ひらめき

村良 咲

第1話 ひらめき

「なにやってんだよ!!!」


 大きな怒鳴り声で、いきなり覚醒させられた。させたのは、自分だ。


 嫌な夢を見た。また、あそこだ。


 和仁は、時々同じ夢を見る。だが、そこは一度も行ったことがない場所だ。そこで、和仁はいつも階段を上がっている。一段一段、足元を確かめるように。


 あそこはどこだろう?その夢を見るたびに、考える。……考える。


 だが、どんなに考えても、その場所を知らない。


 大きな山の山肌にある長い長い急な階段を、落ちないように落ちないようにと、そんな気持ちで階段を上る。これだけ高い場所から下を見たら怖いに決まっている。それがわかっているのに、いつも必ず振り返る。そして振り返った瞬間、その高さに足が竦み動けなくなる。上がることもできず、下りることもできず、ベットの中で動けないままの夢を見ている自分に、夢の中で叫ぶ。「なにやってんだよ!」と。




「パパ―ッ、パーパ―」


 大きな船のある公園で、息子の和人はその船に登って遊ぶのが好きだ。また船の上から大きく手を振っている。


「危ないぞ、ちゃんと手で持っていないと……」


 和人の前にある柵を持つ仕草をして見せて、ちゃんと持てと仕草で教えると、その柵を一度手に持ち、すぐに手を離して船の上を駆け回る。父親の自分は高いところはその夢と相まって、怖く感じて避ける傾向にあるのだが、和人は高いところは全く平気らしく、父の和仁の背丈よりも高い場所にある船の上から、飛びおりそうな勢いで和仁のいる辺りまで走ってきて、急ブレーキをするように止まると、下を覗き手を振る。


「危ないから走ったらダメだろ!」


 怒られたことがわかると、シュンとした顔を見せ上目遣いでこちらを見る。上から見下ろしているのに上目遣いというのもおかしな話だが。


「危ないことしたらダメだぞ」


 少しだけ声のトーンを優し気にすると、和人は「うん」と頷き、言われた言葉はどこへやらで、船の上を小走りで、そこに置かれたベンチに登ったり、操舵室をした中に入り込み、なにやらしている。


 すると、和人がいないはずの方向から和人が現れ、「わっ」と驚かすように和仁に向かってお道化(どけ)てみせる。操舵室をした場所には出入り口が2か所あり、入った方とは別の出入り口から出てきたのだろう。それがわかってやっているとしたら、随分賢いなと逞しくも思っていた。

 

 高い場所が平気そうな和人は、そこから下りる時も階段を使わず、和仁の場所に来て手を伸ばすようにして、飛び降りるような仕草をし、和仁がそれを受け止めるという、そんな下りかたをしていた。階段を下りる怖さを知る和仁にとって、手を伸ばせば息子を抱えられるその瞬間は、大きな安堵を得られる場所でもあった。


 和人が幼稚園に通うころになると、妹の美咲が生まれ、毎日のように船の公園も飽きるだろうと、休みの日には和人を車に乗せ、市外の公園に出かけるようになっていた。


 小高い山の斜面を利用した滑り台のあるその公園でも、和人は自分からどんどんとその滑り台の横に設えられた階段をいくつも上っていく。「パパ、来てー」などと言う子ではない、自分からどんどん行ってしまう子だ。まるで父親の階段嫌いがわかっているかのようだった。


 だが、ここは全く階段を上らないというわけにはいかない公園だ。なぜならば、その斜面の滑り台のある公園自体が、山の斜面に作られた階段を上っていった丘の中腹にあるのだ。


 そんなわけで、帰りにその階段を2人で下りているときも、和人は途中で歩を止め、両手を伸ばす仕草をする。階段下まで手すりを持ちながら和仁が下り、その和仁の腕に向かって、飛びりたいのだ。よくこんな怖いことができると、和人を見てるといつも思う。たった3段4段でも、その段から飛び降りるなど、和仁には怖くてできない。そんなことをしたら、いつか夢で山の階段から飛び降りてしまうのではないかと思うと、怖いのだ。


 和人が小学生になり、公園に行く機会も減り、それでも週末には家族で公園に行くようにしていた。それは妹の美咲と外で遊ぶためでもあった。


 和人が3年生になる頃だったろうか、身体も心も成長しつつあった和人は、さすがにもう高いところから父親の胸に向かって飛びることはしなくなっていたが、あるときそんな和人の小さかった頃の話をしてみた。お前は怖くないのかと。パパは怖くて少しでも高い場所から飛び降りられないんだと。


「ボクはこわくないよ。だってパパが受け止めてくれるじゃん。パパがこわいなら、ボクが大きくなったら受け止めてあげるよ」


 逞しく嬉しいことを言ってくれる。そう思ったものだ。




 眠い。……とにかく、眠い。


 一瞬、どこからか落ちるような感覚が身体を襲い、ビクンと震えた。


 ああ、また高いところから落ちそうな夢でも見ていたのか。そんなことを夢の中で考えているうちに、意識はまた夢のその先へと歩いていた。


 またこの階段か。上ったらまた下りられなくなる。わかっているのに、いつの間にか気付いたら落ちないように落ちないようにと思いながら階段を上り、その途中で歩を止め、怖いとわかっているのに振り返って下を見て足が竦む。いつもそんな繰り返しだ。また、怖くて上にも下にも進めない。


「なにやってんだよ!!」


夢の中で自分にそう叫ぶ。そうして覚醒させられた夢の中で、今度は和人の声が聞こえた。


『父さん、ボクが受け止めるよ』


 和人?


『父さん、大丈夫だよ、ここだよ、ここ』


 ……そうか、和人が大人になったら受け止めてくれると言っていたではないか。


 そうだ、和人なら……


 再び和人の声が下から聞こえ、恐る恐るそこに目をやると、階段のすぐ下に和人が見えた。ああ、和人、いたのか。ものすごく高い場所にいるはずなのに、すぐそこで和人が手を広げて受け止める姿勢でいることに気付いた。


『父さん』


その声に、弾かれるように和人に向かって手を伸ばして飛び込んだ。



「父さん、父さん、わかる?気がついた?」


 目の前には見たことのない天井が広がり、寝ている自分の横には、顔を覗くように和人、美咲、そして妻の美和がいた。3人の方に振り向こうとしたら、何かに引っ張られるように押し戻された。ああ、鼻に何かが……


「よかったぁ。お父さん、事故に巻き込まれて3日間も意識が戻らなくて……ああ、よかった」


 和人の手のぬくもりを自分の手に感じた。

 

 ぼんやりとした意識の中で、交差点で自分に向かって車が突っ込んできたことを思い出した。その瞬間、「あっ」と、思ったか口で言ったかどうかは定かではないが、そこから記憶がない。


 ずっと、眠っていたのか。


 ああ、そうだった。和人が受け止めてくれるって、約束したじゃないか。だから、あの瞬間、飛びることができたんだ。


 そうか。あの夢は、ここに辿り着くために見ていたんだ。

 

 握った和人の手は、逞しくあたたかかった。







 


 

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ひらめき 村良 咲 @mura-saki

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