夢見る人

世界一を誇る豪華壮麗なステンドグラスは、灰に霞んでいた。 パリの生まれた場所・シテ島にあるノートルダム大聖堂。かつては世界中から多くの観光客を呼び寄せていたが、今では灰と瓦礫の積もる、ただの「教会のような何か」へと堕落してしまっていた。

 そして、その灰を追加しようとする男も、そこにいた。ステンドグラスの前で、仰向けになって、私の手を握っていた。

「ねぇ、風佳…僕のお願い、聞いてくれないかな」

「な、なんだ、私でいいなら何でも聞く」

私は、涙でぼやけたその男の顔をみつめる。「君の、お父様からもらったその能力で」


「せめて僕と風佳だけでも、幸せに、笑顔で死んでいけるように手配してくれないか」




ゆっくりと、脳が起床のサインを出す。弾けた髪の毛を見れば、私が現在、寝起きだということは完全な自明である。

 スイートルームのふかふかのベッドから上半身を起こす。手元の懐中時計は朝の4:30。いつも通りの起床時間だった。

「またあの時の夢…」

昨日着た高校の制服をカバンの中に畳んで入れ、白いワイシャツの上にツルツルとした素材の、黒いフード付きポンチョを羽織った。

「これがやっぱり落ち着くな」

ポンチョの裏側に拳銃を仕込ませて、私はリュックを背負った。










「まだ着かないの~?」 

もう夕方の16時だ。休憩無しでずっと歩きっぱなし。朝の5時から。池袋から。いい加減休憩したくて、僕の口からそんな言葉が出る。

「もう川崎市だぞ、武蔵小杉だ。次の駅は君の大好きな日吉駅だ、福沢諭吉に挨拶しに行くかね?」

「…」

言葉に詰まる。つい一ヶ月前まで、僕は慶應義塾大学へいくため、仮面浪人を遂行していたのだ。この言葉は地味に心に刺さる。

「もう学歴に執着する必要なんてないじゃないか、君」

「もう気にしてないって」

嘘である。学歴コンプレックスはカレーのシミのように、一度寄生した人間から離れることは永遠にないのだ。


「…でもまぁ、明日もあるからな、今日は武蔵小杉で泊まろう」



段々と膝が悲鳴を上げてきた。武蔵小杉駅のホームでリュックを投げるように置き、ガスマスクをそこらへんに投げ、そのまま寝転がる。

「君、ストレッチしとかないと明日に響くぞ。筋肉痛でも私は置いていくからな」

そんな風佳の言葉には耳もあてず。

「…昔は風佳、こんな感じじゃなかったのにな。偉そうなのは変わってないけど、なんというか、こう、」

「人生を何周もしてるような、何かの説得感がある」

「そうかね。つまり昔の私はおちゃらけで発言に整合性の取れないくせに態度だけは一丁前な典型的クソ人間だった、とでも言いたいのかね」

「いやそこまでいってないけど」

風佳はリュックから塗り薬を引っ張り出し、僕に投げつける。僕はそれを膝に塗る。スースーする。

「…まぁ、生きてりゃ色々あるよね」

「18年しか生きてないくせに何を悟ってるんだ、君」

二人はこうして笑いあった。

明日の地獄の分を前借りするかのように。









6月24日。横浜駅についた。

パリまでの道のりは、未だ遠い。

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