考える人
「だ、大丈夫か!?怪我は!?」
「大丈夫…足掴まれて見つめられただけだよ…」
元町・中華街駅の長い地下通路を抜け、僕達は横浜一の観光地・中華街の、大きく「中華街」と描いてある門の下にいた。 風佳は僕の身体をぺたぺたと触っては、触った手を確認していた。
横浜の街には、池袋同様に灰が道路の上に大量に堆積していた。主に歩道に。そんな灰が浜風で舞うものだから、横浜はずっと曇りっぱなしだ。
灰が霧のようになっている。視界がはっきりしない。
「ほ、ほら、ガスマスクをつけたまえ…よかった、異常なしだ、よかった…よかった…」
僕をずっと抱きしめないで離れなかった風佳に、「もう大丈夫だって」と言う声は、自分でも震えていた。中華街の門の前でガスマスクをつけた人間が抱き合っている状況、傍から見たら随分シュールじゃないか?
「それにしても、なんなんだい、あの巨大な犬みたいなものは」
「…『カルタゴ計画』って知ってるか」
「はァ?」
僕のすっとぼけた声を前から分かっていたかのように、風佳は僕の手を握る。
「詳しいことは、ここから少し離れたところで話そう。ここにいると危険だ」
一般の人々がイメージするメガロポリスとしての「横浜」、その南端である元町・中華街駅から首都高速道路をくぐって少し坂を登ったところところにある、英国総領事公館。現在はイギリス館として存在している。壁の白をベースとして屋根のレンガを強調させた、中々立派な洋館である。
美しかったはずのイングリッシュ・ガーデンも、もう水をやる人もおらず、枯れていた。その上に灰が乗っかって、子供の頃に絵本で見た「象が世界から色を吸い取った世界」に来ているような、そんな庭園になっていた。
僕達はそのイギリス館の中にいた。館内に灰はなし。隣のレストランから紅茶やまだ食べられそうなパンなどを引っ張り出してきた。
ガスボンベとコンロもそのレストランからくすね、小鍋を置き、持ち寄ったミネラルウォーターを一本、そこに入れた。
沸騰したお湯を、僕は小走りで風佳のもとに届け、風佳の用意した茶葉入りティーポットにゆっくり注ぐ。イギリス館一階の大きな四人用テーブルに、ティーカップと受け皿を置いて、二人で座る。 風佳はティーポット内の茶葉が浮き沈みしているのを、愛おしそうに見ている。僕は周りをキョロキョロしている。
「ビスケットならあるぞ、小麦とオーブンがあればスコーンも作れたんだがな。やはり電子レンジは偉大だった」
「よく君、そんな悠長にしてられるね…」
風佳は、少しホコリが浮いている小さな皿を二枚、テーブル後ろの食器棚から取り出す。ふっと息を吹きかけて、ビスケットを僕と風佳が均等になるように置いた。
「コーヒーフレッシュは?」
「入れないよ。外道だからね」
「気が合うじゃないか」
風佳が僕のティーカップにそっと紅茶を注ぐ。ダージリンのふんわりとした香りが僕達をふんわりと包んでいく。
次に、僕が風佳のティーカップに注ぐ。一杯分余った紅茶は、他の容器に液体だけ移しておいた。
金色の液体の、その花のような香りを楽しむ…ことなどできなかった。足を掴まれた感覚は、まだ刻み込まれている。
「して、私はどこから話せばいいのやら…」
「頭からケツまでわからないよ」
「そうだな…」
風佳はダージリンにひとつの口づけをしてから話し始めた。
「『カルタゴ計画』。国連常任理事国が秘密会議で決定した議定書。共和制ローマの末期に行ったポエニ戦争でのカルタゴ破壊から名前を取ったものだ」
コトン。カップを置く音が、妙に長く感じる。
「簡単に言うと、まるでカルタゴのように、一度すべてを破壊してもう一度地球を作り直そう…というわけだ」
理解が追いつかない。まず国連常任理事国が出てくる辺りから意味が分からない。そんな顔に感づいたのか、風佳は続ける。
「人間というものは身勝手だろう。息をするように自然を殺し、不必要な殺生をし、そして居住圏を拡大して他の動物を見殺しにした。特に産業革命以降はこの傾向が顕著になった。そこで、一度人間をすべて殺し、第二の人類に後を託す…ということだ」
「い、いやいや、何言ってるかさっぱり分かんないよ。ファンタジー系のアニメでもあるまいし」
「現にそうなってしまったのだから仕方ないだろう」風佳はビスケットをぱきっと折って口の中に放り込む。そして紅茶で流した。 僕も、頭を整理するために紅茶を少し飲む。味なんてもう、わからない。
「Virus-A4。これを高度に濃縮させたものがカプセルの中に入っている。このウイルスは有機物と結合して燃焼する性質を持った人工ウイルスだ。これを世界中のいろいろな食材に混ぜておくんだ。これを吸い込んだ人間は、国連の指定した時間になると、一定期間繁殖した後、体内の酸素、炭素、水素、窒素を全て吸い取り、燃焼させる。身体は全て吸い取られ、そして燃焼するので全て灰になる。A4は血液循環するからな、服だけそのままで身体だけ灰になった奴らは、随分とうまく回っていたもんだ。身体の燃焼にも引っかからなかったしな。偶然、私達はかからなかった。つまり、超小型の対人時限爆弾だ」
「…」
「そしてさっきの巨大犬は『変異種』。つまり…」
風佳は、僕の目をじっと見つめた。
「このウイルス――Virus-A4で引っかからなかった者、つまり私達を殺処分するための、変異ウイルスの塊だ」
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