【直観】直観義眼

夏目くちびる

彼女の言葉に、嘘はない

 ……事故で、目を失った。



 天井を見上げた時、俺の世界は半分になっていた。いつも右側の端っこに映るはずのモノが見当たらず、だから横を向いて左から確認する必要があった。確か、あの時俺が欲しかったのは水だったはずだ。



 飲み干した後、トイレに向かって鏡を見ると、顔の半分を包帯で覆われていて。それを解いて自分の顔を見てみると、確かに黒く、ぽっかりと穴が開いていて。その傷口が血に濡れているのを見て、俺は思わず洗面器に向かってゲロをぶちまけた。気分が悪くて、その瞬間があまりにも鮮烈だったから、俺は他の事をあまりよく覚えていないのだ。



 義眼を入れるのには、実は理由がある。それは、失って保てなくなった顔貌を整える為だ。戦争帰りの近所の爺さんを見て、視力を賄える訳でもないのに、どうして目に物を入れるのかと幼少の頃に考えた事があったが、まさかこんな形で疑問を解決できるとは思いもしなかった。



 閑話休題。



 義眼は、俺の元の少し茶色い瞳をトレースしたかのように精巧だった。伊達政宗よろしく、一生眼帯を付けて生活する羽目になると思っていたのだが、これならば人前に出てもあまり不自由を感じる事はないだろうと。そう、思っていた。



 違和感を覚えたのは、とあるケータイショップの前を通りかかった時だ。店員が配っていた広告チラシの、書いてある文章があまりにも支離滅裂だと思ったのだ。



 「割高。無茶な契約を家族で結んで、一人でも解約費用を払えば、前よりも余程高く儲かります。……なんだこれ」



 最初にそれを見た時は、エイプリルフールか、鼻の戻らなくなったピノキオがセールスを行っているんじゃないかと思った。あまりにもおかしくて、だから俺はその店員に書いてあるプランについて尋ねたのだ。



 「えっと……、はは。ひょっとして、君のご家族ってウチの会社の社員なのかな?」



 高校生だと思って嘗めた態度を取るなと思ったが、それよりも店員の歯切れの悪い文句が気になってしまった。だから、町中を歩いて色んな広告を読んでみると、そこかしこにおおよそ物を売る人間の言葉ではないと感じる文言が並んでいたのだ。



 ……俺は、顔を抑えて道の真ん中で膝をついた。周りの人たちが何を言っているかは聞こえなかったが、きっと気が狂ったのだと思っただろう。



 違う!狂っているのは、こんな嘘まみれの世界でのうのうと生きているお前たちの方だ!



 ニュースのテロップを見れば、国会では平均年収の三倍の給料を貰っているジジイ共が小学生以下の口喧嘩をしている事を知り、銀行のポスターを見れば、死にぞこないの老人たちの年金は儲かりもしない国債を買って、ただ手数料をむしり取られている事を知った。

 スーパーの国産肉は偽物だ。パチンコ屋と警察の関係はズブズブだ。お前に「好きだ」とラインを送って来た男は今他の女とセックスをしているし、身体障害者を救う非営利団体は宗教じみた莫大な集金を行っている。新商品として売り出されているヘアワックスは親会社の在庫処理だし、神様は人が都合よく作りだした偶像だ!



 あれも、これも、この世界にあるモノは全て嘘っぱちだった!お前らが愛してやまないアイドルの引退報道だって、妊娠してダンスが出来なくなったからだと何故気が付かないんだ!



 ……何故。

 


 「……そうか。嘘って、優しいんだ」



 呟いて、ただ下を見ていた。気が付いて、俺の人生で今まであった事の全てがデタラメだったんじゃないかと考えたからだ。

 その時だった、俺の目の前に誰かが立っていた事に気が付いたのは。



 「……」



 それは、リクルートスーツを着た、俺よりもいくつか年上の女性だった。



 「……」



 何も言わずに、彼女は俺に手を差し伸べた。口を動かしているようにも見えたが、声は聞こえない。訳も分からず、ぼーっとその手を眺めていたのだが、後ろから歩いてきた誰かが俺の尻を蹴とばして、俺の目の前にスマホを落とした。

 書いてあったのは、誰に向けたのかも分からない、長ったらしい「寂しい」というメッセージ。彼は、スマホを拾い上げて俺を見ると、そのままどこかへ立ち去った。



 「……」



 彼女は、まだ俺に手を差し伸べていた。それを見て、ようやく脳みそが体へ信号を流して、その手を掴む。



 「……」



 彼女は、立ち上がった俺の手を離さずに、代わりに指で文字を書いた。



 「だいじょうぶ、ですか」



 口にして顔を見ると、彼女は笑っていた。口を僅かに動かして、聞こえる事の無い声を発して、そして再び文字を書く。確かに動きと形は合っている。

 彼女は、嘘を吐かなかった。



 「……はい、大丈夫です」



 片目を閉じてそう答えた俺は、思わず彼女の手を握ってしまった。狂っているこの世界で、たった一つだけ本当の言葉を見つけたような気がして、信じられない自分の存在を、ただここにある彼女の体温に委ねて、今あるモノだけは信じられると、そう思ったからだ。

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【直観】直観義眼 夏目くちびる @kuchiviru

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