少女心中

マフユフミ

第1話


その少女を殺さなければならない、と思ったのはきっと直観だった。


麻里奈はまじまじと少女を見る。

白い肌、黒く長い髪、折れそうなほど細い腕。

麻里奈にとって、その女はどこをとってもまさに理想的な「殺すべき人間」なのである。

ずっと、探していた。

いつか殺してやろうと考えていた。

日々その少女の姿を夢想してはその胸にナイフを突き立てる絵を思い浮かべていた。

そして今日、麻里奈はついにその少女と出会ったのである。





その少女に殺されるのだろう、と思ったのはきっと直観だった。

美保奈はまじまじと少女を見る。

くっきりした二重に縁どられた大きな目、はじける笑顔、誰もが見とれてしまうような美しさ。

美保奈にとって、その少女はどこをとってもまさに想像通り「自分を殺しに来る人間」そのものだった。

ずっと分かっていた。

いつか来るのだろうと思っていた。

日々その少女の姿を夢想しては、自分の胸に突き立てられるであろうナイフに彫られた飾りを思い描いていた。

そして今日、美保奈はついにその少女と出会ったのである。





それはひどくジメジメした6月の最後の日だった。

「東野美保奈さん、よね?」

問いかける少女の、艶めく唇。

「そう、ですが…」

クラスでも一番地味で、陰気な少女に訪れた突然の華やいだ出来事。

「ずっと、探してたの」

確信に満ちた少女の声。

学校中の噂になっている美人転校生が目の前に立っているという事実。

そしてそれが、昔から自分が待っていたであろう人物だということを美保奈は瞬時に悟っていた。

「……人違い、じゃないですか?」

きっとそんなことはないと本能で感じ取りながらも問いかける。

「…何故そう思うの?」

「あなたみたいに華やかな人が、こんな私みたいな人間と関係があるようには思えないので」

美保奈の言葉に、少女は破顔した。

「なんだか随分冷静なのね、東野美保奈さん」

何がおかしいのか分からないまま、美保奈は少女の笑いが治まるのを待つ。

「色白で病弱、友達はいなくてクラスでも変わり者と呼ばれている。休み時間はいつも本を読んでいて、成績はトップクラス。そういう噂を聞いてきたんだけど」

すらすらと読み上げる間も、その表情から笑みは消えない。

「概ね合ってると思います」

「概ね、とは?」

「クラスメイトたちが私をどう呼んでいるのかは、私自身が与り知らないところでの情報なので」

「ふふ、やっぱりあなたおもしろい」

少女は始終上機嫌のようだった。

「放課後に会いましょう。屋上にいるわ」

「…どうして?」

「さあ、どうしてかしらね」

ふわりと微笑んで、少女はくるりと振り向いた。柔らかな髪が揺れる。

突然の出来事に、まだ気持ちがついていかない。

ただ、ついに自分は殺されるのだ、という安堵だけが美保奈の心を占めていた。






美保奈は生まれつき体が弱かった。

内臓のあちこちが壊れたまま生を受け、これまでの半生は病院で過ごした時間の方が長いほどだった。 

それでもここ数年はなんとか自宅で過ごすことができるようになり、休みがちではあるものの高校に通うことができるようになったことを、女手ひとつで美保奈を育ててきた母は泣いて喜んだ。

「これで美保奈も普通の女の子として暮らせるのね」

喜びにむせぶ母を横目で見ながら、美保奈は複雑な思いを抱えていた。

「私が普通の女の子になることはないのに」と。


これまでがこれまでだったためか、美保奈は同級生の女の子たちと親しく交流したことはなかった。どうしても若々しく溌溂とした女子高生のノリについていくことができず、またそこについていくことに何の魅力も感じなかったため、美保奈は生活の大半を独りで過ごしていたのだった。

病院という環境で育ったことも、美保奈を「普通の」女の子から遠ざける一因であったのだろう。生と死が紙一重に存在する世界で養われるのは、高校生らしからぬ落ち着いた振舞いと冷静な思考であり、そんな美保奈が一般の女子高生と折り合えるかと言われるとはなはだ疑問である。


それでも美保奈は、そんなことを母親に伝えるつもりは一切なかった。

母の安心は嫌というほど伝わってきているし、これまで迷惑をかけてきた以上、ある程度は母の望む娘の姿でありたいと思っていたのだ。

それなのに、そんなささやかな願いすらもぶち壊される日がやってきた。

美保奈の病は再発し、医師や看護師の話を偶然聞いてしまった美保奈は自分に残された時間がほぼないことを知ってしまったのだ。

母には言えないまま、美保奈は日常生活を送っていた。

残された時間をどうすべきか、そしてそれにより母をさらに苦しめてしまうのではないか。

美しい少女の襲来は、美保奈がそんなことを悶々と考えていたちょうどそのときだったのだ。







須藤麻里奈は噂の転校生だった。

その華やかな美貌、明るくはきはきした性格。

あっという間に麻里奈の存在は高校中に知れ渡り、その存在は閉鎖的な学園生活において突如現れたスターのようになっていた。


麻里奈の家は、大会社の社長をしている父、専業主婦の美しい母の3人家族である。

近所でも一際目立つ大きな邸宅はいつも季節の花にあふれ、玄関先に停まっている高級車は常にピカピカに磨かれている。傍から見れば何の不自由もない裕福な生活を送ってきた。

しかしその実、麻里奈は常に疎外感や閉塞感にさいなまれていた。

母は常に麻里奈を疎ましく思っているようだったし、父は常に麻里奈の機嫌を伺いつかず離れずのスタンスを保っていた。

その理由を知ったのは、麻里奈が小学校5年生の時。

学校の発表会で主役を演じることが決まり、見に来てほしいと告げたときに母は一言言った。

「何故行かなければならないの?本当の子供でもないくせに」

麻里奈はそこですべてのことを察知した。

「やはり私は望まれていない子供だったんだ」と。


そしてその夜、父に聞いたのは想像を絶する事実だった。

自分には本当の母と、二卵性双生児の姉がいるということ。

その姉の体があまりにも弱く、命をつなぎとめることに母が必死になっていたこと。

子供のことしか頭のない母に嫌気がさし、自分の跡取りとなるだろう麻里奈だけを手元に置き、母と姉を追い出したこと。

その後、美しく聡明な現在の母と出会い結婚したこと。

現在の母は子供を産めない体であるため当初は麻里奈を我が子としてかわいがっていたが、成長するにつれて麻里奈の若さと美しさに対して異常なまでに嫉妬心を抱きはじめたこと。


それらを語った後、父は言った。

「あの子の体さえ強ければ。いや、それよりもすぐに死んでしまっていればこんなことにはならなかったんだ」

その言葉を聞いた麻里奈は、いつかこの手でその少女を殺めることを決意した。

誰にも愛されなかった自分のために。

たった一人の母を奪われ、望まれない存在としてここにいるかわいそうな自分のために。






約束とも言えないような一方的な約束によって、美保奈は放課後の屋上へ来ていた。

美しい少女はすでにそこにいて、ああ、こんなところでも美人は絵になるのだなあ、などと現状からはおおよそ似つかわしくない感想を抱いていた。

「お待たせしました」

美保奈はその端正な横顔に声をかける。

「来たのね」

少女は笑顔を浮かべて振り向いた。


傾きかけた日差しは、それでも熱を失うことはなく二人を照らしている。

風はほとんどなく、吹奏楽部の奏でる音色や運動部の掛け声など、放課後の音だけが二人を包む。

「どういったご用件でしょうか」

分かり切ったことを聞いている自分は、さぞかし滑稽なことだろう。

それでも一通りの手順は踏むべきだろうと美保奈は判断した。

「私、あなたを殺しに来たの」

少女は後ろに回していた右腕をこちらに差し出す。その手にはナイフが握られていた。

「……わかりました」

やはりそうか、と美保奈は思う。自分の直観は外れていなかった。

美保奈は羽織っていたカーディガンを脱ぎ、制服一枚になる。

「これでいいですか?」

ナイフが自分を貫くときは、いったいどんな痛みなのだろう。

それでもその痛みは、これから最期の時を苦しみ母を泣かせながら過ごすよりも楽なものであるはずだ。

「……なんで?」

少女の手が震えだす。

「なんでそんなに落ち着いていられるの?」

「……だって、知っていたから」

あなたがいつか私の前に現れるであろうこと、そしてそのときあなたが私を殺すこと。

「そうでしょ?麻里奈」

初めて呼ぶ妹の名前。美しくて明るくて、どうしようもなく屈折した愛しい妹。

「……み、ほな…」

麻里奈は美保奈に駆け寄り抱きしめた。

その体は哀しい程に細く、壊れてしまいそうだ。

「……ずっと、会いたかったの」

美保奈は麻里奈の胸に顔をうずめながら話す。

「私のせいでごめんなさい。愛してあげられなくてごめんなさい」

美保奈は知っていた。

母が自分の体に必死になるがために捨てられた妹の存在を。

いつか会って一言謝れたら、そう思っていた。

「美保奈……ずっと、ずっと憎んでた。そして、ずっと愛していた」

麻里奈は美保奈を殺したいほど憎んでいた。そして、殺したいほどその存在に焦がれていた。


「お願い、私を殺して」

美保奈の願いを叶えるのは私だ。麻里奈はそれをずっと信じて生きてきた。

「分かったわ」

麻里奈は、両手でナイフをしっかり握りなおすと、それを美保奈の背中に突き立てた。

「……ぐっ」

息を詰め、痛みに耐える美保奈を抱きしめ、麻里奈は屋上のフェンスへと体重をかける。

「これからは、ずっと一緒よ」

かすかに頷いたのを見届け、勢いをつける。

美しく微笑む麻里奈は、血にまみれた美保奈を抱きしめたまま屋上から墜ちていった。

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