流されてみたくなる
夏目シロ
直観的に・・・・・・
「いらっしゃいませ。」
コンビニに入った私は、その声にびくりとして、仏頂面を作る。
「いつもありがとうございます。」
青い制服を着てニコニコ笑う店員に向かって、
「どうも。」
と、軽く頭を下げて商品を探し始める。嫌いなわけではない。ただ、必要以上に仲良くしないように心がけているだけである。私は、自分の直観にあらがっている。この人に恋をしそうになっているからだ。今までの経験上、自分から動いて成功した恋愛はうまくいった試しがない。だから、あくまで『近所にあるからよく立ち寄るだけ。』『このコンビニの商品が気に入ってるだけ。』ということを装いながら、店員さんに対しては、つっけんどんな態度をとり続けている。
「このデザート好きなんですか?」
レジに小さなチーズケーキ持っていくと、店員さんが話しかけてきた。常連なので、こうした雑談をさりげなくしてくれることが多い。
「そうですね。」
私は、そういって頷くだけで、それ以上会話を広げてしまうことを避けた。話しかけられたことが嬉しくて仕方ないという感情は押し殺している。嬉しいということが浮かぶこと自体あまりよろしくないのだが。
「人気ですよね、このデザート。他のお客さんもよく買っていきますよ。僕は、チーズが苦手なので買わないんですけどね。」
商品のバーコードをスキャンして、袋に入れながら店員さんは私に話し続けた。
私は、黙って話を聞いているだけだ。店員さんは、そんな私の態度を気にする様子もなく、
「お待たせしました。ありがとうございました。」
そう言って、にっこり笑って商品を渡してくれた。なんて柔らかい笑顔だろう。
今日、職場であった嫌なことも自宅に戻ってから待っていることもあっという間に忘れさせてくれそうだ。仏頂面を作るのを忘れて、私も店員に笑いかけてしまった。
「こちらこそありがとうございます。」
私が言葉を返すと、店員さんはより一層素敵な笑顔を私に向けてくれた。そんな気がした。
自宅に帰ると、私は夕食を作り、1人で食べてテレビを観る。なんとなくつけたバラエティ番組に1人で笑っていると、ようやく旦那が帰宅した。
「おかえり。」
という私に返事もせずに、旦那は寝室に入っていった。部屋着に着替えてから、リビングに戻ると、テーブルに置いている夕食をいただきますも言わずに無言で食べた。
「残業お疲れさま。」
私は、努めて優しく旦那に言った。
「ああ。」
旦那は、家に帰ってきてようやく言葉を発した。忙しいのは確かかもしれない。システムエンジニアをしているが、小さな会社でシステムエンジニアの人数が少ないのでどうしても残業しがちになるそうだ。それでも、結婚して1年くらいは、遅く帰ってきても、夕食を作った私にねぎらいの言葉を掛けてくれていたのに。旦那の対応はコンビニの店員以下になっている。
「風呂湧いてる?」
「うん、そろそろ入れると思うよ。」
ちょうど湯が沸いた合図の音楽が流れてくると、旦那はさっさと夕食を済ませて、お風呂に入りにいってしまった。時間は夜の10時を回っていた。旦那はお風呂から出たらさっさと寝てしまうだろう。私は、テレビの電源を消した。リビングが無音になる。空しい・・・・・・。
旦那と結婚したのは、理知的な性格に惹かれてだった。プロポーズを受け入れたのは、絶対にこの人と幸せになれるという直観が働いたからだ。なのに今、こんなにも心がざわついている。私の直観は外れてしまったのだろうか。相手に好かれて告白されたほうが、受け身の恋愛のほうが、相手に合わせる恋愛のほうが、私の場合はうまくいくと思っていたのに。ここのところ旦那とはすれ違いばかりで寂しい。
その時、あの店員さんの顔が浮かんだ。いけないと思った。そちらに行っても絶対にうまくいかない。私は理性で抑え込もうとした。しかし、風呂から出た旦那が私に見向きもせずに寝室に入っていくのを見て、何かがぷつんと切れたような気がした。もうどうなってもいい。私は家を抜け出した。
冬の終わりが近づいているのはわかっているが、夜はまだ寒い。家を出て、私は自然と走り出していた。もう11時近い。あの店員さんがコンビニにいるかはわからないが、そのくらいの時間まで働いていることがあると聞いたことがある気がした。走ると10分くらいでコンビニについた。店に駆け込むと、
「いらっしゃいませ。」
と、初老の店員が声を掛けてきた。レジにも店内にもあの店員さんはいない。私は落胆して店を出た。すると、
「あれ、またきたんですか?」
あの店員さんの声がした。そちらを見ると、店員さんが店の前の喫煙スペースでタバコを吸っているところだった。
(タバコ吸うんだな・・・・・・。)
私は、タバコを吸う人は苦手だが、この際気にしなかった。この人なら気にならない。
「何か買い忘れたんですか?」
「いや、えっと・・・・・・。」
なんといえばいいのかわからずにいると、店員さんが店内消えた。そして、ホットレモネードのペットボトルを持って私のところに戻ってきた。
「寒いんでこれであったまってください。」
「あ、ありがとうございます。」
私は、両手でそれを包み込んだ。暖かくてほっとする。
「何か買いに来たわけじゃなさそうですね。」
店員さんが、いつもの柔和な顔ではなく、何かを射抜くような目で私を見てきた。私は一層どぎまぎしてしまって、店員さんから目をそらした。
「ちょっとお話していきましょうか。」
しかし、店員さんは、急に優しい声になって私に言ってくれた。
「はい。」
私は、どんな顔で返事をしただろう。ああ、きっと、いや、確信的にこの恋はうまくいかない。直観以上に、事実がそれを語っている。お互いの左手薬指には、結婚指輪が光っている。そしてこれは進んではいけない道だ。でもその理性にあらがって、私は甘美な道へと進んでいくのだと感じていた。
流されてみたくなる 夏目シロ @nariko3
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