第15話 蒼のうっかり
「憐れなり」
「ほんとに言ったー……」
「嘘だと思ってたのか」
橘家で話し込んでいたら夕方近くになってしまったので、その日はお開きにして慌てて清水家に帰ってきた。夕飯を作って食卓を囲み、今日の話をしたところで先程の葵の発言である。落ち込んだ。
「君は単純だし、先を見通す力もない。用心したまえよ」
「……用心?」
漬け物をポリポリ食べる葵を見上げる。朝仕込んだ浅漬けは口に合ったらしく、ご機嫌に微笑んでいた。麗しい笑みだ。
「君は災厄を避けられない。正直な
「……え、なんのことです?」
「こいつが土御門と名乗っちまったことか」
仁が複雑な表情で呟く。凪はあっと小さな声をあげて目を見開き項垂れた。
「それ、やっぱりまずかったんですか……。でも、伶奈さんは他の人には言わないと約束してくれましたし」
「言葉は言霊。発した言葉は伝わり広がる。ただ1つの真実は、君の今日の行いが未来に繋がるということだけ」
「……葵様、なにを言いたいのかよく分からないです」
凪が困惑していると、葵が冷ややかな笑みを浮かべた。
「だが、これが本来のあるべきかたち。私が関与すべきではないこと。詮無きことを言った」
「え?」
いつの間にか夕食を食べ終えていた葵が席を立つ。その背を凪と仁の眼差しが追った。
「……災厄は避けられないのか」
「既に賽は振られた。後はただ進むのみ」
「またこいつに御守りを渡してくれるか」
凪はそっと帯に手をやった。葵にもらった御守りは帰りに見たときには壊れてしまっていたのだ。
「それはまだ前の対価を払い終えていない。暫くはやれん」
「やっぱ、後から取り立て方式か。……俺が貸し付けてる分からでいい。こいつに御守りを」
仁の真摯な口調に、葵が顔だけ振り返って見下ろした。感情の窺えない透徹した眼差しが仁に注がれる。
「……考えておこう」
明言しないまま葵が去る。仁がため息をついて、頭をガシガシと掻いた。
凪は何も言えず俯いた。凪が考えなしに名乗ってしまったのが良くなかったのだろう。目先の思いにとらわれて、葵の助言を無駄にした。
「まあ、気にすんな。あいつもこれが本来のかたちだと言っていただろう。何か災厄が起きれば、それを払い除ければいいだけだ」
「……すみません」
「ねーねー、それはおいといてさー、明日からはどうするの~、また橘家~?」
気まずい空間を蒼のゆったりとした口調が壊した。空気を読んで押し黙っていた紅がほっと息をついている。
「そうだな……まずは凪の自衛力を上げるか。葵の守りをあてにするのも良くない。それでいいか?」
「え、あ、もちろん。でも、何をするんですか?」
「伶奈にお前を訓練するって言っちまったし、祓い屋としての教育してやるよ。お前が今後どう生きていくにしても、無駄にはならんだろう」
凪は身ひとつで転移してきて、今後どう生きるか考えなおさなければならない。
日本でなら、順当に大学を卒業して、適当な企業に勤めていたかもしれないが、この国ではそんな土台がない。一から自分の足元を固めないといけないのだ。
そう考えれば、仁という祓い屋の先達がいて、その教えを受けることができる今の環境はとても運が良い。元々先祖の陰陽師というものに興味があり、自身もその才能があると教えられたなら、自分の進む道は決まったも同然だった。
「……はい。俺も祓い屋のお仕事を知りたいです。よろしくお願いします」
「おう」
仁がニヤリと笑う。それに凪も笑い返した。
「ねぇねぇ、つまり仁たちは橘家に行かないの~?」
「そうだな、連日訪ねるのも迷惑になるだろ」
「じゃあ、この依頼受けられるね~」
「は?」
蒼があっけらかんとメモ書きを仁に差し出す。仁の眉間に皺がよった。
「……報告が遅れたけれど、今日依頼人が来たのよ。仁がいないから、依頼内容だけ聞いておいたわ。明日また来るそうよ」
紅は仁の不機嫌な理由が分かっているようで視線をそらしていた。
凪は仁の手元をのぞきこむ。
「……凪の訓練をすると言っただろうに、何をしれっと依頼書を差し出してくんだよ」
「だって~、報告する時期を逸しちゃって~」
「帰ってきてすぐ言えよ」
仁が呆れたように呟く。視線をそらす蒼はただうっかりと忘れていただけのようだ。
「犬の声がする、娘がおかしい、うちに来て欲しい……これが依頼なんですか?」
「まあ、そうだな。……依頼人はどんな様子だったか?」
「うーん、凄く疲れた顔してたね~」
「あれは遠くから来た移動疲れじゃないかしら」
「そうなのかな~?」
「遠く?」
依頼人の住所欄を見てみると、凪には分からない地名が書かれていた。仁が顔をしかめる。
「なんでこんなとこからわざわざ……2日はかかる距離だぞ」
「さあ?とりあえず今日はこっちに泊まるって言ってたよ~。受けるにしても断るにしても~、また明日だね~」
「簡単に言いやがって……」
この依頼を受けるなら凪の祓い屋訓練は延期だろうか。少し残念だ。何も出来ない凪が依頼についていっても役に立たないだろうし。
「依頼を受けるなら、凪も行くか」
「え?俺が行っても役に立ちませんよ?」
「橘家では何かが起きるより先に俺より強く呪詛に反応してただろ。俺より感度が良いのかもしれん。その確認も兼ねられる。移動中に訓練できるっていう利点もあるぞ」
「いや、呪詛に関しては、土御門へ向けてのモノだったからじゃないですかね」
「それならそれでいい。ただお前がどういった分野が得意か知るためにも、色んな経験を積むのも大切だ」
「……ほんとに、ついていってもいいんですか」
「そう言ってるだろ。依頼を受けても出発するまでに下調べの時間をとるから、その間にお前に祓い屋基礎知識を詰めこむぞ」
「……ありがとうございます」
詰めこむ宣言には顔が引き攣るが、素直に頭を下げておいた。
「詰めこみ詰めこみ~」
「あら、凪が依頼について行ったら、ここの食事はどうなるの。葵さまが拗ねるわよ」
何故か楽しげな蒼はさておき、紅の疑問は重要な課題だ。
「缶詰めのもんでも食え」
「葵さまに缶詰めで殴られてしまいなさい」
仁の投げ捨てた言葉に紅が絶対零度な眼差しを向けた。
「……ちゃんと日持ちするもの作っておきますから……」
にらみ合う2人を仲裁して、これからの忙しい日々を思いため息をついた。
異世界怪異譚 ~魑魅魍魎が跋扈する世界で謎を追う ゆるり @yururi-_-
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