考え直す人

「…つまり、僕達だけが生き残って、さっきのあの巨大犬は僕達を殺すために国連から送られた死のプレゼントってわけ?」

「そういうことになる。熱に反応して、その熱源を破壊するのが彼らの特徴らしい。私の父親がこの計画に関わっていたものでね。少しばかり家にあった資料を拝借させてもらったよ」

 

 イギリス館からは、灰混じりの強い風が吹き始めていた。窓を打ち付ける。時計は午前9時を回ったところだ。紅茶をすするのもままならなくなってきた。

 何もしていないのに、どうして僕が命を狙われる羽目になるんだ。勘弁してくれ。

「じ、じゃあ、君はそれを知った上で僕を川越から連れ出したってワケ?」

「そういうことになる」

「そういうことじゃないよ!人を死にかけまで持ってきておいて、そんな旅に僕を連れてきて、なんでそんなに平然としてられんの!?おかしいよ!」

「じゃあ君、あの化け物を一々川越まで来させて、私達の川越市を粉砕させて私達も惨めに殺されるような、そういうシナリオを望むのかね?君の川越への愛着は、その程度か?」

「そ、そういうことじゃなくて」

「じゃあどういうことかね」

 風佳は声も荒らげなかった。いつもは可愛く見える風佳のその高飛車で高圧的な口調が、僕には一層腹立たしかった。

「私が君を川越のぬるま湯から引っ張り出さなければ、あの巨大犬はそのうち川越にも来て、私達の思い出を木っ端微塵に破壊するだろうな。川越氷川神社だって、待ち合わせの川越城だって、蔵造りの町並みだって、クレアモールだって。君がそれを望むのなら、どうぞ帰りたまえ」

 風佳の声質が、ズンと低くなった。

「その場合は、私が小銃で君を撃ち殺す」

「…そんなことはしないよ」

 そう言うしかなかった。本当にやりそうな空気が、そこにあった。

 風佳が、僕を撃ち殺してもおかしくないような、重い雰囲気が、そこにはあった。

「…冗談だ」

「そうには聞こえないけどね」


 風佳はクスリと笑って、紅茶を飲み干した。「おかわり、私がもらっていいかね」「…構わないよ」。風佳の茶色いワンテールアレンジがゆらゆらと、人の激情を誘うかのように揺れる。僕の目の前の、痰のように黄色い紅茶は、あまり減ってはいなかった。

 背中から嫌な汗がじんわりと僕の身体を侵食する。 死が間近に迫っている。風佳のこの悠長っぷりと、僕の焦りは見事な対比となっていることだろう。

「中でもあの巨大犬は、電気を帯びているらしいな。アレが騒ぐたびに横浜駅の電気が付いたり消えたりしている」

「あ…あれは、放っておいていいの?僕達を追いかけてくるんじゃないの?」

「私がアレを撃った時、偶然両目を潰した。再起には数日かかるだろうな」

 じゃあ、僕達の余命は、残り数日間というわけになる。そう考え始めると、途端に身体中から油のようにぬるりとした汗が吹き出てくる。 

 僕は漫画やなろう系の主人公ではないただの一般人である。死ぬのは怖いし、何か巨大なものに物理的に立ち向かうのも無理だ。逃げるのさえ恐らく失敗する。普通の人間なのだ。

 そんな、戦士属性ゼロの僕に、突然『死』というものを突きつけられたら、パニックになるに決まっている。僕はそう自分に言い聞かせた。

「し、死ぬ?のか?僕は」

「死なせない」


 風佳は僕の目まっすぐと見た。さっきと同じ、低い声ではあったが、今度はさっきを帯びてはいなかった。

 「君は死なせない。そしてそもそも、君は死なない」

「は?」

「いずれわかることだ」風佳はそう言って紅茶を飲み干した。「それよりも」

「この数日の間に、あのデカブツをどうにか殲滅しなければならない。アレはいわば巨大な単細胞生物。どこかにあるコアを見つけて、それを破壊すればいい。使徒と同じだな」

「…その」

 僕は、一番気になっていた質問を、風佳にぶつけてみた。

「あの巨大犬から、舞の声が聞こえたんだ…」






 シスコンと言われても、僕はそれを甘んじて受け入れるつもりだった。

 山城舞。僕の義理の妹で、旧姓は松永。二歳年下の妹だった。僕は舞を拾の妹のようにえっしていたし、舞も僕のことを「お兄い」と呼んでいた。

 舞の声が聞こえた。僕の幻聴かもしれないが、今の風佳なら何か知っているかもしれない。嘲笑と希望を天秤にかけ、希望に傾いた。

 しかし、しばらくの間をおいて、眉間にシワを寄せながら出した風佳の答えは、僕の予想とは大きく異なっていた。

「…あり得るかもしれない」

「な、何が?」

「あの化け物、元は人間なのだよ。コアは、そのもととなった人間の頸動脈とリンクしているようでな、コアを破壊すると元となる人間の頸動脈も切れ、コアが大量出血し、乗っ取られた人間もろとも殺す。そういう仕組みだ。その元となる人間――『コア・サピエンス』が山城舞なら、大いに可能性はあるだろう」

「じ、じゃあ舞――」「早計だな、君」風佳が釘を差した。

「誰が『殲滅方法は一つしかない』と言った?」


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