プロジェクトS ~温泉旅館を死守せよ~
いずも
第1話 ユネスコ世界ジオパーク・山陰海岸! 日本海に沈む夕陽天駆ける橋、最古の秘湯! はさかり岩に祈る女将と謎の影、土建屋の陰謀を暴け!!
これは、とある老舗旅館の物語である。
店を始めてからもう三百年は経ったと語るのは、十一代目店主の若旦那。
四十代前半でありながら落ち着いたその様子からは貫禄が伺える。
地獄谷温泉でもないのに猿たちと一緒に温泉に入れると話題を呼び、今でも観光客が絶えないという。
多くない客室は常に満室で、半年先の予約まで埋まっているという。
「ウチらの役目は『七つの秘湯巡り』の一つとして、この温泉を次の世代に残していくこと、それだけですわ」
親しみのある方言混じりに若旦那は笑う。
しかし、その道のりは決して平坦なものではなかった。
一七一一年、当時で言えば正徳元年、とある地方の小さな旅館が産声を上げた。
この地域では至るところに源泉が湧き上がり、温泉旅館が軒を連ねた。
この旅館もその中の一つとして、初めは細々と経営していた。
たまに訪れる旅人の経由地としてだった。
当時はまだ、温泉を楽しもうという人も少なかった。
京の都や堺といった中心部からはアクセスが悪く、療養地として選ばれることはあれど、わざわざ温泉を目的にして旅をするには憚られるような遠隔地であった。
初代はそれで満足していた。
しかし二代目はこのままでは先細りだと改革に乗り出した。
日本海が近く、新鮮な魚介類が提供できた。
陸地は山に囲まれているため、山の幸も豊富に取り揃えられた。
春は山菜にタケノコ、夏は豆類にヤマメ、秋はきのこ類に冬はカニと年中食材には困らなかった。
次第に豪華な食事を目当てに訪れる客が増えていった。
その当時に発足してから現在まで続く、温泉付き宿泊施設の中でも規模や効能の良い温泉を称して「七つの秘湯」という。
そしてこの「七つの秘湯巡り」が江戸時代の人々の間ではちょっとしたブームとなった。
町人から武士、はては藩主に至るまで温泉地を訪れ、日頃の疲れを癒やすというのが当時のトレンドであった。
この旅館にある温泉は効能がよく、肩こりに腰痛、脚気など当時の人々を困らせていた病に対して尽く有効であったため、人が殺到した。
これをよく思わなかったのが他の温泉旅館であった。
様々な嫌がらせを受けた。
本当は温泉ではなくてただのお湯で、体がピリピリと痺れるのは海水を混ぜているせいだ、などと根も葉もない噂を立てられた。
障子に蜂の死骸を並べられたり、湯船に鼠の死骸を浮かべられたり、店の前に大量のイモリをばら撒かれたりすることもあった。
死生観を学べる素晴らしい旅館だと賞した風変わりな作家もいた。
だが大抵は気味悪がって人が寄り付かなくなった。
このままでは七つの秘湯から外されてしまう、という危機に陥った。
二代目は考えた。
だが、これといった解決策はなかった。
そこでとある作家の助言により、道がひらけた。
彼が言うには「七つの秘湯をそれぞれ訪れるごとに台紙に印を押し、それら全てを集めると願いが叶うという『すたんぷらりぃ』なるものを開催してはどうか」と。
さらに台紙を当旅館で配布することで必要性も確保できるのでは、と。
その妙案は早速実行に移された。
しかし、すぐに計画は頓挫した。
この話を聞いた人の反応は皆同じだった。
「だったらお前がまずやって願いを叶えてみせろよ」と。
二代目は頭を抱えた。
再び作家に助けを求めた。
「おっかしーなー。『龍の玉』なる漫……浮世絵にはこれでいけるってあったはずなのにな」
二代目はピンときた。
――こいつ、未来からやってきたな。
案の定だった。
この作家は電車なる超巨大な韋駄天飛脚にぶつかり死んでしまうところを、なぜか江戸の正徳元年に
二代目は百人の飛脚を集め、彼らに跳ね飛ばされることで
起死回生の一手は見事に成功した。
こうして、彼らの旅館は再び軌道に乗り出し、安泰となった。
彼が時空警察に逮捕されないか心配になるが、今は温泉旅館の話だ。
それから明治、大正、昭和と戦前、戦後の時代を駆け抜けていった。
時には大地震に見舞われ、時には台風による水害に苦しんだ。
「そりゃあ伊勢湾台風の時はすごかったわい。川が道路を飲み込んで、町中の移動はしばらく船やったからね」
懐かしそうに先代の十代目大旦那が語る。
骨身を削って働いたという表現がこれほど似合う人はいないというほどやせ細っているが、今尚健康体だそうだ。
「孫が大きくなるまでは死ねんわな」
入れ歯の歯をむき出しにして笑っていた。
旅館存続の危機が再び訪れようとしていた。
絶対に損しないという投資話を持ちかけられた。
しかし若旦那は今のままで十分だと誘いに乗らなかった。
そこで目をつけたのがパチンコ狂の大旦那だった。
彼は面白いほど簡単に騙された。
闇バカラに闇マージャン、闇カジノで無一文どころか借金を背負わされた。
FXで全額溶かした人ですら鼻で笑うほどの金額であった。
「あーあ、徳政令カードが現実にあったらいいのに」
全く反省していない男であった。
犯人の目星はついていた。
立地条件がよく、観光地としては目立つ場所にあるためにフロント企業として観光案内所を作りたいヤクザの仕業である。
土地の権利書を担保に借り入れを行った。
もちろんこの貸付業者もグルであった。
法外な金利による貸付で、利息を返済するだけで精一杯であった。
それは十一代目を肉体的にも、精神的にも追い詰めていった。
「おっ、自販機の裏に百円めっけ。これわーしの」
十代目は能天気だった。
若女将は神に縋るしかなかった。
この地方には「はさかり岩」という岩と岩の間に挟まって落ちない不思議な岩が海の上に立っており、御神体として崇められていた。
若女将は毎日祈りを捧げていた。
「早くくたばれあのクソジジイ……」
祈りは届かなかった。
内容は我々には聞こえなかった、いいね。
そんな願いが届いたのか、ついに立ち上がる者が現れた。
だが、あまり猶予は残されていなかった。
老舗旅館を取り壊す計画が立てられ始めた。
土建屋も当然ながらヤクザの息がかかっている。
若旦那が何度交渉に向かっても、良い返事はもらえなかった。
計画が順調に進んでいく一方で、不可解な出来事が起こり始めた。
土建屋の事務所にいるとどこからともなく、ラップ音とも金切り声とも取れるキーキーと不気味な音が聞こえてくるという。
またあるものが言うには事務所の外を歩いていると、ぬかるみに足を取られたかのように滑って転んでしまった、と。
さらに別の者が涙ながらに語るには、当直をしていると真夜中、複数の人影が事務所内を取り囲んでいたらしい。
鋭い眼光で睨みつけ、人でありながら人ではないような不気味な存在で、恐怖のあまり気を失ってしまったという。
そのようなことが続き、旅館を取り壊すことに対して異を唱えるものが現れた。
「これは祟りなのではないか」
誰も否定できなかった。
これは直感ではない。
直観である。
人間の本能的な部分と経験則の両方から判断して、この件からは手を引くべきだというのが組員の総意であった。
だが、一人だけ違った。
「何を馬鹿なことを。ええか、そんなの旅館の奴らの嫌がらせじゃ。さっさと取り壊せば大人しくなるじゃろうて」
親分だった。
物怖じしない性格で若い頃は鉄砲玉と呼ばれていたが、悪運の強さで生き残り出世してあれよあれよと組の幹部にまで上り詰めた。
目に見えないものは存在しないのだから信じない。
おばけなんて嘘さ。
それが彼の口癖だった。
彼は直感だけで生きていた。
根比べだった。
ポルターガイスト対ヤクザ。
奇しくもヤクザの監視の元で旅館関係者たちの無実は証明されてしまっていた。
無理やり罪を着せてしまおうという気迫すら失っていた。
親分も限界だった。
上から早くしろと急かされる。
期日を破ったらお前の命はないと思えと脅され、下からは危険だから計画は中止にして欲しいと懇願され、板挟みだった。
親分は旅館の取り壊し計画を強行させた。
どうせ死ねばもろとも、と鉄砲玉らしい考え方だった。
誰も皆、限界だった。
さぁ、今こそその時がきた。
権利書がないのならば、取り返せばいい。
血で血を洗う紛争になろうとも、その数多の犠牲の先に勝利があるのならばそれは価値のある行動であると彼らは考える。
勝手に居場所を奪われてしまうことを良しとしない者たちがここにも居るのだと、奴らに目にもの見せてやろうと彼らは一致団結した。
――温泉を取り戻すため、猿たちは土建屋に乗り込んだ。
プロジェクトS ~温泉旅館を死守せよ~ いずも @tizumo
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