「……やっぱり私が匂いが好きだからとか言ったから、気持ち悪かったの?」


 紗里先輩は、悲しそうな目で確認するように見つめてくる。

 そこで僕は、勘違いに気が付いた。

 彼女は酔った勢いだけでなく、本当に僕のことを好きでいてくれたんだと。


 僕は、今までの先輩との出来事を思い出す。

 初めて歓迎会で先輩に会った時、緊張していた僕に優しく話しかけてきてくれたこと。

 サークル活動で、なかなか馴染めない僕を見つけて、積極的に輪の中に入れようとしてくれたこと。

 夏合宿で、飲み会の部屋から抜け出して、二人で星空を見に行った出来事。

 そのすべてが、僕に対する好意から来ているのだと直観で分かった瞬間、僕の胸の鼓動が高鳴り、ぶわっと嫌な汗を額に掻いてしまう。


「あっ……えっと……そのぉ……」


 おどおどとする僕を見て紗里先輩はくすりと笑う。


「どうしたの有君。落ち着いて。まずは深呼吸して」


 僕は先輩に言われた通り、一つ大きく息を吸って深呼吸をする。

 そして、ごくりと生唾を呑み込んでから、口を開く。


「えっと、さっきの発言がなかった事にしてもらって。そのぉ……僕は先輩のことが憧れで素敵な女性だなって思ってます……」

「うん、それで?」

「それで……先輩がよければ、僕とお付き合いしてもらえませんか?」

「ぷっ……!」

「ちょ、なんで吹き出すんですか!」


 勇気を出した告白だったのに!


「だって、有君が不安そうに首を傾げながら疑問形で聞いてくるんだもん!」

「そりゃだって、付き合えるかどうかわからないし……」

「もう、馬鹿ね」


 そう言うと、紗里先輩は僕の元へと近づいてきて、そのまま腕を背中へと回してぎゅっと抱きしめてくる。


「言ったでしょ。最初に会った時から、あなたの匂いが大好きだって」

「に、匂いと好きは別でしょ」

「そんなことないわよ。私の科学的な直観が言っているんだから、本物よ」

「何ですかそれ」

「ふふっ……ちゅっ」

「!?!?!?」


 すると、紗里先輩は僕の首筋に唇を押し付けてきた。

 少し濡れた感触が首筋に伝う。

 そして案の定、すんすんと僕の匂いを嗅ぎだす紗里先輩。


「はぁ……やっぱり有君の匂いは最高ね。大好きよ」


 こうして僕は、無事に先輩とお付き合いをすることが出来たのであった。

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