騒ぐ人

「あーーーーーーもう動けない」


 僕はガスマスクを外し、東急東横線・横浜駅のホームで寝転がる。本来ならドン引きされて写真を取られ、Twitterに晒されるところであるが、今は僕と風佳以外誰もいない。


「私も、流石に疲れたな」

風佳もそうつぶやいた。横浜駅には電気がついていた。昨日宿泊した武蔵小杉駅には電気がついていなかった。おそらく、どこかで自家発電でもしているのだろう。

二人は荷物を置いて、ベンチに座る。腕時計は15;30くらいを示している。中々早い到着だ。


 横浜駅には、なんだか異様な雰囲気が漂っていた。

武蔵小杉駅でも、その前の池袋でも、新宿三丁目駅でも、小川町駅でも、何かが荒らされた形跡というものはまったくなかった。 つまり、僕達だけを残してすべて灰になった…というのがぴったり当てはまるような、景観だけはそのまま、人だけがいない光景になっていた。

 しかし、この横浜駅だけは違った。

 ホームの売店からモノはなくなり、なぎ倒され、柱は崩れかけ、そして、階段からは赤い液体の乾燥した跡がこびりついていた。あれは血だろうか?

「風佳、あれ」

「…血の跡?どうして…」


 風佳も首をかしげる。しかし、僕達にその赤い液体のことをとやかく考えるほどの気力も残されておらず、足ももう限界で一歩でも重みをかけると千切れてしまいそうだったので、寝転んだままリュックから液体型の歯磨きセットで口をゆすぎ、駅の線路に吐き捨てた。

「…風佳、僕もう寝ていいかな」

「私もそうするつもりだ…目的地には着いたんだ、一ヶ月くらいはゆったりしてもいいかもな」

「長すぎじゃないか」

「…」

 風佳が黙ったのをいいことに、僕はそのまま、意識を閉ざしてしまった…。




「……ん」

急に意識を戻される。僕は寝袋にも入らず、リュックを枕にして寝ていたようだ。 アイマスクを外す。

「…あれ」


アイマスクを外しても、景色はアイマスクを付けたときと変わらなかった。

「明かりが…」

僕は休まっていない足を叩き起こし、周囲を手で探り、ライトを見つけて立ち上がる。 線路からは、冷たい風と、それにのせられた灰が休むことなく吹き込んでいる。僕はそっとライトをつけた。

カチ。そんな些細な音ですら、無人の横浜駅では異様に響き渡る。風佳の足元を見つけ、まずは安堵した。


「…眩しいぞ、君」

「わわ、ごめん」

 風佳の唸り声に、僕は思わずライトを消す。風佳の茶髪は、暗闇では一つの目印となっていた。

「なんだね、連れションなら一人で行ってくれたまえ」

「ごめん、なんだか目が覚めちゃっ」


バチィッ!!


耳を切り裂くような巨大な電気音。突如付く電気。

鉄のこすれる不快感。僕は腰を抜かしてしまった。

「な、なんだ」

「…っ!」


風佳はずっと耳を抑えている。耐えられない金属音と電流音に、僕も耳を塞ぐ。

また聞こえる金属音。僕は耳を抑えながら、風佳のもとへ近づく。

「とにかく、ここからはなれよう!!」

聞こえていたか不安だったが、風佳は耳を抑えている両手をリュックへ伸ばす。

横浜駅のホームを駆ける。



横浜駅には灰がない。しかし、僕はそんな異変に気づかず、夢中で東急東横線のホームから逃走する。

改札を踏み越える。


「はぁ…はぁ…何なんだ、この音」

息が切れる。脚は千切れそうなほど痛い。膝は悲鳴を上げている。僕はそれらを飲み込むしかなかった。

恐怖は、これらを乗り越える。

「お、おい風佳?」

「早い…早すぎる…」

 爪を噛み始める風佳。僕は無言だった。

「前回は名古屋…その前も名古屋…してやられたのか、あの男に」

「…風佳?」

「黙りたまえ!」

「…」




その金属音と電流音は、ホームを離れても続いた。僕は、酒なんて飲んでいないのに、千鳥足のようになっていた。

風佳はずっと独り言を繰り返す。金属音と心拍数の上昇で、横になって目を閉じても、意識は飛ばせない。


「あぁもう、どうなってるんだよ」

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