「今日、地球人類は滅亡すると直観しました。

葎屋敷

なぜなら空に赤い光をいくつも見たからです。

 なので私は今日一日を自由に、楽しく過ごそうと決めたのです。


 そこで向かったのはケーキ屋です。本当は誰かと一緒に行きたかったのですが、ひとりっ子の私には他に誘う相手もいません。

 しかしチョコレートケーキを食べられるのですから、一人でも文句はありません。こんなにおいしいものは初めて食べました。ポケットに詰めたなけなしの隠し財産はすっからかんですが、それもノープログラムです。なんたって今日が世界最後の日ですから。


 そして私は公園のベンチでうたた寝をしました。お日様に当たりながら眠るのはとても気持ちが良く、地球最後の日にして、私は初めてこんなに穏やかな眠りを経験できました。


 こうして、私は今日一日自由に過ごしました。ですがそれも仕方ないことなんです。だって今日は――」


「それが夏休みの宿題をやらなかった言い訳?」


 母の言葉にぎくりと肩が強張った。それまで読み上げていた原稿文から目を離し、上を見る。そこには鬼の形相で私を見下ろす母の姿があった。


「いや、だから今日は地球最後の日で――」

「あんたって子は! 夏休みの宿題もやらずに遊びまくったと思えば、そんな作り話! というか、ノープログラムじゃなくて、ノープロブレムでしょ!」


 確かに今日は母の言う通り夏休み最後の日、八月三十一日だ。しかしそれがどうしたというのか。私には関係ない。学校なんてしばらく行っていないものよりも、地球滅亡の方が重要だろうに。


「ち、違うもん。本当に今日は地球最後の日だよ」

「まだ言うか。いい? 母さん今年は助けないからね。あんたも中学生になったんだから、一人でやりな!」

「だーかーらー。地球最後の日だから、宿題やっても意味ないんだって!」

「もう。そこまで意固地にその作り話続けようってなら、お母さんも容赦しません。デザート用に準備してたチーズケーキはあんたの分もお兄ちゃんにあげちゃうから」


 母の衝撃の発言に私はまんまるに目を見開き、ついでに口もぽかんと開けた。


「ば、ばかな! 私から最後の晩餐を取り上げようと言うのか!」

「どうしてもチーズケーキ食べたいなら、今からでも宿題やってきなさい。終わったら食べさせてあげるわよ」


 母の横暴により、私はチーズケーキの没収を言い渡された。宿題が終わればチーズケーキは私の手中に納まる。しかしそれは一切やってこなかった宿題の山を今から今日のうちに終わらせるということだ。すでに時刻は夜の六時。間に合わない。間に合うわけがない。


 母は夕ご飯まで私から取り上げるようなことは珍しくしなかった。しかし兄がチーズケーキを食べる姿を、私は食いしばりながら見ている。


「超見られてて、食べにくいんだけど」

「お兄ちゃんはそうやって私から最後の晩餐を奪うんだね」

「いや、これ俺の分のケーキだし……。お前の分、まだ冷蔵庫の中だろ」


 美味しいケーキを食べているはずなのに、なぜか兄の顔は歪んでいた。


「ねえ、お兄ちゃん。宿題手伝って」

「いや、俺だって自分の分ようやく終わらせたばっかなんだぞ。お前が遊び惚けてる間、ずっと頑張って宿題終わらせてたんだからな。もう俺は寝る」

「なーんーだーよおぉおぉぉ! 手伝えよおおぉおぉぉお!」


 兄から援助を断られ、私は椅子から転げるように落ち、そして床を転げまわった。そして足をばたつかせ、駄々をこねる作戦へと出たのだ。


「ちょっと! 暴れないの! お兄ちゃん、ちょっと止めて!」

「え、俺!?」

「お前、この前私のプリン食っただろうがよぉ! その分ちょっとは貢献しろよ私にぃぃ!」

「プリン味の駄菓子チョコ一個もらっただけだろ! 釣り合い取れねえよ!」


 確かに兄が食べたのは一個十円のプリン味チョコのみ。だがしかし、たとえひとつのチョコであろうと私にとっては高級品だ。


「罰として、宿題手伝ってね」

「……お前、宿題どんだけ進んでんだよ」

「真っ白」

「はー、ないわー」


 天井を仰ぎ見る兄を無視し、私はリビングのちゃぶ台の上に自分の夏休みの宿題を並べた。


「まじでないわ。本当に真っ白か」


 兄は宿題のひとつを手に取ると、それをパラパラとめくる。


「だって。全然わかんないんだもん」

「授業ちゃんと聞いてないからだろ」

「私を勝手に置いて行く授業が悪い」

「はぁ」


 私の言い訳に兄はため息を吐いた。


「筆跡でばれちゃうから、俺が手伝うのは絵だけな」

「じゃあ、観察日記にひまわり描いて」

「四十日分を一気に書くようなもんじゃないと思うんだけどなぁ」


 兄は文句を言いつつも、背中を丸めて私の宿題を手伝ってくれる。その優しさに新鮮さを覚えた私も、解答を見ながら空白をなんとか埋めていった。





 もうすぐ八月三十一日が終わってしまう午後十一時半。地球滅亡までに宿題は結局終わりそうもない。わかっていたことだが。


「あーあ。結局終わりまでダメだったか」

「まだそれ言うか」


 兄の言葉に反発心を覚えた私は頬を膨らませた。


「本当だよ。今日地球は終わるよ」

「へー。その根拠は?」


 心底興味なさそうに尋ねる兄に、私は答えをくれてやった。


「だって私、

「……」

「ねえ、私にを見せてる、あなたはだあれ?」


 兄(偽物)は私をじっと見ている。その口が開くまで、私も黙って見つめ返した。

 数秒の沈黙の後、兄(正体不明)がようやく言葉を紡ぎ出した。


「なんだ、気が付いていたのか。洗脳が甘かったな。せっかく偽の記憶まで植え付けたのに」

「うーん。お母さんへの言い訳の原稿にひとりっ子って書いてたから、よく考えたらおかしいなぁって思って。そしてらぽろぽろって記憶剥がれちゃったの。そういえば私、我儘言えるお兄ちゃんなんて居なかったなぁって」

「俺が君に偽の記憶を植え付けたのは、君が家に帰ってきてからだからな。それより前に書いたもので矛盾が生じたか」


 兄(よくわかんない)はため息を吐く。


「ねえ、お兄ちゃんは何者?」

「……地球侵略部隊の下っ端」

「やっぱり! 今日は地球侵略の日だ!」


 兄(多分宇宙人)の言葉に私は胸を躍らせる。私の直観は合っていたのだ!


「やっぱり! 空にね、赤い光の線がいっぱいあったの! あんな空見たことなかったし、テレビでも前代未聞だって! だから宇宙人が攻めてきたんだって思ったの! で、地球の人ができないことをしてくる宇宙人が攻めてくる以上、もう地球終わりだなって思ったの!」

「……嬉しそうだな」

「うん! だって私、早く世界終わらないかなぁって思ってたの!」


 私は嬉しくてたまらなくなって、涙がこらえきれなくなった。


「……死ぬのは怖いか」

「ううん、怖くないよ。みんな殺すの?」

「ああ。気が付いているようだが、ここは君の夢の中、正確には精神の中だ。こうして俺が君の精神に入り込んでいるように、人類すべての精神に今、俺の仲間が入り込んでいる。そして自分を対象の大事な身内と思わせ、油断しているところで精神の核を破壊する。そうすることで、状態の良い死体ができあがるんだ。そして骨の髄まで使わせてもらう。大事な資源だからな」

「へー」


 兄(絶対宇宙人)の説明はよくわからないけれど、とりあえず心を壊すということだろうか。


「私の死体もお兄ちゃんに使ってもらえる?」

「……ああ」

「それはいいね。これからも生きているよりずっといい」

「俺は君を殺しに来たのにか」

「うん。だってお兄ちゃんが一番優しい。私が出会ってきた中で一番」

「宿題を、手伝っただけだ。しかもそれに意味もない。君の心が完全に弛緩するときを待っていただけに過ぎない」


 小さいその声に私は笑った。


「それでも嬉しかったよ! お母さんは宿題なんて本当は手伝ってくれたことないし! 学校もほとんど行かせてくれたことないし。ご飯だって、ちゃんと作ってくれたことなかったし。いつも怒ってて怖いもん。でも今日は地球最後の日だなって思ってたから、頑張ったよ。お母さんの財布からこっそりお金盗んで、家抜け出して、それで美味しいケーキ食べたの!」

「……そうか」

「うん! それで、帰ってきたら怒られるかなぁって思ってたのに、お母さんすごく穏やかだった。嬉しかったなぁ。ねえ、お兄ちゃんありがとう」


 私はぎゅっと自分の両膝を腕の中に引き寄せ、そこに顔をうずめた。


「……こんな優しい夢、最後にくれてありがとう」

「……君のためじゃないさ」


 兄が立ち上がる。見上げれば、その手にはナイフが握られていた。


「それで夢の中の私を殺すと、現実の私も死ぬの?」

「ああ」

「優しくしてね」

「……ああ」


 こうして私は優しい宇宙人に首を斬られた。最後にお礼もこめて笑ったのだけれど、感謝の気持ちは伝わっただろうか。


 伝わってるといいなぁ。





「おい。そっちの作業終わったか?」


 仲間の声が耳に入る。それに俺は反応を返すこともできず、ただ眼前に転がる地球人の亡骸を見ていた。


「最悪だ。俺が精神に入ったこの女、男のことばっかりでさぁ。ま、その分騙しやすくあったが。あんまり恐怖心持たれると、死体の質が下がるからな」


 仲間がため息を吐く。愚痴をこぼす彼が入ったのは、俺が殺した少女の母親のようだ。今は少女と同じく死体になっているだろう。

 仲間は嘲笑を浮かべながら少女の死体を見た。


「それにしても非合理的な生き物だぜ。地球人ってのは」

「……ああ、そうだな。とても非合理的な生き物だと思う」


 俺は死体に手を伸ばす。そしてその骸をそっと抱きかかえた。


「だが、これも仕事だからな」

「まあ、その通りだな。よし、俺も本部にちゃっちゃと死体届けるか」


 少女の母親の死体を仲間が引きずっていく。俺はその背中を追う前に、もう一度その部屋を見渡した。

 散乱するゴミ。床に染みた酒の痕。むせ返るような生ごみの腐敗臭。どれもが地球人の醜さを物語っていた。


「おい、どうしたんだ? 早く行こうぜ?」

「…………ああ。今行く」


 俺は脳裏にちらつく笑顔を振り払い、その家を後にした。

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「今日、地球人類は滅亡すると直観しました。 葎屋敷 @Muguraya

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