物語の始まり

第一章 運命の出会い


 「いてっ!」


 少女が額を摩りながらそのぶつかった何かを見上げると,目の前には女性が一人,立っていた.

 体がとても大きい.背丈は百八十センチメートルか,あるいはそれ以上にも見える.女性にしてはかなり逞しい体つきで,黒いローブに全身を包んでいても,その表面から筋肉の輪郭が鮮明に浮かび上がっているのが見て取れる.まさに筋骨隆々といった躯体であった.そんな容姿とは裏腹に,逆光から見える顔はとても綺麗で,肌は白く,長い銀髪は燦然と輝いていた.その間から見える碧眼は,私のことをじっと見下ろしている.

 私を蟻に例えるとしたら,さしずめ彼女は熊といったところだろうか.二人の体格差はそれほどまでに著しい.


 こ,怖い……どうしよう…….


 第一印象は純粋に恐怖しかなかった.その圧倒的な迫力と威圧感に気圧され,私は完全にびびっていた.体がわなわなと震えて止まらない.

 そんなあわあわしている少女に見かね,女性は膝を曲げて彼女と目線の高さを同じにした.屈託のない笑顔で少女の顔を明るく照らす.


 「こんにちわ」

 「コ,コンニチワ……」


 少女はブリキのおもちゃみたいな口調でお辞儀した.緊張で身体が強張っているせいか,まともに声も出せてない.がちがちである.

 そのへんてこな仕草が面白可笑しく,フルールは口元に手を置いてくすくす笑った.


 「ふふっ,可愛い.けど怖がるのも無理ないわよね,突然こんな大きな人が出てきたら」


 穏やかな声色に落ち着いた口調,そして,辺りを優しく包み込んでしまうその朗らかな雰囲気.少し話しただけで分かる.この人はとても愛想がいい.傍にいるだけで心が落ち着く.


 「あの,ぶつかってしまってごめんなさい」

 「平気よ.あなたこそ,怪我してない?」

 「大丈夫です」

 「よかった.ところで,あなたは村の子供かしら?」


 いきなりそんなことを尋ねて来るのは,私が今身に着けているこの衣服が,村のそれと同じ物だからだろう.

 ちなみに.二人がいるのは人知れぬ山林のとある場所.彼女らを除き,周囲には建物どころか人影すら存在しない,まさに辺境の地.ここから麓へ三十分程下っていくと,その村はある.


 「違いますけど,これは村の皆さんから戴いたんです」

 「戴いた? つまりあなたは村の外から来たってこと?」

 「そうです」

 「こんな辺鄙な所まで来るの大変だったでしょう.誰と一緒に来たの?」

 「一人です.あ,でも,親切な人が道案内してくれました! そのおかげで無事,村に辿り着けたんです!」

 「一人? あなたはどこから来たの?」

 「森の中です」

 「森の,中……?」


 彼女は怪訝な面持ちで何やら考え始めると,何かを察したのか,私を憐みの眼差しで見つめ出した.

 もしかして,私の背が小さいことを哀れに思っているのかなぁ…….そう思うのは,この少女が少し抜けてるというか,ちょっぴり天然な性格だからであった.


 「それで,村に着いた後は数日間お世話になりました.惜しみなく衣食住を提供してくれて,本当に親切な方達でした!」

 「じゃあ,こんな村から離れた所にいるのはどうして?」

 「フルールさんに会うためです.行く当ても帰る場所もないことを村長さんに相談したら,その人に頼りなさいって言われました」


 行く当ても帰る場所もない.多分この子は…….


 「私がフルールよ」

 「やっぱりそうでしたか!」

 「どうして?」

 「背中のそれです! それが目印だって村の人が言ってました!」

 「あぁ,確かに……」


 フルールは話を区切ると,背中から何かを取り出した.

 それは巨大な盾であった.彼女の足から頭まで全てを隠せる程の面積を持ち,最も厚い部分は八センチメートルもある,何とも規格外の大きさだ.無論,盾であるからして金属製であり,その重量は計り知れないが,大の大人でも持ち上げることすらできないだろう.

 だが,フルールが後ろに手を回すと,その金属塊がゆっくりと持ち上がっていく.動かす度に金具が鈍く軋み,それが重厚感をさらに増大させている.

 フルールは表情や息遣いを一切変えることなくその盾を上まで持ち上げ,それを少女の前に立てて置いた.その間,体は微塵も動くも震えるもせず,彼女は一貫して同じ体勢のままだった.常人を超えた体幹の持ち主である.二の腕なんかは今にも服が弾き破けてしまうのではないかと思うくらいぱんぱんに隆起していた.

 少女はその異様な光景をただ唖然として眺めていた.


 「こんなのをいつも持ち歩いてるのは,私くらいしかいないものね」

 「凄い…….まさに,怪力お姉さんですね」

 「怪力お姉さんはちょっと……」


 さすがにショックを隠し切れないフルール.

 思ったことを素直に口から出してしまうのも少女の性格である.だから,女性の尊厳を崩壊させかねない異名を躊躇いなく言ってしまった.

 少女は慌てて誤魔化しを図る.


 「えへへ,冗談です」

 「それで,私に頼ることっていうのは……」

 「私を泊めてくれませんか?」

 「やっぱりそうよね.うーん,泊めてあげること自体は全く問題ないんだけど……」


 彼女はかなり悩んでいる様子だった.頭を抱え,随分と思慮に耽っている.

 やっぱり,さっきの怪力お姉さん呼びがいけなかったのだろうか.謝れば許してくれるかなぁ.

 そんなことを考えていると,正面から落ち葉を踏む音が聞こえた.何だろうと思いそちらに目を向けれると,彼女よりも一回り大きな動物が威嚇しながらこちらを見下ろしていた.

 思わず頓狂な声が上がる.


 「下がって!」

 「は,はい!」


 フルールは咄嗟に盾を構えた.獣はまだこちらを警戒している.


 「何ですか? あの大きな生き物」

 「魔獣よ」

 「魔獣?」

 「そう.特にあの前半身が鷹,後半身が馬の魔獣はヒッポグリフっていうの.でも,何だか様子がおかしい……」

 「そうなんですか?」

 「ええ,ヒッポグリフは温厚で滅多に人を襲わないはずなんだけど,今回はちょっと例外みたいね」


 そう言い切ると,ヒッポグリフが翼を羽ばたかせながらこちらに猛突進してきた.その速度は人間の比ではない.あっという間に間合いを詰めていく.


 「こ,こっち来ましたああああああああ!!!!」


 わーわー騒ぎ立てる少女とは対象的に,フルールは至って冷静に彼女の戦慄に応えた.


 「大丈夫」


 次の瞬間,もの凄い衝撃音が大気中に轟いた.恐る恐る目を開けると,なんとヒッポグリフの巨体を支える形で前足を受け止めていた.

 私は呆気に取られることしかできなかった.心配して彼女の顔を除いても,その顔は依然として涼しいままだった.「平気?」と気を配る余裕もあるらしい.

 その後も,ヒッポグリフがいくら鉤爪で切り裂こうが,後ろ足で蹴り飛ばそうが一度も体勢を崩すことはなかった.あまりの鉄壁の防御に体力の消耗が追い付かなくなって動きが鈍くなり出したのを機に,今度は反転攻勢に出た.

 それは一撃だった.フルールは紙をひらひらと舞い踊らせるみたいに盾を軽々しく振り回し,攻撃を受け流しつつ,その側面を相手の頭部にめり込ませたのである.いくら図体に差があるとはいえ,あれだけの物体で殴られては到底無事では済まない.鈍い音と共にヒッポグリフは脳震盪を起こし,その場に倒れ込んでいしまった.その反動で地面が揺れる.


 かっこいい──────.


 圧倒的な力で敵を倒し,凛々しく佇むその姿には颯爽たるものがあった.

 落ち葉と土埃が宙に舞う.少女はけほけほと咳込みながら感嘆の声を漏らした.


 「すごい……」

 「無事?」

 「はい,おかげさまで.守っていただいてありがとうございます」


 少女は腰が抜けていた.差し出された手を掴んでやっと立ち上がる.

 フルールは盾をしまうと,先程の話を続けた.


 「……泊めてあげる」

 「え! 本当ですか!?」

 「このままあなたを放って置いたら,今みたいに危険な目に合うかもしれないでしょ? だから,当面の間は一緒にいてあげる」

 「やったー!」


 満面の笑みを浮かべながらぴょんぴょん跳ねて喜ぶ少女を見て,フルールもなんだか朗らかな気持ちになった.自然と力が抜けていく.


 「そうだ,私はベルっていいます.村の皆が付けてくれた名前です」

 「ベル,可愛らしい名前ね.素敵だわ」


 この子はきっと,孤児なのだろう.

 村長もそれを見越して,同じ境遇だった私に一任したのかな.


 「ベル,とりあえず家に行きましょう.ヒッポグリフは気絶させただけで,いつ目を覚ますか分からないから」

 「はい! ところでフルールさん,魔獣っていうのは何なんですか?」

 「どこから説明しましょうか.まず,魔素は知ってる?」

 「魔素? 聞いたこともありません」

 「そしたら,そこからお話しましょうか.まず,魔素っていうのは……」


 二人は手を取り合って歩き始めた.閑散とした森に楽し気な会話が広がり渡る.

 

 彼女と会うことは最初から決まっていたことのように感じた.それがどうしてなのかは分からない.でも,私が行くべき場所はそこなのだと,不思議とそう思った.

 きっとそれを,運命と呼ぶのだろう──────.

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かけがえのない魔法との思い出を 麻藤 露満 @As0765M7

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