沈んだ地球に浮かぶ月

みよしじゅんいち

沈んだ地球に浮かぶ月

 技術職員の本村求もとむらもとむが控室のソファで仮眠をとっていると、市長の朝倉に起こされた。「水上みなかみ記者が到着したようだ。先に会場に入っておいてくれ」

 会見場は市庁舎、旧インラインホテルの五階だ。ホテルは四階まで水没している。窓から外を見る。天島あましま新報の水上南みなかみみなみ記者と思しき女性がホバータクシーを降りて、牡蠣殻かきがら付きの縄梯子なわばしごを上る姿が見えた。

「ピピはどうしますか」

「ひとまず待機だ。ピピ、ちょっと待っていてくれるかな」

「ピピ。了解しました」


 会見場の照明をつける。立派な式場だが、がらんとしている。天島市長の朝倉桜あさくらさくらが水上記者を案内して着席させる。

「いつもお世話になっています。まずは市長から状況を説明しますので、質問はそのあとでお願いします。では、市長よろしくお願いします」

「お呼びしたのは他でもありません。——昨晩、地球外知的生命体とのファーストコンタクトがあったのです。これから様々な調査、交流、市民のみなさんの協力が必要になるでしょう。彼らの技術には我々の窮状を救う力があると思われ、現在——」

「あのう、すみません」

「何でしょう」本村が応答する。

「この間は巨大水棲爬虫類すいせいはちゅうるいのアマッシーで、今度は宇宙人ですか? たいへん興味深いお話の途中で恐縮なのですが」水上記者がため息をつく。「昨晩の豪雨被害で市の重要なライフラインである淡水化装置が故障したと聞いています。本当なら大問題と思いますが、その点、如何でしょうか」

「はい。たしかに淡水化装置は昨晩の大潮と風雨の影響でポンプが水没し、残機五台のうちの二台が機能を停止しました」本村が答える。

「大問題ではないですか! このような事態は海面上昇の速度から充分予測できたはずです。朝倉市長、この責任をどう取られるおつもりですか」

「話は最後まで聞いてください。淡水化装置は、いったん停止しましたが、その後、市長の言う地球外知的生命体、我々はピピと呼んでいるのですが——。そのピピのお陰で復旧しています」

「はい?」

「はい。なんでしょう」

「本村さん、あなたまで宇宙人の話を?」

「ええ。私も最初は信じられなかったのですが——」無理もないと思いながら、本村は昨日の事を思い返した。


 十月十日の十五時。第三淡水センター当直の急病で、非番の本村が交代要員として呼び出された。十七時からは初時雨はつしぐれだろうか、激しい雨が降り始めた。楽しみにしていた皆既月食の観測は絶望的だ。この世の不運はぜんぶ雨のせいのような気がしてきた。街やビルやこの地球を海に沈めてしまった犯人も雨に違いない。雨音を聴いていると、遠くの雨は細かく、近くの雨は粗い音がする。ホバータクシーのライトが淡水センター当直室の天井に影を落として通り過ぎる。波音がそれを追いかける。窓を開けると、遠くにビルの明かりが霞んでいる。赤と白と黄色の光。雲の奥から無人偵察機の音が低くゴウゴウと響いている。湿った風が吹く。


 淡水化装置の出力低下を知らせるアラートが鳴り響く。またクラゲでも吸い込んだか。ポンプ室へ降りると海水とカビの匂いが鼻を衝く。水がたまっていて靴がズブズブになる。嫌な汗がふき出す。ポンプが水没していた。緊急事態だった。ここだけじゃない。天島市の淡水化装置、すべての飲料水と農業用水が危機に瀕していた。


 この雨は天罰なのかもしれない。いつも本当の犯人は人間たちだった。応援を呼ぼうと階段を駆け上ると、照明が消えた。受話器を取った。どこにも繋がらない。窓の外を見る。停電か。目隠しをされたような闇に目を凝らしていると雲間から何か明るいものが見えた。欠け始めた満月にしては、様子がおかしかった。それは真っすぐこちらへ向かって飛んで来て、淡水センターの上に静止したように見えた。


 もつれる足で屋上へ上がる。ドアを開ける。低く浮かんだ大きな円盤の下に、宇宙服のようなものを付けた、本村の腰ほどの背丈の何者かがいて、それが本村に向かって「ピピ?」と言った。雨と風は止んで、雲間から本物の月が顔をのぞかせる。まばらなビルの間の海面に月光がきらきらと反射していた。


「それで、そのピピさんが淡水化装置を修理したと」水上記者は市長が連れてきたピピを怪訝けげんな表情で見つめる。「いくつか質問があるのですが」

「はい。何でしょう」本村が応答する。

「まず、第一に」水上記者が眼鏡を押し上げる。「ピピが宇宙人だという証拠はありますか。そして、第二に。ピピが宇宙人だとして地球に来た目的は何でしょう」

「一つ目の質問ですが、ピピは地球にない、魔法のような技術を持っています」朝倉市長が答える。「後日公開試験をご覧頂けばお判りになるでしょう。数年前に水没した第一淡水センターの淡水化装置を復旧させます。第二の質問についてはピピ本人に答えて貰いましょう」

「ピピ。マグネシウムが必要です。地球にたくさんあるので分けて欲しいとお願いしました」

「マグネシウム?」

「はい。マグネシウムです」

「言葉が分かるんですね。ええと。マグネシウムは何に使うんですか?」

「ピピ、マグネシウム使いません。集めているだけです」

「どういうことでしょうか、市長?」

「言葉通りの意味でしょう。ピピの星では金銀財宝のような価値があるようです」

「マグネシウムに希少性があるようには思えませんが——」

ピピはきょとんとしている。

「まあ、いずれにしても。市議会ではマグネシウムを海水から抽出するプラントの建設に協力したいと考えています。その見返りに」市長は本村を一瞥し、水上に向き直る。「なんとピピは海面上昇を食い止める技術を提供すると約束してくれているのです。実現すれば天島市は全世界のコミューンから注目を浴びるでしょう」

「うーん。どうすればそんなことが」

「これを使います」ピピが足元の球体を指差す。

「何ですか、これ」

「可愛いでしょう」市長が口を挟む。「我々はマジマジロと呼んでいます」

「これを使うと機械の修理ができます。いろいろな問題が解決します」

「ことによると、ケスラーうんの除去も可能かもしれません」

「ケスラー雲?」

「アストリアス号事件ですよ」本村が補足する。「天気予報もGPSも宇宙開発も全部パーになった、史上最悪の事故です」

「ああ、あの。アストリアス号が突っ込んだ人工衛星の破片が人工衛星にぶつかって、そのまた破片が人工衛星にぶつかって、地球の空がごみだらけになったという」

「はい。その連鎖爆散衝突ケスラーシンドロームで発生した宇宙ごみスペースデブリの層がケスラー雲です」

「本当に除去できるかどうかは分かりませんがね。記事には友好条約の起草に着手したと書いておいてください」にこにこしながら市長が言う。「そろそろ時間ですか」

「そうですね。公務がございますので、取材はここまでということで」本村は質問を続けようとする水上記者をさえぎり、市長とピピと転がるマジマジロを退室させた。


 翌朝、天島新報の一面には「詐欺かペテンか救世主、宇宙人の口車に乗る朝倉市長」の文字が躍った。天島新報社の電話が鳴る。水上が取る。案の定、市長からだった。

「あの、困るんですよね、こういう記事を書かれると」

「客観的に書かせて頂いたつもりですが。それより市長、淡水化装置の修理実験は、いつですか」

「どこが客観的ですか。偏向報道です。今度はちゃんと書いて貰いますからね。試験は今日行う予定です。正午に現地まで来てください」

「第一淡水センターでしたっけ。市長こそ冷静になられた方がよいと思いますよ。ピピがただのペテン師ならともかく、その力が本物なら脅威ではないですか。本当の目的が侵略だったらどうします?」

「ピピは我々の味方です。彼がその気なら、とっくに侵略していると思いませんか」ガチャンと電話が切れる。

水上が受話器を置いて肩をすくめる。「高柳たかやぎ社長、実験は正午からだそうです」

「じゃあ、こっちも準備をしないとな。まったく何が宇宙人だ」高柳孝也たかやぎたかやは水槽の金魚に餌をやる。「俺がこれまで水ビジネスにどれだけ投資してきたと思ってる」

「ええ。次期市長は高柳さんになって頂かないと困ります」

「ああ。そう簡単に地球を救われたら困るんだよ、我々は」


 十二時半、洋上。カモメが鳴いている。水上と高柳がクルーザーで到着する。

「来ないのかと思いました。ビデオは回してありますがね。いまピピと本村君が淡水化装置のサルベージを行っています」朝倉がボートの下を指差す。


 大気圧潜水服を着た本村は海底に到着したところだった。ピピが浮遊し、本村のあとをついてくる。マジマジロがそれに続く。第一淡水センターは、アストリアス号の事故が起こるまでは天島宇宙センターという名前だった。建物の右の方にロケット発射台の残骸が見える。跨線橋こせんきょうの先にはドームがあって、本村は子供の頃そこでプラネタリウムを見たことがあった。淡水化装置は試験棟の三階にある。ドアを開け、照らして進む。壊れた窓から魚が出入りしている。二階の壁にアストリアス号を作ったトレントン社のロゴと火星テラフォーミング計画の文字が見えた。宇宙飛行士を夢見ていた頃のことを思い出す。三階で装置を見つける。銘鈑めいばんを払うとマリンスノーのようなものが舞い上がる。「これだ。運べるかい?」ピピがうなずいて手をかざすと、マジマジロが光り始める。ボルトが外れ、淡水化装置が浮遊して移動する二人の後をついてくる。


 建物の外で浮上する。ピピの手を借りボートによじ登る。ヘルメットを外す。背後のクルーザーから「ご苦労さん」と高柳の声がした。振り向くと、後ろ手に縛られた朝倉市長の頭を高柳の拳銃が狙っていた。

 状況が理解できずにいると、ふいにボートの陰から水上が現れ、マジマジロを奪われた。クルーザーの高柳がキャッチして「捕縛」と言う。ピピと本村はマジマジロが放った触手に絡めとられてしまう。

「どういうつもりだ」

「宇宙人による侵略を阻止しないといけないからな。昨日色々と偵察させて貰った」

「ええ。残念ですが、明日の一面は『怪獣アマッシーの襲撃か!? 波間に消えた市長と宇宙人』ってところですね」水上がクルーザーに乗り移りながら言う。

「ばかなことを」

 触手は金属製のようで、びくともしなかった。ピピも何もできないらしい。本村は奥歯を噛みしめる。後悔が広がる。「観念するんだな」高柳が勝ち誇ったように言う。

「ひとつ謝らないといけないことがある」本村がピピに耳打ちする。「あの晩、きみに海水が欲しいと言われて、この装置を直してくれたら分けてやるって言ったよね。——ごめん、あれ嘘だったんだ。海水は誰のものでもないんだよ」

「ヘルメットかぶれますか?」

「ああ、ボタンは押せる。水中に逃げるのか」

「いえ。行くのは海の中ではありません。——宇宙です」

 本村がヘルメットを装着するのと同時に、海が口を開けてボートを飲み込んだ。丸い空が星形に縮まってシャッターが閉じる。クルーザーが大波で揺れる。転倒する高柳の手からマジマジロがこぼれる。転がるマジマジロを市長が足で押さえ「捕縛」を命じる。高柳と水上がぐるぐる巻きになる。


 本村が目を覚ますと夜空に糸のような三日月が見えた。酸素残量計のアラートが鳴っている。ヘルメットを外そうとして気が付いた。一昨日が満月で今日が三日月というのはどういうことだ。見渡すと夜空の下に、明るい砂漠が広がっていた。空の三日月もよく見ると月にしては大きくて青い。あれが地球で、ここが月面に違いなかった。もうすぐ酸素がなくなる。ピピを探す必要があった。


 ふわふわと歩くうちトレントン社のロゴマークを見つけた。静かの海の仮設居住区だ。子供の頃、雑誌で見たことがあった。気密室に入り、祈るような気持ちで酸素供給のボタンを押す。部屋に空気が満たされる。メーターを確認して潜水服を脱ぐ。窓からは大空洞への入口が見えるはずだ。直径は百メートル程だが、天島市ならすっぽり入ってしまう空っぽの空間——。ところが、大空洞の中には目を疑うような巨大プラントがひしめいてる。本村の知らない事が起きていた。テーブルの上のノートに目が留まる。吉塚閑よしづかしずか博士の手記だった。


 手記を読みふけっていると、ピピが部屋に入ってきて「いいマグネシウムができました。次は地球の海水をぜんぶここへ運びます。協力してください」と言った。

「海水全部か。ピピはすごいな。——でも、もういいんだよ」本村はピピに初めて会った時のことを思い出した。「ちょっと話を聞いてくれるかな」

「何でしょう」

「きみがマグネシウムを集めていた訳が分かったんだ。トレントン社が開発した月開発ロボットの子孫、それがピピだったんだね」

「初めて聞きます」

「うん。そういうことには興味がなかったかな。地球では起こらなかった技術的特異点シンギュラリティが月では起きて、とても不思議な文明が築かれたみたいだ。この手記には、ロボットに火星探査船の建造材料としてマグネシウムの収集を命じたと書いてある。あそこに見える巨大プラントも、すべてマグネシウムの効率的な収集のために作られたものなんだね」

「はい」

「でもね、ピピ。火星探査船を作るだけのマグネシウムなら、もう集め切ってしまったんじゃないのかな。月の砂レゴリスにもマグネシウムは含まれているだろう?」

「ピピピ、ピピ。火星探査船のことは知りませんでした。マグネシウム沢山あります。でも、もっと欲しいです」

「これを読んでごらん。君なら理解できると思う」本村が手記を手渡す。あっという間に読み終わる。

「ピピピピ。ピピ、混乱しています」

「対人関係ユニットにピピ自身を当てはめてみることはできないかな。それが地球のロボットといちばん違うところみたいだから」

「ピピ、ピピピ。実行しました。客観的に見て、ピピ達が変なことをしていることは分かりました。すぐには無理ですが、目的の修正ができないか調べてみます」

「かなわないな。やっぱりピピはすごいや」本村はもう一度プラントを眺めた。


 一年後、朝倉市長と本村は月面から地球を見ていた。

「少し前まで青いばかりの惑星だったが、心なしか陸地が増えてきた気がするな」

「ピピのお陰です。ケスラー雲もほとんど除去されたみたいです」

「とんとん拍子すぎて少し怖い気がしてきた。我々はどこまで行くのかな」

「思うんですが、海面上昇も、アストリアス号事件も、そして高柳の件も、その背景には、増長を続けようとするヒトのエゴがあったんじゃないでしょうか」

「そんな人類のエゴが宇宙に広がっていくと思うと悪夢だな」

「いいえ。火星まで行ってみましょう。宇宙のことを知れば知るほど人類の小ささが分かりますよ。成長ってたぶん、大きくなろうとすることじゃなくて、自分の小ささを知ることで起きるんです。ちょうどピピがそうだったみたいに」

「分かった。付き合ってやる。君もずいぶん、成長したみたいだな」

「ピピにはかないませんけどね」

「火星への出発は来月か。まだ少し時間があるな。ちょっと地球まで付き合え」

「市長。もしかしてまた、あれですか」

「ああ、それまでにきっと捕まえてやる。アマッシーは本当にいるんだ」

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