witch hunt

アンデル1000

第1話 狼煙

薄暗い闇の中、ヨーロッパ風のアンティークな机の上で蝋燭の灯火だけがわずかな空間を懸命に照らしている。その空間に照らし出されているのは椅子に座って本を読む一人の少女だった。


歳は十を僅かに越えたころだろう。小柄な体には机が大きすぎるのか、読んでいる本を膝の上に置き、机に本の頭を立て掛けながらページを捲っている。


その度にわずかに体が揺れ、リボンで纏められたウェーブ掛かった長い髪は蝋燭の光を受けて清らかな金色に輝いている。身なりも整っており、良い家柄であることが分かった。


だが、身に纏う服は黒一色のため不気味な雰囲気を漂わせている。


黒のワンピースに黒のエプロンドレス。黒いニーソックスと靴を履いたその姿は見るものによっては不思議の国から飛び出した少女のようにも感じられただろう。


少女の目線は手元の本に吸い寄せられていた。まるで目の光まで本の中に吸い込まれているかのように凍った目付きで黙々と本を読み続けている。


遠目から見たら精巧な人形と見まがうようだ。


しかし、本のページを捲る指は一定のリズムを刻むように物語を先へ先へと進めていく。


少女の周りは彼女がページを捲る音と、闇の中から聞こえる時計の振り子が発する音だけが支配していた。他に音を発する存在はこの空間に誰一人、何一つ存在しない。


……ペラ……ペラ……ペラ


 カッ    カッ    カッ   カッカッ    カッ    カッ


 それからどのくらい時間が流れたのだろう。少女は突然体を震わせ、手に持った本を閉じた。そして少女は視線を闇の中に移す。


その目には光が宿っており、この少女が生きた人間であることを感じさせる。だが、その目は子どもが放つキラキラとした輝きを発してはいなかった。


どこか虚ろのような。無感情のような曇った目であった。少女は座っていた椅子から立ち上がると読み終えた本を左手に、蝋燭立てを右手に持ち、か細い光と共に闇に向かって歩き始めた。


直に光は闇の中に溶けてしまった。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 イギリス西部の片田舎にて不思議な現象が発生しているという噂があった。なんでも、家庭の本棚に家人も知らぬ間に、買った覚えもない本が増えているらしい。


そして、一度本の存在を確認し視線を本から離すと忽然と本が消えているというのだ。


 最初は目撃者の見間違いや愉快犯による噂の吹聴だと思われていたが、次第に目撃者の数が増え始め、その者達の供述に一貫性が持たれていたため段々と真実味を帯始めた。混乱が生じる事を懸念したイギリス警察による犯人の懸命な捜索も行われた。警察が聞いた目撃者の証言には共通する点があったという。


一つは『気が付いたら置かれており、家人の誰一人も知らない本であった』事と『目を離したら消えている』という事だった。そしてもう一つ特徴があり、『置かれている本は近年ではあまり見られない古風な物』だったそうだ。具体的には、表紙が紙製の装丁ではなく、動物の皮が使われていたらしい。


十五世紀頃にはそうした本の製本がおこなわれていたが、二十世紀の現在では作られておらず、事件が起きている周辺地域でそのような本を製造している人物は一人として存在しなかった。犯人と思われる人物の目撃証言も無く、有力な情報が一切無い状態であったためイギリス警察の捜査は難航を極めた。


そして、この不思議な現象が発生して一月が過ぎたある日、事件は突然動き出す。今まで本が置かれた家庭の人間が意識不明で倒れ始めたのである。こうなるとイギリス警察も混乱を防ぐ事は容易では無かった。過去に本を置かれた事のある家庭の家族は恐怖し、近隣住民の繋がりは完全に消滅した。もはや、他人の誰がこの騒動の犯人であるかも分からない状態では隣に住む人間すらも信用出来ない状態だったのだ。


このままでは恐怖に支配された住民がどのような行動を取るのか予想できない。イギリス警察は事態の鎮静化を図るべく事件発生地域に厳重な警戒態勢を張り住民の精神的安定を維持する事で精一杯だった。やがて、この知らせはイギリス政府を通じて日本に住む、ある人物の元へ極秘裏に届けられた。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 



 「……という訳なのだよ。キミからしたら中々面白い話だとは思わないかい?」


 日本の都心に位置するビルの一室で二人の人物が話しをしていた。壁の一面がガラス張りになっており、そこからは夜に煌めく街の輝きが一望できた。その景色を背にしながら、細身の身体を白いスーツに白いズボンで纏い、サングラスで目元を隠した人物はガラス張りの壁の前に設置された机の縁に腰を下ろしていた。


机の上で足先を遊ばせつつ、部屋の中央でソファーに腰かけている男に向かっていかにも楽し気にそう言った。その声の主はおよそ二十台半ばの女性であった。透き通るようにまっさらな肌に中性的な顔立ち、そして男性のような口調、更にサングラスで目元が確認出来ず、スーツ姿のため一目見ただけでは性別の判別が付かなかった。


だが、柔らかな声と白いスーツから浮きあがる体の曲線が女性であることを示していた。


女は興奮した様子で最近イギリスにて発生している怪現象をソファーに座る男に向かって熱弁していた。そして息苦しくなったのか、首元の白いネクタイを緩めてカッターシャツのボタンを外している。だが、視線はボタンを外す指先を注視しつつ先ほどまで話していた怪現象についての話を続けた。


 「この件についてはイギリス警察も手を焼いているようでね。あまりにも不可思議な現象から、悪魔の仕業だの、妖精の仕業だの、挙句の果てには魔女の仕業だと宣う者まで出ているそうだ。過激な連中に関しては犯人捜しという名のリンチを行っているヤツも居るらしい。もはや、この地域では二十世紀の常識は消え失せ、十五世紀の『魔女狩り』が行われていた頃にまで精神がタイムスリップしてしまっているような有様だよ。いや、このままでは本当に五百年の時を超えて歴史の再現が行われてしまう可能性が出てきているんだ。イギリス警察だけじゃない、イギリス政府すらもこの片田舎で発生している怪現象に危機感を覚えている。今はイギリス西部の片田舎だけでおさまっているが、もしこれが広まり、イギリス全土に渡ったらどうなるかな? 最悪、イギリスだけに留まらず周辺諸国を巻き込んだ大事件にも発展しかねない。……まぁ、私としてはその時の世界がどうなっているのかについて、若干の興味を覚えなくも無いがね。とはいえ、流石にそれは趣味が悪いというものだ」


そう言いつつもその女の口元は仄かに笑みを浮かべている。その様子をソフォーに腰かけて聞いていた男は僅かに苦笑しつつ女を眺めていた。


 男の年齢は三十代半ばぐらいだろうか。身長は非常に高く、優に百八十を超えているだろう。男の方は女とは対照的に全身を黒に染めている。黒いスーツに黒のズボン、唯一黒色ではないのは、白いシャツのみで首元には黒いネクタイを下げている。女から『キミ』と呼ばれる男は、女がいかにも楽しそうに話す姿を見て呆れたように肩をすぼめた。


そんな男の思いも知らず、女はマイペースなものだ。黒の革靴のつま先を床にコンコンとリズミカルに弾ませながら胸元までボタンを外し終えている。女は胸元を晒しながら左手で風を送りつつ、右手で髪を掻き揚げた。銀色の髪がサラサラと掻き揚げた右手の隙間を潜り抜けて流れ落ちていく。


「ははは、柄にも無く興奮してしまったようだ。少々体が熱くなってしまったよ。キミ、すまないがソコから飲み物を取ってくれないかい?」


女はそう言って、部屋の隅にあるワインセラーを指さした。男は呆れた様に顔を横に振りながらソフォーから立ち上がった。そしてワインセラーの方へ駆け寄り、直ぐ隣の冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。


訝し気に眺める女の視線を無視しつつ、男は戸棚からワイングラスを取り出してミネラルウォーターを注ぐ。尚も自身を見つめる女の視線を感じながら、男は机に腰かける女の元へ歩み寄り、ワイングラスを差し出した。


「キミ、私はワインセラーを指差したのだよ? キミにしてはうっかりなミスじゃないか」


「いや、ミスではないとも。Miss頂。キミは酒が入ると尚更に面倒くさくなる。申し訳ないが、私はそんな事態は望んではいない。キミを酔わせた所で得をするのは愚かな男とキミだけだよ」


頂は男の言葉を聞くと、今までの不満気な雰囲気は何処へやらと言いたくなるほど楽し気に笑い出した。


「ははははは! 確かにそうだ。自分で言うのもなんだが。私は酒に強くない癖に酒が好きで、そのうえ酒癖がこの上なく悪いからね。キミの言うように、過去に私を酔わせて楽しもうとした男は山ほど居たよ。逆に私が楽しませて貰ったものだがね。とはいえ、最近はご無沙汰かな。まったく困ったものだ。まぁ、それはそれとしてモルガン君に迷惑をかけるのも心苦しい。キミの心遣いに甘えるとしよう」


頂はそう言うと男の、モルガンの手に持つワイングラスを受け取り喉へ水を流し込んだ。


「ふぅ。ミネラルウォーターもたまには悪くない。しかし、私としてはもっと別の良いモノを頂きたいのだがね。モルガン君、キミがご馳走してくれないかい?」


頂は机から腰を上げ、モルガンの頬に左手を添えてサングラス越しに彼の目を見つめた。そして視線はモルガンの目に留まりつつも口元はゆっくり、ゆっくりと彼の元へと近づいていく。しかし、モルガンの人差し指が彼女の額を静かに押しとどめた。


「勘弁願う。私を魅了するのはやめるように。私は女性に免疫がないのでね。キミのような美しい女性に言い寄られると理性が保てそうにもないが、私もキミに手を出すような勇気はない。そういう事は別の誰かに相手をしてもらってくれ」


そういうとモルガンは頂の額に付けている人差し指をそっと離し、今まで座っていたソファーに腰を下ろした。


「残念。初めてキミと出会った時以来、キミの味を感じていないから恋しいのだがね。まだしばらくお預けのようだ」


頂は悪戯が失敗に終わった子どものように、無邪気な笑顔をしながら机に腰を下ろし、ワイングラスを机の上に置いた。


「では、あらためて本題に入ろうじゃないか。先ほども言ったが今回の現象は世界に及ぼす危険度が非常に高い。場合によっては本当にイギリスやその周辺諸国が血の海になりかねない案件だ。悪いが、キミには即刻日本を発ってイギリスに飛んでもらう。今回の案件については既にキミも察しているだろうがソチラ側の人間によるものである可能性が極めて高い。キミ自身の目的にも叶う案件だ。気合を入れて任に当たってくれたまえ」


頂はそう言いつつ机の脇からアタッシュケースを引っ張り出した。


「チケットや生活必需品、移動に必要な手続き等は既に済ませておいた。具体的な移動手順や活動内容は空港への道中に追って指示する。今すぐ空港に向かいイギリスに飛んでくれたまえ。」


「了解した」


モルガンはそう言うとソファーから立ち上がり、部屋の出口に向かい歩き出した。頂もアタッシュケースを手にモルガンの後を追う。出口を前に二人は向き直り、頂はアタッシュケースをモルガンへ手渡した。


「やれやれ、また暫くキミに会えないと思うと胸が張り裂けそうというものさ」


頂はそのような軽口を言いつつモルガンの顔に両手を添えた。


「言っておくがアチラで素敵な女性を見つけても浮気は厳禁だ。不穏な気配を察知したら私自ら飛んでいくからね」


まるで暗示でも掛けるかのようにじっくりと顔を見据えて頂はそう言った。そして、やることは済んだとばかりにモルガンの背中を押して部屋から追い出す。


「では、よろしく頼むよ。こちらも忙しい身なんでね。とはいえ、出来るだけ早く帰ってきたまえ。……待っているよ」


そして扉が閉じられた。モルガンはそれを見届けるとエレベーターに向かって歩き出す。その途中、モルガンは独り言を口にしていた。


「ここしばらくはMiss頂の情報はハズレばかりだったが。……今回はアタリのようだな」


モルガンがエレベーター乗り場にたどり着くと、エレベーターは既に口を開けて乗り場に待ち受けていた。モルガンは当然と言わんばかりに足早にエレベーターへと乗り込んだ。エレベーターのドアが両側から閉じていく。


ドアが閉じきる刹那、その隙間から覗くモルガンの口元は微かに笑みを浮かべていた。

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