3話

 高校二年生になった頃、私の生活は酷く荒んでいました。

 父にレイプされてから数日後、私はバイトを辞め、援交を繰り返していました。しかし、何人もの男性と性行為を繰り返しても、私をちゃんとイかせてくれるのは、父の淫茎だけでした。依然として続いている母からの暴力も、父から与えられる暴力的な快楽に比べれば私にとっては可愛いくて、だけど、そんな生活にも徐々に嫌気がさしてきた私は、毎日繰り返される退屈な日々に終わりが来ることを望んでいました。

 一軒家が立ち並ぶ住宅街に位置する私の家は、毎朝目が覚めると、小鳥のさえずりと共に通学中の小学生達の元気な声が、窓の外から聞こえてくるのです。私はその様子を眺めては、自分とは違う世界で息をしている少年少女達が酷く羨ましく見えてなりませんでした。人として壊れてしまった私はもう、普通の人間として生きてはいけないのだと、その現実を何度突き付けられただろうか。

 自分以外の何かに救いを求める事をやめた時、私はもう手遅れなのだと自覚した。結局のところ、自分を救う事が出来るのは、自分自身だけなのです。いつの時代も、人は他人に無関心で、誰かと関わる事を心のどこかで嫌がっているに違いない。人と関わる事が好きな人間は、人が好きな訳では無く、誰かと関りを持っていないと自分自身がどうしようもない不安や焦燥感に襲われるのだろう。それは結局、自分という物を守る為にしょうがなく他人と関わっているに過ぎない。本質的に人と関わりを持つ事が好きな人間等、存在しないのだ。

 いつまで待っても終わりが来ないのなら、自分の手で、この地獄を終わらせよう。

 そうすればきっと、明日からの私の世界は、酷く輝いて見えるはずだ。

 そう決意した、その時、あの瞬間。私は産まれて初めて、心の底から笑みが零れました。




「そうして君は、自分の両親を殺したのかい?」

「殺した……一般的にはきっと、そう言うのでしょうね」

 僕の質問に答えた彼女の声色は、淡々と自分の生い立ちを語っていた先程までとは違い、少しだけ感情が含まれている様に聞こえた。

「私は人を殺したつもりなんて、これっぽちもありません。この世界に巣食う、生きる価値のない生ごみを処理したんです。私が、私自身の手で、初めてやり遂げたんです」

 そう語る彼女の瞳に、初めて光が宿った。

 それはまるで、将来の夢を楽しそうに語る小学生の様で、酷く汚れた僕にとってそれは、眼が眩むほどに眩しすぎる光だった。

「字峯さんなら、分かってくれますよね?」

 当然でしょ?と言わんばかりの表情で、彼女は首を傾げながらそう言った。

「君が置かれていた環境には、同乗するよ。正直君が……君だけが悪いとは思わない。でも、その考え方だけは……」

 その考え方だけは理解できない、理解したくもない、彼女の取った選択は間違っているのだと。普通の人間はみな、そう思うだろう。だが、それで本当にいいのだろうか。彼女があの環境から抜け出す方法は、他にあったのだろうか。

 自我が芽生える前に世界から隔離され、誰からも愛を注がれず、親の玩具として、生きているのか死んでいるのかもわからない。そんな世界で育っていく子供は世の中に五万といるだろう。

「もしかしたら……あなたの様な人がこれまで生まれなかった、その事の方が異常だったのかもしれませんね」

 僕は手帳とボイスレコーダーを手早く片付けると、席を立った。

「侭乃さん、今日はありがとうございました、僕はこれで失礼します」

 そう言って、彼女と、その後ろで待機していた拘置所の職員にそれぞれ一礼し、その場を立ち去ろうとした。そんな僕に、彼女は一言、声をかけてきた。

「字峯さん、いつか必ず、私の記事を書いてくださいね」

 面会室を出る直前、僕は少し振り返り、閉まっていく扉の隙間から、彼女の表情を除いた。

 その時に浮かべていた彼女の表情は、きっと、今後一生僕の脳裏に焼き付いて、離れないだろう。




 小鳥が囀り、雲一つない晴天。誰もが大手を振って快晴だと、そう言うに違いない素敵な朝も、しがない記者の一人でしかない僕のアパートでは、カーテンの隙間から差し込む朝日はどこかどんよりとしている。

 耳の横でけたたましく鳴り響く携帯電話の着信音で、僕は目を覚ました。

『字峯!昨日の取材どうだった、勿論いい記事が書けるよな?明後日入稿でその翌日に発刊だから、急いでくれよ?』

 編集長は一方的にそう言って、電話を切った。

「十五連勤確定、いい加減にしろよ……」

 ベッドから起き上がり、いそいそと仕事に行く準備をしながら、ふと目線を落とすと、その先には一冊の手帳がテーブルの上に置かれていた。

 僕はずっと考えていた、侭乃鏡華の事を、記事にするべきか否かを。

「私の記事を書いてください……か」

 そっと手に取った手帳の横には、彼女の記事が一面に掛かれた新聞が置かれていた。僕はそれをじっと見つめ、そして決断した。

「書くべきではない、よな」




「お前は、自分が何を言っているのか分かってんのか?」

 会社のデスクに、いかにも偉そうな感じで座っている、やや太り気味の男性。眼鏡を掛け、少し髪が薄くなっている彼こそが、僕が所属している出版社の編集長。法被医十蔵はぴいじゅうぞうである。

「もう一度言ってみろ字峯」

「僕は、彼女の記事は書くべきではないと思います」

 法被医は一度、重々しく溜め息を吐いた。

「それなら、昨日の取材のデータを俺に渡せ」

「お断りします、これは彼女が、僕にだけ話してくれた物です」

「お前も一組織の人間ならわかると思うが、あれも嫌これも嫌が通ると思ってないよな?答えは二つに一つだ、お前が書くか、そのデータを渡して他の人間が書くかだ」

 苛立ちを露わにするように、法被医はデスクを人差し指でコンコンと叩く。

「少なくとも今は、彼女の記事を書くべきではない。新聞でもニュースでも、今は彼女の話題で溢れてる、両親だけでなく世間でも玩具にされて、あなたは彼女が可哀想だと思わないんですか!?」

 僕がそう言うと、法被医は自分のデスクを一度、強く叩いた。

 ドン!という衝撃音で、社内は一気に静まり返った。

「そんなの彼女の自業自得だろう、それを言い出したらキリがないぞ、お前だって何度もそう言う人間を食い物にしてきただろう?それが我々の仕事だ!それともあれか、お前あの女に惚れたのか?」

 これは傑作だと、法被医は声高らかに笑い飛ばした。

「彼女の異常性を世に出せば、それに感化された人間がいっぱい出てくる。そうなった時にあなたは、責任が取れるんですか?」

 僕は静かに、しかしはっきりと怒りを露わにしながら、そう問いかける。

「そういう事件が増えれば、我々が書ける記事が増える、何も問題は無い。むしろ万々歳ではないか」

 視界がぐにゃりと、歪んだ気がした。

 この男は、まるで自分の利益の事しか考えていないのか。

 そう思った瞬間、僕は理解してしまった気がした。昨日、彼女に言われた事を。

「そうか……これが、彼女が言っていた事なのか」

 僕は法被医のデスクの上に置かれていたカッターナイフを手に取って、カチカチと刃を出した。

 その様子を見た法被医が何かを言うよりも早く、僕はカッターナイフを思い切り振るった。

 彼女に感化された一番最初の人間は、僕に違いない。それがどこか、誇らしく感じてきた。今ならはっきりと理解できる、この世に巣食う価値のない生ごみは、全て処分するべきだと。

「あざ……み……ぎ、ぎさぁ……」

 僕を睨みながら、必死に首を抑えて息絶えていった、眼前の無様な男の姿に、思わず笑みが零れてしまった。

 周囲で悲鳴を上げるこの声も、どこか自分の事を称える称賛に聞こえてくる。

「やっぱり僕は、正常だったよ……」

 誰に言うでもない、過去の自分に、僕はそう告げた。

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ハッピー・ダイナマイト 魅鳥ライト @zanyskeith

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