悲劇のヒロインは、やり直しの人生を賭けて死神と勝負する

奏 舞音

悲劇のヒロインは、やり直しの人生を賭けて死神と勝負する

 目の前に広がるのは、愛しい人の血。

 命が、こぼれていく。

 嫌だ。嫌だ、嫌だ。

 どうして、どうして。

 彼が喪われるのなら、私の命ももう要らないわ。

 あの世というものが存在するのなら、もう一度。

 彼に会いたいから。


 彼の命を奪ったナイフで、自らの心臓を刺す。

 痛みはなかった。彼を喪う痛みに比べたら。


 ――愛しい人を救いたいか?


 意識が黒く塗り潰されて、ふいに聞こえた声。


 ――あなたは、誰?


 ――俺は、死神だ。お前に人生をやり直すチャンスをやろう。


 ――そうすれば、彼を救えるの?


 ――お前次第だよ。俺と人生を賭けたゲームをしないか?


 ――どんなゲーム?


 ――ルールは簡単。お前のやり直す人生で、死神おれを見つけるんだ。お前の知人になりすました俺を、お前が死んだ日までに見つけられれば、お前の望む命を返してやる。


 ただし、死神であると断定するチャンスは一度きり。

 手当たり次第に死神かと聞くことはできない。

 このゲームのことも、誰にも言ってはいけない。


 どうする? と問われて、私は迷いなく頷いた。

 もう一度彼に会うことができるのならば、なんだっていい。


 ――それでは、ゲームを始めよう。自分を信じて、死神おれを見つけてみせろ。


 ■


 ハッと覚醒した時、目の前には愛しい人の顔があった。

 自分の命よりも大切な婚約者――バルカスター公爵レパード。


「ラーリア、どうしたの? 悪い夢でも見ていたのかい?」


 もう二度と聞けないと思っていた優しい声が耳に届き、ラーリアは彼にしがみついて号泣した。

 突然泣き出したラーリアに驚きながらも、レパードは優しく抱きしめてくれる。

 随分と長い時間泣いて、目が真っ赤に腫れ上がったところで、ようやくラーリアは落ち着いた。


「……取り乱して、ごめんなさい。あなたを喪う夢を見て」


「大丈夫。僕は君の側にいるよ。今も、これからも」


 もしかしたら、本当にすべて夢だったのでは?

 そんな風に思ってしまうほど、ラーリアを抱き締める温もりは優しくて、辛いことを忘れさせてくれる。

 でももし、夢ではなかったら。

 ラーリアはまた彼を喪ってしまう。


(死神を探さなければ……)


 期限は、悲劇が起きた結婚式の日まで。

 今はいつだろう。

 周囲を見回すと、公爵家にあるレパードの私室だった。


「ラーリアのことが心配だし、結婚式の打ち合わせはまた後日にしよう」


 結婚式を1週間後に控え、最終的な打ち合わせをするために公爵家に足を運んだ日。

 あの悲劇は、二人が待ち望んだ結婚式の日に起きた。

 ズキズキと胸が痛み、また目に涙がたまる。


「レパード様、結婚式は延期しませんか?」


「ラーリア、君の願いはなんでも叶えてあげたいけれど、それだけはダメだ。招待客の中には殿下もいるし、何より僕はこれ以上待てない」


 優秀なレパードは、次期国王となる王太子の側近として、王宮勤めをしている。

 彼はどんなに忙しくても、ラーリアのために時間を割いてくれていた。結婚式のことも、ラーリアや使用人たちに任せても良いようなことまで一緒に考えてくれた。

 愛しいラーリアとの一生に一度の大切な日だから、と。

 それなのに、当のラーリアが結婚式を延期したいと言い出したのだ。

 彼が困惑するのも無理はない。ラーリアの手を握り、レパードは心配そうに問う。


「僕との結婚が嫌になった?」


 そんなことある訳ない。

 反射的に否定しようとしたが、ぐっと言葉をのみこんだ。


(もし、私と結婚しなければ、レパード様が死ぬことはなかったのでは……?)


 ラーリアは、建国当初から続く由緒ある侯爵家の娘として生まれた。

 娘を王太子妃にしたいと意気込む両親のせいで、幼い頃から礼儀作法を叩き込まれていた。

 王太子妃になれば、こんな生活が毎日続くのか。

 ラーリアは別に王子に気に入られたいなんて思っていなかった。

 だから、十三歳の時、初顔合わせのために向かった王宮で、王子が来る前に応接室から抜け出したのだ。

 顔合わせの時にいなくなる失礼な令嬢と、王子が婚約などするはずもない。

 そして、ラーリアはレパードと出会った。

 抜け出したはいいものの、ラーリアは王宮内で迷子になっていた。そこに偶然通りかかったのが、すでに王子と友人関係にあったレパードだ。事情を察した彼は、ラーリアを王宮の庭園に案内し、他愛のない話で気分を落ち着かせてくれた。それだけでなく、応接間に戻ると、レパードはラーリアを連れ出したのは自分だと言って、庇ってくれた。

 この日から、王子の婚約者候補という立場でありながら、ラーリアはレパードのことで頭がいっぱいだった。

 数年後、社交界デビューを果たしたラーリアは、王宮の舞踏会で再びレパードに出会う。

 すでに王子の婚約者は別の令嬢に決まっていたこともあり、両親は条件の良い貴公子に気に入られるように、と言われていた。公爵家嫡男のレパードは多くの令嬢から言い寄られていて、声をかけられなかった。あの日の思い出だけをきれいに握りしめているのは、自分だけだ。きっと、彼は忘れている。それに、王子から逃げる令嬢なんて、印象は最悪だったに違いない。優しい彼はそれをきれいに隠していただけで。

 そう思っていたのに、レパードは「久しぶりだね」と声をかけてくれて、ラーリアをダンスに誘った。


「もう殿下の婚約者候補ではないのなら、僕が君の婚約者に名乗りを上げてもいいかな? ずっと君のことが気になっていたんだ」


 ずっと片思いしていた彼に甘い声で囁かれ、ラーリアに頷く以外の選択肢はなかった。

 婚約者となった彼は、ラーリアのことをとても大事にしてくれて、レパードへの恋心は日に日に大きくなっていた。

 彼と結婚する日を誰よりも楽しみに待っているのは自分だと、ラーリアは自信を持って言えた――彼を永遠に喪うことになると知るまでは。



「顔色が悪い。今すぐ医者を呼ぼう」

「いいえ、大丈夫です」

「駄目だ。もしかして、延期にしたいと言ったのも、具合が悪いからか?」


 レパードはラーリアの制止もきかずに、使用人に医者を呼びに行かせた。

 すぐにラーリアはベッドに寝かされてしまう。

 死神を探さなければならないのに。

 でも、愛しい人の手を振りほどけるはずがない。

 このぬくもりを一度喪ったから、離したくないのだ。

 それに、ラーリアの親しい人間なんて数えるほどしかいない。

 侯爵家に取り入りたいと近づく者は大勢いるが。

 ラーリアが思い浮かぶ顔ぶれは、まず両親、侍女のクレラ。王子も親しいという部類に入るだろうか。

 彼らに会って、たしかめなければならない。


「医者はなんともないって言っていたけど、無理はしてはいけないよ」

「私は大丈夫ですから。レパード様も、お仕事が溜まっているのではありませんか?」


 そう言えば、レパードは苦い顔をして頷いた。


 心配するレパードに見送られ、ラーリアは侯爵家へと帰る。

 迎えに来てくれた侍女クレアにも随分心配をかけてしまった。

 屋敷につくと、母が出迎えてくれて、部屋で休むように言われる。


「みんな、いつもと同じだったわ」


 本当に死神がいるのだろうか。

 やはりすべて夢だったのではないか。

 でも、あの時の胸の痛みも苦しみも夢というにはあまりにもリアルで、この何気ない日常がどれだけ尊いものかを思い知る。

 そして、周囲の人たちを観察している間に結婚式の準備は進み、とうとう当日がきてしまった。

 レパードに護衛の数を増やすようにそれとなく伝えたが、あの日彼の命を奪ったのは誰だっただろう。

 彼の死が衝撃的で、犯人の顔は見えていなかったのだ。

 だが、死神とのゲームには必ず勝たなければならない。

 結婚式にはラーリアの親しい人間が集まる。

 死神がなりすました誰かは絶対にいる。


 司祭の前で永遠の愛を誓い、二人は口づけた。


「ラーリア、愛している。心から」


 キスの後、囁かれたのはあの日と同じ言葉。


「レパード様。私も、愛しています」


 ――あなたのためなら、命すら惜しくはありません。


 だから。言わなければならない。


「あなたが、死神ですね」


 ラーリアに触れる手も、愛を囁く声も、見つめる瞳に宿る感情も、すべてがレパードだというのに。

 どうしてだろう。

 それは、説明はできない直観で。

 だから、怖かった。死神だと断言できるのはたった一度きり。

 もし間違えてしまったら、永遠に喪ってしまうから。


 ラーリアは俯いて、審判の時を待つ。


「きゃっ」


 ふいに抱き上げられて、ラーリアはレパードにしがみつく。


「皆さま、僕たちは今すぐ二人の時間を過ごしたいので、抜けさせていただきます」


 は? と皆があっけにとられている間に、レパードはラーリアを連れて夫婦のためにしつらえられた部屋に入った。


「それで、僕がどうして死神なの?」


 愛しい人にそう問われ、内心ひやりとする。

 間違えたのだろうか。

 恐ろしくなって、ラーリアは目の前のレパードをぎゅうっと抱きしめた。


「分からないのです! でも、レパード様がレパード様ではないと、私の心は感じてしまって……嫌なのです、もうあなたを喪うのはっ!」


「僕が死神かもしれないと思うのに、君はこうして僕を抱きしめるんだ」


「体は、レパード様のものですよね? あの日、冷たくなったレパード様ではなく、生きているレパード様ですから……守りたいのです」


 震える声で必死に紡いだ言葉に、目の前の彼が笑った。


 ――正解だ。お前はゲームに勝った。本来はどちらかの命だけしか返せないが、愛の神がうるさく喚いているから、特別に二人分の命を返してやろう。


 二人の命は失われることなく、日常を取り戻し、後日、レパードに逆恨みしていた没落貴族の男が捕まった。



 ■



「私たちの子どもにも、死神様と愛の神様のご加護がありますように」


 新たな命が宿ったお腹に手を当てて、ラーリアは祈る。

 その隣には、愛しい人がいる。


「ラーリア、愛しているよ」

「私も」


 続く愛の言葉は、彼の唇に消えた。


 愛する人を喪った悲劇のヒロインは、もういない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悲劇のヒロインは、やり直しの人生を賭けて死神と勝負する 奏 舞音 @kanade_maine

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ