読書エッセイ『直観的な小説を読みたい!』(KAC2021:お題【直観】)

石束

言葉の海に『直観』を探す



 お題が発表された3月12日正午。


「よしきた! 直感かあ! 運命の出会い! 宿命の邂逅! そして一目ぼれ! 楽勝楽勝♪ ラブコメだあ! いや、待てよ。のちに長く戦うライバルのファースト・コンタクトでも……――ん?『直観』?」


と、二度見したのは石束だけではないでしょう(確信)

 この時点で私が思いついた話は小説もエッセイも「直感」からの連想です。このまま書いてはお題と違うものになりそうです。こいつはまずい。――と「直感」で書こうとした脳みそをいったんリセットして白紙に戻し、


「そもそも、『直観』とは、なんだ?」


と考えることになりました。

 一見分かりやすそうに見えて、いかにも思い込みを誘発しそうな、解釈の難しい言葉。

 いったい、どこのどんな人がこんな「落とし穴(二重底)」のようなお題を考えたのか。


 ……やってくれるぜ。大本営。


 ■ □ ■


 そこで、いつもどおりにWiki先生を頼ったところ、実に分かりにくい哲学用語の説明で早々に当てにするのをやめました。

 文学部がみんな哲学用語理解できると思うなよ! ラテン語とドイツ語できるやつがそんなにエライのか! お前らサンスクリット語で年賀状かけないだろ! ばーかばーか!(仏哲畑)


 ……失礼。ここは素直に辞書を引くべきでしょう。


 まず、三省堂の『現代新国語辞典』。『現代国語辞典』の流れをくんで1998年に発行された辞書で、ウチにあるのはその第十刷。


 ちょっかん【直感】説明やりくつなどなしに、ものごとを感じとらえること。


 ――うん。いつも使っている言葉です。わかりやすい。


 ちょっかん【直観】ものごとの本質を直接的にとらえること。また、その心のはたらき。

 類語 「直覚」


 ちょっかんてき【直観的】論理的な考えによらず、ものごとを直接的にとらえるようす。


 ……違うのはわかるけど、何が違うのかわかりませんし、小説での使いどころもわかりません。


 続いて冨山房『新編 大言海』。維新まもない明治初期。諸外国に劣らない「国語辞書」をと、明治新政府から編纂を命じられた大槻文彦が十年の時を費やして完成させた日本初の近代的国語辞典『言海』。大槻は『言海』を増補改訂した『大言海』を作ろうとするも、道半ばにして死去。遺志を継いだ人たちによって死後『大言海』が刊行されました。三浦しをんの『舟を編む』でも登場する『はじまりの一冊』。これを引かないとはじまりません。

 というわけで、その該当項目にいわく


ちョッかん 直觀〔英語Intuitionノ訳語〕哲學上ノ語。直接二知覺スルコト。推理、經驗、等二因ラズニシテ、直接二事物ヲ知覺スルコト。ちョっかく(直覺)二同ジ。


ついでに

 

ちョっかく 直覺〔英語Intuitionノ訳語〕哲學上ニテ、推理、經驗、等二因ラズニシテ、直接二事物ヲ知覺スルコト。ちョくくワん(直觀)二同ジ。


 いやーやっぱ『大言海』の文章はシンプルでかっこいい。――いや、まてよ。これはつまり「直感」の項目がなくて「直観」と「直覚」が同格扱い! 


「直感」の方が後発で、主流は「直観」で、その元が「直覚」なの、か?

 普段使っている「直感」が実は辞書の世界では扱いが軽い(笑)


 むうーん。『アホ・バカ分布図』みたいなことになってきたぞ……


 ――なお余談ですが。


 ウチにあったもう一冊の辞書は、色んな意味で個性的に過ぎると評判のアレ、三省堂の『新明解国語辞典』でして。「直観」の項目の内容はそんなに面白くなかったのですが、「直感」はとうとう「直観」の項目の後ろに付録みたいに説明があるだけになっていました。よその辞書は大体別々の項目だったのに、です。「思いきってるなあ」と、凡例をみると

「似ている内容の言葉は後ろにくっつけてスペースを節約しました」という意味のことが書いてありました。

 …………いいのか? それ?

 というか! そうやって浮かしたリソースをあの無駄に長い説明とかにつっこんでるのかっ! 今まで個性的な解説文にばかり目が行ってましたが、そりゃそうだよね! ああいう文章を増やした分どっか削ってるはずだよね! でも!そんなピーキーな辞書作りをしてるあんたたちが、俺は大好きだよ!


 ……ぬう。思わぬところでまた一つ、新解さんの闇に触れてしまった。


◇ ◆ ◇


 哲学用語『intuition』インテューション……でいいのかな?(自信がない)

 この訳語が「直覚」であり「直観」。試みに哲学及び思想関係の事典を引いてみると、ヨーロッパから西洋哲学が入ってきた時に同じ概念が英国の本では「直覚」と訳され、ドイツやフランスの哲学書おいては「直観」の言葉があてられたとか、元々は「直覚」だったが、研究が進むにつれて「直観」に統一されたとか。

「直感」はどこから来た語かわかりませんでした。調べるたびに「直感」の株がさがります。どうしよう? 

「直観」がセイバーで、「直覚」がセイバーオルタとか、無理くり擬人化すると私個人はわかるような気になるけど、他の人には伝わらないだろうし。いまいち関係がわからないけど顔はそっくりというと「直感」はモードレッドあたりだろうか?(Fateネタやめろ)沖田やヒロインXまでいくと離れすぎのような気がするし(だから、やめろ)

 まあ、ここで「直観」の説明を読みだすと結局、Wiki見に行った時とおなじになりますので、ここでは使用され始めた経緯を紹介するにとどめ、別のアプローチを試みたいと思います。

 実は石束、「直観」はどの本でもピンときませんでしたが、親戚筋の「直覚」の方になら覚えがあります。


 ◇ ◆ ◇


 ある海水浴場で主人公の書生、『私』は一人の人物とであい、その人間性に強く惹かれていく。ともに時間を過ごし言葉を交わし、散歩をする。静かで控えめでありながら、言葉の端々に先達としての見識ややさしさを感じ、またそれでいてけっしてこちらを踏み入らせない壁を感じもする。そして主人公はやがて、興味や好奇心というにはあまりに衝動的かつ強すぎる姿勢で、彼が『先生』と呼ぶ人物のプライベートに踏み込んでいく――。


 読書を趣味にすると避けて通れないもっとも身近な文豪(笑)夏目漱石。その、これまたファン投票をすれば高確率でトップ争いをするであろう代表作『こころ』。

 この傑作中に、こんな文章があります。


《けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶をした時も、懇意になったその後も、あまり変りはなかった。先生は何時も静かであった。ある時は静か過ぎて淋しいくらいであった。私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこのが後になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿げていると笑われても、それを見越した自分のをとにかく頼もしくまた嬉しく思っている。人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入いろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。》


 主人公の衝動と行動への意思。『こころ』という物語の行く末を決定づける重要な一節。『先生』が選んだ未来の中に『私』の存在が食い込み、あの『遺書』という形で結実するに至る、そのトリガーとなるシーンの中に、今私たちが問題にしている「直感」と(「直観」の代理的存在としての)「直覚」が使われています。相手が西洋哲学なら手も足も出ませんが、折に触れて読み返した漱石なら、勝負になる!(笑)

「直感」は『私』の心の中に突如出現した『先生』に近づくべきだという「閃き」です。本人にもよくわかってません。ただそうせねばならないと「ピン」ときたのです。そして「直覚」は「若々しく」「馬鹿げている」と後に苦く皮肉気に思い出しながらも「俺は間違っていなかった」と胸を張る「覚り」です。未熟で無思慮な自分自身で、これは本来「直覚」なんて哲学用語にできるようなもんじゃないけど、でも自分の人生にとっても、もしかしたら『先生』にとっても、必要なことだったんじゃないだろうか、という述懐です。


 つまり、漱石は、このシーンで「私」の思考を表現するにあたって「直感」は妥当で「直覚」(直観)は妥当ではない、と使い分けをしているのです。


 漱石はこの「直覚」あるいは「直覚的」という言葉を小説の要所で使っています。『吾輩は猫である』にも「直覚的」という言葉が出てきます(ついでにオリジナルの対義語「曲覚的」なんて言葉もある)し、漱石の死によって中断された絶筆「明暗」では、ヒロインのひとり「お延」のキャラクターを語るさいに「直覚」という言葉を使っています。

 漱石は、鋭い感性をもつ登場人物とくに女性を彩る言葉として、しばしば、この「直覚」を用いるのです。


◇ ◆ ◇


 漱石の執筆期間は38歳から49歳。明治の終わりから大正始めの約十年間です。この時代には「直観」よりも「直覚」の方が一般的だった……と言い切るには材料が足りません。ただ少なくとも「直感」とは明確に使い分けるべき言葉と思われます。勿論、それは全体ではなく作家の個人差もあったでしょう。中島敦は『文字禍』で「直観」を使っていますし、吉川英治は『宮本武蔵』の中で、「直感」「直覚」「直観」を使い分けていました。たとえば、とっさの判断や伊織らが判断する時は「直感」で、武蔵や夢想権之助が相手の力量や性格を看破する時は「直観」を使ったりするとかそんな具合です。「兵法の達人が一瞬で相手の本質を見破る時は『直観』がふさわしい」という判断だったのかもしれません。


 というわけで。

 哲学的にはさっぱりだけど、住みわけがわかったような気分になったところで、小説の方の参加作品を書き始めようかと思います。


【以上】

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読書エッセイ『直観的な小説を読みたい!』(KAC2021:お題【直観】) 石束 @ishizuka-yugo

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