KAC2021 #3 直観に春の香りを添えて

くまで企画

KAC2021 #3 直観に春の香りを添えて

 駅前の店に寄ろうと思ったのは本当にたまたまだった。


 日課である朝の散歩。住宅街の外れに一本だけある梅の木を、数日ぶりに愛でるかと道を変えた。完全なる気まぐれだった。

「ああ……そうか」

 先日まで紫がかった紅い梅がこれでもかと咲き誇っていたのに、その木はすでに花びらをすっかり落としてしまっていた。暖かくなってきた、でもまだ寒い朝もあるなんて日々を過ごしていくうちに、もう春は来ていたのだ。

 少し寂しい気もしながら、改めて、数年前に整備されたばかりの遊歩道に目をやる。高い木にいくつもの白い花が咲いている。春の風に乗って、ほのかに甘く香る――木蓮もくれんだ。

 自分は花の名前に疎い方だけれど、木蓮だけは分かる。あと百日紅さるすべり

 どちらも昔、庭先に咲いていた花だ。


 春の花の代表格といえば、もちろん桜だ。桜も大好きだ。今年も花見で一杯は厳しかろう……日常、慣習というのは大きく変わるものだ。脱線した。

 なにが言いたいかというと、自分には木蓮も春の訪れを告げる花なのである。


 木蓮と遊歩道に咲く、ほかの名前の分からない低木の花を眺めていたら、散歩なのにいつの間にか身体が冷え切っていた。

(寒い……)

 手を擦り合わせ、口元に持っていく。マスクに触れそうになり、さっとポケットに閉まった。そろそろ帰るか、いや、まだ春が待っている気がする。


 確信があったわけではなかった。だが、素敵な出会いに、このまま帰るのもなんだがもったいない気がした。そう思いながら、足を向けたのは駅の方面だった。自宅とは反対方向だ。


(春が……きっと待っている)


 交通量の多いバス通りを行き交う人々は電車やらバスの時間を気にしているのか、みな早歩きだ。自分だけが少しずつ置いて行かれているようだ。工事現場、開いてない豆腐屋……ぼおっと眺めながら歩いていると駅に着いてしまった。

 どこかガッカリしていた。春を感じられるものに出会えなかったことに。


 まあ、こんなものだ。日常なんて、ドラマもなければ事件も起こらない。

 そうして日々を過ごし、移ろう季節だけが変化をもたらしてくれるのだろう。


(――いや、もしかしたら)


 駅前の店は、早朝から開いている。おそらく通勤・通学の客を見込んでいるのだろうが、今日は自分を呼んでいる気がした。


 野菜コーナー、漬物、豆腐……魚介類。そして、出会ったのが――だ。

 昨日の残りなのか、2割引き。ずいぶんと小ぶりではあるけど、文句はない。


 期待に胸膨らませて、あさりを買う。もともと買い物をする予定もなかったから、ビニール袋も購入する。予想以上の戦利品に気分を良くしながら帰宅した。


 家に帰り、手を洗う。マスクを外して上着を椅子に掛ける。

 ステンレスのボウルを取り出し、水道水を並々と注ぐ。そこに塩を適当に入れ、あさりをパックからガラガラとボウルに移していく。

(冷暗所が良かったのだっけか?)

 少し考えてから、ラックに置いてあった布巾をボウルに被せる。


 それからパソコンに向かったり、洗濯機を回したり、バタバタと過ごす。

 そして気が付いたら、腹時計が鳴っていた。お昼ご飯の支度をせよと。


 布巾を外し、あさりを見る。砂を吐いているのか分からない。

 数時間じゃダメなんだろうか。


「さて、と……」

 深めの鍋に水道水、結構な塩を投入して火を掛ける。コンロのもう一方にフライパンを置く。バター入りのマーガリンとにんにくチューブをフライパンに入れ、こちらにも火を掛ける。にんにくが焦げる前にボウルから出したあさりをフライパンに入れる。

「あ、白ワインがない……」

 ここは、もうでいこう。どぼっと入れてから蓋を閉める。

 しばらくすると、ぱかっぱかっと、あさりが開いていく。そこで火を止める。


 ぐつぐつ――沸騰した深めの鍋にパスタを入れる。ピッピッピ、とタイマーをセットする。その間に冷蔵庫から、余ったアスパラガスと秘密兵器を取り出す。


 アスパラガスを適当な大きさに切り、麺が茹で上がるのを待つ。


 ピピピピピピーッ。


 タイマーが鳴る。時間短めに茹でた麺をザルにあけ、フライパンに再度火を入れる。アスパラガスを入れ、秘密兵器をついに投入する。


 秘密兵器、こちらも冷蔵庫に余っていたものでありながら、魚介系のパスタに彩りとちょっとした風味を足してくれる、はずだ。

(大丈夫、いけるはず――!)

 カニカマを割き、フライパンに入れる! そしてハーブ塩を少々。


 リズムよく、麺も追加。軽く火を入れて混ぜ合わせ……完成!!


「あさりとアスパラガスのボンゴレ、いただきます」


 両手を合わせて、冷めないうちにパスタを味わう。

 天才か……自画自賛しながら、美味しくいただく。プリプリのあさりと目に鮮やかなアスパラガスが、食感のコントラストを生んでくれる。口に運ぶと微かに春の香りが鼻腔をくすぐる――気がする。カニカマも程よい塩味で美味しい。間違いない。


 ジャリ……じゃり……。


 あさりかい たまに噛む砂 春の音


――お粗末様でした。

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