それは直観ではなく……

澤田慎梧

それは直観ではなく……

「直観というのはね、時に論理的思考を凌駕するものなんだ」


 ――夜。いつもの行きつけのバーで博通ひろゆきと飲んでいると、彼が不意にそんなことを言いだした。


「将棋の棋士はさ、脳の中に優れた直観力を実現する為の『回路』が形成されているって話、知ってる?」

「いや、知らない」


 私の答えに苦笑いしつつ、博通が更に言葉を紡ぐ。

 店内に微かに流れるモダンジャズの音が、僅かに大きくなった気がした。


「昔ね、脳科学の実験でこんなものがあったんだ。プロの棋士とアマチュアの人達に同じ盤面を一瞬だけ見てもらってから、四つの選択肢の中にある最適解を選んでもらう――つまり直観で答えてもらうってことだね。すると、何が起こったと思う?」

「……プロの方が早く回答できた?」

「あははっ! まあ、そうだね。当たり前だけど、プロの直観の方がはるかに優れていた! でも、それだけじゃない。彼らの脳の働きをモニタリングしていたら、面白いことが分かったんだよ。アマチュアの人達は『前頭連合野』っていう、思考や創造を担う部位が活性していたんだ。ヒトの脳で最も発達している部分だね。『ヒトをヒトたらしめる部位』なんて言い方もされる」


 言いながら、自分の前頭部を指でコツコツと叩く博通。なんだかいい音がして、少しおかしい。


「『最適解はどれか?』って考えてるんだから、まあ当たり前だよね。――ところがね、プロ棋士の人達は、前頭連合野以外にもある部位が活発化していたんだ。『大脳基底核』っていう、脳に古くから存在する部位さ。こいつは、主に運動コントロールを司ると考えられていて、ネズミなんかを見ると人間よりも発達している部位なんだ。そいつが活性化していた……どういうことだと思う?」


 「ドヤァ」と言いたげな表情を浮かべながら、博通が私に問いかける。

 私は飲みかけのストロベリー・ダイキリを口にしながら、「さぁ?」と首を横に振ってみせた。けれども博通は気分を害した様子もなく、更に話を続けた。


「この大脳基底核というのはね、習慣的な行動も司るらしいんだ。学習や記憶を司る、と言いかえてもいい。そこが活性化していたと言うことは、プロ棋士の脳には長年の間に学習した幾多の盤面を参照し、求める最適解を導き出す回路が形成されている、というわけさ。つまり、膨大な経験に直接アクセスする最短経路が確保されている。

 ――それがプロ棋士の持つ圧倒的な直観力の正体、ってわけだね」


 博通はそこまで早口でまくし立てると、喉の渇きを覚えたのか、バーテンに「ウォッカ・マティーニを。ステアせずにシェイクで」とおかわりを注文した。

 どうやら、最近になって某有名スパイ映画にハマっているらしい。分かりやすい人だ。


「トップ棋士同士の対局なんかだとね、頭で一生懸命に考えた一手よりも、直観で打った一手の方が有効だったりするらしいんだ。つまり、時に直観が論理的思考を凌駕するわけだね、うん」

「……最初の話に戻ったわね。で? 何が言いたいの、博通」


 いつもながらの回りくどいやり口に思わずため息をつきながらも、義理として博通に問いかける。もちろん、博通が次に口にする言葉は分かっている。酔いが回り酩酊した頭でも分かる。

 そう。それこそ直観的に。


「あー、つまりね。論理的に考えれば、俺が今日、君を部屋に誘ったところでOKをもらえるわけがない、という帰結に至るわけなんだけど……俺の直観は『今日こそいける!』って言っているんだよ! ってわけで、今晩どう?」


 ――博通の誘いに対する私の答えは当然「ノー」だった。

 まったく。直観どころかとんだ山勘だ。



(了)




参考文献など:

https://bsi.riken.jp/jp/asset/img/about/timeline/pdf/100.pdf

https://www.riken.jp/press/2012/20121128/

※作中のあれこれは酔っ払いの戯言ですので、真面目に知りたい方はこちらをどうぞ

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それは直観ではなく…… 澤田慎梧 @sumigoro

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