コスパ重視な彼

高野ザンク

正反対なふたり

「では問題です。太宰治の命日を〇〇忌と言いますが、この〇〇に入るのはなんでしょう。次の3つから選んでください」


 アナウンサーがそう言うと、リモコンの青、赤、緑に対応した答えが画面に映し出された。プレゼントが当たる朝の情報番組の三択クイズだ。

「うーん、太郎さん、答え知ってるー?」

 久美が粉末のコーンスープにお湯を入れながら、出勤支度する恋人の太郎に訊ねた。

「知らないけど、調べるよ」

 そういって、太郎は手元のスマホで「太宰 命日」と検索をかける。


「えー、クイズを解くのに検索はズルいと思う。知らないなら直観で答えてよ」

 久美はカップの中でティースプーンをくるくると回しながら、3つの選択肢を睨みつけた。

 前に聞いたことがあるんだよなー。この「邪神忌」っていうのは違うと思うから、そうなると残りは「薄桜忌」と……


「桜桃忌だって」

 久美が考えている間に検索を終えた太郎がやってきて答えを言う。

「あー、もうー。検索はズルいって!せめて私が答えを決めるまで言わないでよ」

「だって久美さん、ボタン押しそびれるぐらいギリギリまで答えないじゃんか」

 そう言ってスーツに着替えた太郎が、立ったままリモコンの緑のボタンを押してまもなく

「正解は桜桃忌です。文学ファンには有名ですかね」

 と、アナウンサーが正解を伝えた。

「あー、ホントだー」

「検索かけてるんだから間違いないよ」

「でも、こういうのはさー、調べてわかってもダメだと思う。調べなくたってなんとなく“おうとうき”かなーって思ったんだから」

「正解がわかるツールがあるなら、それを使えば効率いいじゃない」


 太郎は効率の良いほうを選ぶ人だと思う。

 昨年二人で一緒に暮らすことを決めたときも、お互い一人ぐらしするよりも「コスパがいいから」と言っていたし、同棲してから買い出しに行っても無駄なものをほとんど買わない。雑誌はコスパが悪いといって立ち読みで済ませ、趣味のゲームも、攻略サイトを活用してさっさとクリアするタイプだ。


「それはそうだけどさ。クイズの楽しみ方ってのもあるじゃない。知ってれば嬉しいし、知らない問題は『ドントシンクフィール』で答えるのが面白いんだよ」

 久美が子供じみた口調で太郎を責める。

「だって、このプレゼントのヒグマのぬいぐるみが目当てでしょ?ちゃんと正解できたから今日も抽選にエントリーできたじゃないか」

 太郎がなだめるような口調で久美を諭した。

 確かに久美は最近この番組のマスコットにハマっているし、これが欲しくて毎朝クイズに挑戦しているのだ。


「このクイズにそんなに真剣に答えようとするの、日本で久美さんぐらいだと思うよ」

 茶化す口調ではないが、その物言いに久美は少し棘を感じた。


 久美はなにごともフィーリングで決めることが多い。買い物に行くときも特に何を買うか決めていないし、出たとこ勝負が好きだ。

 そして自分では勘がするどいと思っているし、もっと言えば人一倍他人の気持ちを汲みとることができると思っている。その洞察力に裏打ちされた直観には自信をもっているのだ。


 そして久美は今、太郎が浮気をしていると確信していた。


 ここ数か月、買ってくるネクタイがオシャレになった。今日も会社の飲み会で遅くなると言っている。コスパ重視の彼が、そんなことに時間とお金を使うとは、これまで付き合ってきた中ではじめてのことだった。浮気しにいくのかも、と思って彼を送りだす今の心持ちは正直穏やかではない。でも、なんとなくそれを言い出しにくくて、久美は気持ちをごまかすようにカップに口をつけた。


「それに久美さんは、そんなに勘が鋭いとも思わないしなー」

 その言葉を聞いて久美はさらに腹がたった。

「私の勘、鋭いんですけど」

 思わず口調が厳しくなる。もうここまで来たら言ってしまえと久美は覚悟を決めた。

「私、気づいてるんだからね」

 珍しく挑戦的で攻撃的な目で見る久美に、太郎は少し動揺した。

「気づいてるって、何に?」

「太郎さん、浮気してるでしょ」

 太郎は虚を突かれて素っ頓狂な顔になった。

「なんで、そう思うの」

「直観だよ。私の直観、馬鹿にできないんだよ。最近、急にネクタイが派手になったじゃない?相手の趣味でしょ?」

 太郎は、久美の視線を追って、自分の首に締めたエメラルドグリーンのネクタイを見つめた。

「ああ、これ?社販で買ったんだよ。ほら、ウチの系列のアパレル会社、売り上げ激減してるじゃない。だからものすごい安かったんだ。その話しなかったっけ?」

 当然のように太郎が答えると、そう言えばそんなことを言っていたような気がしてきた。

「じゃ、じゃあ今日、ホントに飲み会?まだ会社の飲み会ってNGなところもあるじゃない。浮気相手と二人きりなんじゃないの?」

 太郎はため息をついて自分のスマホを操作する。そして久美にメールの画面を見せた。そこには「秋田さん異動の送別会の件」という件名で、今日の日付と多くの参加者に送られたアドレスが書かれていた。

「え?じゃあ、ホントに浮気してないの」

 疲れと恥ずかしさで久美は自分の顔から血の気がひいているのを感じた。


「久美さんの直観は、自分で思うほどアテにならないんだよ」

 太郎は呆れ顔で笑った。

「というより、想像力がたくましいってところかな?まあ、久美さんのそういうところ面白いけどね」


「だいたい浮気なんてコスパの悪いことするわけないじゃない」

 間違っていた自分の直観に混乱している中、太郎のその言い草に久美はまた腹をたてた。

「浮気ってコスパでするの?そういうもんじゃないでしょう!」

 この人は恋愛をなんだと思っているんだろう。

「じゃあ私ともコスパが悪くなったら、もう別れちゃうの?そういうことなの?」

 勢いに押されて太郎は目をキョトンとさせた。

「なんで、俺が久美さんと別れなきゃいけないの?久美さん、俺のこと嫌いになった?」

「好きだよ!好きだけど、そういうふうになんでもコスパとか効率とか言う太郎さんがわかんなくなってきたんだよ」

 興奮で久美の高い声がさらに甲高くなって部屋に響く。


「俺は久美さんが好きだよ」

 太郎が静かなトーンでそう言った。

「できるだけ一緒にいたいと思っている。だから同棲はじめたんだよ」

「だってコスパが、コスパがって」

「うん、確かに別々に暮らすよりコスパがいいからね」

 太郎はとくに気にするでもなくさらりと答えた。


「じゃあ、さらにコスパよくするために結婚しようか」

 突然のプロポーズに久美はあっけにとられた。それは望んでいたシチュエーションではなかったけれど、太郎らしいプロポーズのように思えた。

 久美は自分の感情がコントロールできなくなって号泣した。嬉しさと安堵の気持ちと、太郎と自分との違いの埋まらなさへの苛立ちに対しても。でも、この人と一緒にいたいという気持ちは久美も同じだった。

 久美が太郎に抱きついた。コーンスープのカップが衝撃で揺れて、テーブルに溢れる。

 太郎は久美を抱きしめて言った。

「今日、会社休もうかな」

「うん、そうして」

 久美は泣きじゃくった顔を太郎の胸に埋めながら呟いた。

 久美さんの涙で濡れたシャツじゃあ会社行けないし、着替えてから行くと遅刻になって面倒だしなー。残ってる有給使ったほうが効率良さそうだし。

 太郎はそんなことを考えていた。


「ねえ、太郎さん」

 やがて泣き止んだ久美が太郎に抱きつきながら訊ねる。

「なんで、こんなに正反対な私のこと好きになったの?」

 太郎はしばらく黙って久美の顔を見下ろしていたが、やがていつものように飄々と答えた。


「わかんないけど……」


 多分、直観かな。


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コスパ重視な彼 高野ザンク @zanqtakano

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