骨董屋 紙風船

霞花怜(Ray Kasuga)

第1話 止まった腕時計

 いつもの通学路、何気なく通っているその道の風景の中で、いつの間にか無くなってしまった建物や更地になった場所を見かけることがたまにある。

(ここって前なにがあったんだっけ)

 頭の片隅でぼんやり思うが、思い出せることは少ない。

 いつの間にか、そこには新しい建物が立っていて、時にはそれすら気付かずに一風景としてさらりと視界を過ぎてゆく。

 だけどこのときは、その建屋が妙に印象的で、通り過ぎた瞬間ふと目に留まり思わず足を止めた。

 少し煤けた格子窓に引き戸の入り口、昔ながらの風情を思わせる瓦屋根の木造平屋建て。

 昨今のビル郡に混じって建つ古風なその店はかなりの違和感を醸し出しているはずなのに、まるで昔からそこに存在していたかのように、ひっそりと佇んでいた。

 戸口の上に掲げられた看板に書かれていた店の名は『骨董屋 紙風船』

 立ち止まってぼんやりとその看板を眺めていた千波は、まるで吸い寄せられるように、その店の戸を開いていた。


 戸を開けるとそこには小さなカウンター。

 店の奥に目をやると、木製の丸いテーブルに椅子が二脚あるのみだ。

(骨董屋じゃないの?)

 訝しげな顔で店の中を、きょろきょろ観察する。

「いらっしゃいませ」

 慌てて振り返ると、真後ろに女性が立っていた。

 千波は驚いて思わず後ろに仰け反る。

 ゆるく編んだ黄金の長い髪を肩から前に垂らし、着物のような洋装のような、不思議な衣服を纏っている。

 どこか現実離れした不思議ないでたちの女性は、夕焼け色の瞳でにっこりと微笑む。

「こちらへどうぞ」

 千波を奥の椅子へと促した。

「あ、あたしは別に」

 慌てて店を出る口実を探す千波の様子を見ながら彼女はふふっと笑む。

「御用の無い方は、この店には入れませんので」

 と椅子をひいた。

 言葉の意味は良く分からないが、千波はとりあえずその椅子に腰掛けた。

「あの、ここは骨董屋じゃないんですか」

 店の中は椅子とテーブルがあるのみで、骨董品らしいものは何も見当たらない。

「ええ、そうですよ」

 女性店主は言いながら、茶を出してくれた。

 煎茶のようだが、それすら怪しく見えて手を出す気になれない。

 店主が店の奥を指さす。

「骨董品は、奥の部屋に陳列してあります」

(奥って……)

 外観から考えて、そんなに広いスペースがあるとは思えない。

 奥とは、どこにあるのか。

 怪訝そうな表情がますます深まる。

 店主は多くを語るでもなく、

「それで今日は、何を売っていただけるのでしょう」

 口元に薄い笑みを湛えながら唐突に問う。

「へ?」

 そんなつもりで入ったわけではないので何の事か、さっぱり分からない。

 呆けた顔をしていると、

「商品を買いに来たお客様は奥の部屋に、売りに来たお客様は手前の部屋に、それぞれご案内することになっておりますので」

 優しい声色で静かに話すその言葉が、まるで理解できない。

 困惑している千波に、

「恐らく、そのポケットの中に、あるものでしょうか」

 制服の左のポケットを指差した。

「え?」

 千波がポケットの中を弄ると、中には止まった腕時計が入っていた。

「これ、いつの間に」

 呟いて、腕時計を見つめる。

 その時計は、大好きなおばあちゃんが千波の中学の入学祝いにと送ってくれたものだった。

 高校生になった去年、おばあちゃんは病気で床に伏しそのまま亡くなった。

 その時からこの時計は、時を刻むのをやめてしまった。

 電池を換えればすむ事なのか修理が必要なのかわからない。

 何となく直す気にもなれず、そのまま机の引き出しの奥へとしまいこんでいた。

(持ってきた覚えは無いのに)

 不思議そうに時計を眺めている千波に店主は、

「では、そちら、引き取らせていただきます」

 千波の手からするりと時計を持ち上げる。

「え、ちょっと、あたしはそれ、売るつもりなんて」

 困惑と怒りが込もった言葉に、店主は先程と同じ妖しい笑みを灯した。

「ここは何でも買い取る骨董屋。御代はお客様の望むもの」

 テーブルの上に、すうっと雪の様に白い腕を伸ばした。

 手から出てきたのは、一枚の紙風船。

「こちらを、お持ち帰りください」

 店主の言葉に、今度こそ千波は腹が立ち、立ち上がった。

「一体、何なの。これが代金? 詐欺でも、もっとマシな手使うわよ」

 店主は構うことなく続ける。

「それに名前を書いて、膨らませて、いつも目の付くところに置いてください」

 千波は呆れたように店主の顔と紙風船を見比べる。

 店主は表情も変えずに、夕焼け色の瞳で千波を見つめている。

 透き通るように綺麗なその瞳を見つめていたら、何故か何もかも信じられるような気持ちになってきた。

 気付いたとき、千波の手には紙風船が握られていた。

「望むものが手に入らなかったときは、商品をお返しいたします」

 店主は妖しい眼差しで、にっこり微笑んだ。

「望みが叶いますように」

 その声が耳に入ったときには既に、千波は店の外に居た。

「ちょっと」

 戸口を開けようとしたが、動かない。

 叩こうとして手を上げると、手に紙風船が握られている。

 思わず動きを止めた。

(一体何なの)

 全く訳が分からない。

 何故、持ってきた覚えのない時計がポケットの中にあったのか。

 それを売るはめになり、結果紙風船になってしまったのか。

 夕焼けが空を茜色に染める。

 千波は賦に落ちない気持ちを抱えたまま肩を落としてとぼとぼと帰路に付いた。


 逢魔ヶ時は、不思議なことが起こるというけれど。

 よもや自分の身にこんなことが起こるとは考えてもみなかった。

(まさかあの人、妖怪?)

 その手の話は好きだが、それはあくまで想像の範疇だ。

 実際に起こったら、もうただの事件でしかない。

 おまけに、大切なおばあちゃんの形見まで奪われてしまった。

 警察に届けてみようか、などと考えるが、それはあまり現実味がなかった。

(大切な形見、だけれど)

 自分の部屋のベッドの上で膝を抱えながら、紙風船を見つめる。

 大好きだったおばあちゃん。

 初の女孫だった千波のことを、いつも可愛がってくれた。

 なにかしてあげたいと思っていたのに、別れは予想以上に早く訪れて。

 脳梗塞を患っていたおばあちゃんは、倒れてから何も話すことなく逝ってしまった。

 千波がどんなに声を掛けても、何の反応も無かった。

 いつもかわいい笑顔で面白いことばかり話してくれた、おばあちゃん。

 宝物のように自分を大事にして可愛がってくれた、おばあちゃん。

 もっと会いに行けばよかった。

 もっと沢山話せばよかった。

 もっと一緒にいたかった。

 色んな想いが交錯する。

 結局できなかった自分が恨めしくて悔しくて、申し訳なくて。

 そんな想いが重なって、千波はあの時計を使う気になれずに、ずっとしまい込んでいたのだ。

(声が、聞きたかったな)

 ぼんやりと思いながら、紙風船を手に取る。

「名前を書いて、置いておく、か」

 期待したわけでは、ないけれど。

 こうなってしまったわけだし、今更文句を言っても仕方がない。

 とりあえず名前を書いて膨らませ、ベッドの脇に置いておくことにした。


 数日後、千波は母と共におばあちゃんの墓参りへ行った。

 今日は、おばあちゃんの祥月命日だ。

 庭に咲いた色とりどりの小菊を沢山摘んで、花の大好きだったおばあちゃんの墓前に手向ける。

 綺麗に掃除を済ませ、お線香を上げてから墓前に手を合わせ

(おばあちゃん、会いに来たよ。私は元気にしているから、心配しないで見守っていてね)

 心の中で呟いてから、いつもの様に近況報告をする。

 母は決まって必ずおばあちゃんの大好きだったおにぎりをむすんで持ってくる。

 最後に、煙草を一服ふかし、墓前に手向けるのも母流だ。

「ばあちゃん、また来るからね」

 墓でゆっくり時間を過ごして、暗くなる前に帰る。

 母の、この一風変わった墓参りが千波は好きだった。


 その日の夜。

 夕食を終えテレビを見ている千波の隣で、母が「そういえば」と小物入れの整理をし始めた。

「いつもやろうと思うのに、なかなかできないのよね」

 かばんの中身まで出して、一斉に片付け始める。

「折角だから、財布も代えたら?」

 母はもう随分と長いこと、同じ財布を使い続けている。

 かなり年季の入ったそれは、千波の兄が初めて母の日にプレゼントしたものだ。

 そんなことは初めてだったから勿体無くて代えられない、と千波が何度代えろと言っても聞かなかった。

 しかし、さすがに底が破けてしまっては使えない。

 小さかった穴は、そろそろ小銭が落ちそうな位まで広がっていた。

「そうねぇ」

 千波の提案に母は渋々、少し前に千波がプレゼントした新しい財布を出してきた。

 母の使っている財布は通帳まで入ってしまう大きさだ。

 使い勝手の良さも代えられない理由の一つだったので、千波は新しいものを見つけるのにかなり苦労した。

(お兄ちゃんからのプレゼントが嬉しいのは分かるけど、私のプレゼントも喜んだって、いいのにね)

 男の子と女の子では女親との親密度もプレゼントの頻度も違うから、その重さも違うのだろう。

 分かっているから千波もあまり母を責めるつもりも無い。

 母が財布の中身を入れ替え、古い通帳を入れておく箱の中を整理し始めたとき。

「あれ」

 母の手に、古びた紙が握られていた。

 手紙のようだ。

 無言で読む母の表情がどんどん変わってゆく。

「お母さん?」

 戸惑いながら声を掛ける。

 母は涙で滲んだ目のまま無言で、手紙を千波に手渡した。

 千波は、目を丸くした。

 それは、小学校に上がる千波宛てに書かれた、おばあちゃんからの手紙だった。

『ちぃちゃんへ

いちねんせいになったら あさはやくおきて ごはんをいっぱいたべて 

げんきでがっこうにいってね かぜはひかないようにね

くるまにきよつけてね 

ちぃちゃんが いちねんせいになるときにと 

つんだのですが あまりたまらないけど すこしでごめんね

かわいい かわいい かわいい ちぃちゃんに』

 おばあちゃんは千波のために、こつこつと貯金をしてくれていた。

 子供の頃は母が管理をしていてくれたが、高校に進学したときに母が理由とともに通帳を千波に渡してくれた。

 だから通帳は知っていたが、この手紙は知らなかった。

「まさか、こんなとこに、入っていたとはね」

 母も、その手紙の存在を忘れていたようだった。

 尋常小学校を出ただけのおばあちゃんは、独学で字を練習していた。

 主に発音で覚えて書くから、塩が「しよ」になったり「シャンプー」が「さんぷー」になったりする。

 それでも千波のために、一生懸命に練習して、この手紙を書いたのだろう。

 その姿が自然と頭に浮かぶ。

 何よりも、今日このタイミングで、この手紙が出てきたことが

『お墓参りに来てくれてありがとう』

 と、言ってくれているように思えた。

 おばあちゃんの優しい笑顔が思い出されて、千波の目に熱い涙が滲む。

『かわいい かわいい かわいい ちぃちゃんへ』

 それはまるで、聞きたかったおばあちゃんの言葉が形になって目の前に現れたかのようだ。

(おばあちゃん。今でも見守ってくれてる)

 手紙の文字から、おばあちゃんの存在と想いを強く感じとることができた。

 途端に胸がいっぱいになって、千波の目には、どんどん涙が溢れる。

 全く止まる気配の無い涙をひたすら流し続けて、おばあちゃんを強く想った。


 次の日。

 学校が終るとすぐに、千波は例の骨董屋に走った。

 店の前に立ち、上がった息を整える。

「……」

 おばあちゃんの手紙を手に、戸口に手をかける。

 力をこめたら、戸口は少しだけ開いた。

 ほっとして、そのまま恐る恐る戸を開けた。

「いらっしゃいませ」

 店の主の声が飛んできた。

「そろそろ、いらっしゃる頃かと思っていました」

 どうぞ、と中へ促す。

 今度は迷わず、千波は促されるまま店の奥へ入り椅子に腰掛けた。

「望みは、叶いましたか」

 店主の言葉に、無言で頷く。

「それは、良かった」

夕焼け色の瞳が柔らかく微笑んだ。

「実はこの度、少々代金が不足していましたようで」

 透き通るような肌をした女主人が手を、すうっとテーブルの上に出す。

 そこに置かれていたのは、あの腕時計だった。

「どういうことですか」

 千波が困惑気味に問うと、

「こちらは、お返しいたします」

 目を伏して頭を小さく下げた。

 千波は余計に困惑した。

「え、でも。私は、おばあちゃんの声を聞くことができました。それはきっと、あの紙風船のお陰で」

 手紙を見つけたあと、紙風船が無いことに気付いた。

 部屋中を探してみたが見付からなかった。

 母も捨てた覚えは無いといっていた。

 店主はすっと顔を上げ、また千波の前にその白い手を伸ばす。

 手の中から現れたのは、千波の名前の書かれた紙風船だった。

「これ……。どうして、ここに」

 不思議を通り越して怖いくらいだったが、不気味さは感じなかった。

 息を呑んで紙風船を見つめる。

「こちらに、舞い戻ってまいりました」

 店主は淡々と答えた。

「本来、望みが叶うと、この紙風船は消えてなくなります。この度は、これが店に戻ってまいりましたので、こちらの商品は返品扱いとさせていただきます」

 店主の言葉が、本当なのか狂言なのか、相変わらず全く分からない。

 だが今の千波の心に、その不思議な言分を疑う気持ちは、なくなっていた。

 徐に手を伸ばし、腕時計を掬い上げる。

 止まっていたはずの時計は、いつの間にか再び時を刻み始めていた。

「修理、してくれたんですか」

 不意に問うと、

「いいえ、私は何も。眠っていた時計が、目を覚ましたのかもしれませんね」

 夕焼け色の瞳が優しく微笑む。

 彼女の瞳が、はじめて色を帯びたように見えた。

 千波の中で、何かが、すとんと落ちた。

「ありがとうございました」

 千波は立ち上がり、満面の笑顔で精一杯に頭を下げた。

 店の主は変わらぬ笑みで、

「またのご来店を、お待ち致しております」

 黄金の髪を揺らしながら、深々とゆっくり頭を下げた。

 気が付いたとき、千波は店の外に居た。

 店の入り口を振り返ったが、今度は開けようとは思わなかった。

 おばあちゃんの手紙と時計を握り締めて、前に向かって歩き出す。

 初めてこの店に来たあの日と同じように、空は夕焼けに染まり始めていた。

 その色はまるで、あの店主の瞳のように綺麗で儚い色。

 逢魔ヶ時に出会った不思議な瞳は、千波の心に忘れていた宝物を思い出させてくれた。


 その後、何度も歩く通学路から、いつの間にか骨董屋は消えていた。

 更地になって、今は何も無い。

 建物の隙間に、ぽかんと空いた空間を見るたび、思い出す。

 あの黄金の髪と夕焼け色の瞳をした不思議な店の主人のことを。

 しかし恐らく、もう二度と会うことは無いのだろうと、心の隅で思う。

 あの店は、きっとまたどこかで、誰かが来るのを待っている。

 そんな事を考えながら、いつもの通い道を、前より顔を上げて歩いていた。












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骨董屋 紙風船 霞花怜(Ray Kasuga) @nagashima

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