そこに行けば......

私池

待ってて......くれるかな?

 名産品であるサクランボの収穫も終わった七月十九日の昼下がり、山形県東根の山間は、青い空、白い雲、そして緑の山に囲まれた長閑な農村地帯で、車を走らせてもすれ違う人はほとんどない。

 神町駅の南から西へ向かい、四十八号線に合流する所を右折、向原を左に曲がって川を渡ったら山沿いを走る。

 上悪戸地区で右に入る道を進めば目的地の公民館だ。

 公民館前のスペースに車を止め、裏手の山を目的地の奥の院まで木漏れ日の中をゆっくりと進む。


 十ヶ月前、俺は大学から付き合っていた佳奈と破局した。

 原因は今考えれば小さな事で、その積み重ねが二人の距離を段々と遠ざけ、俺の勘違いから俺達は同棲を解消した。

 連絡先はアパートを引き払う時、互いに相手の目の前で消してそれ以降、一度も連絡はとっていない。


 佳奈と別れてから三カ月、会社の同僚と飲んでいた時、隣りのテーブルにいた女子グループと意気投合し、その中にいた遥と二人で会うようになった。

 遥は容姿も性格も俺には勿体ないほど素敵な女性だった。 ただ......

 何度かデートもした。 話してても面白い。

 でも遥には悪いがどうしても佳奈の事が忘れられなかった。

 外見も、性格も、較べるのは失礼だが遥の方がずっと上なのに。

 寂しいとか、佳奈を思い出す事も無くなって吹っ切れていたはずなのに。


 結局ゴールデンウィーク前に彼女とは別れた、いや元々付き合っていなかったのだから知り合いに戻った?のだろう。

 遥が最後に言った言葉、「もし佳奈さんとどこかで会ったら、ちゃんと謝って、もう一度やり直して下さい。 今度は離しちゃダメですよ!」 を反芻しながら七月十九日を待った。



「佳奈、佳奈、昨日の飲み会の後、相澤さんと二人で帰ったでしょ? 何か進展あった?」

「別に? 十一時までやってるコーヒー屋さんで少しだけ話して帰っただけよ」

「えーっ⁈ あんなに素敵な人だよ、次期課長候補最有力じゃん。 背も高いし、優しいし」

「だったら美幸がアプローチすれば良いのに。 何で私に振るかな」

「いやいや、私にはハードル高過ぎだし。 第一相澤さんのお気に入りは佳奈じゃん」

「そうなの? まあ恋愛はまだいいかな」

「そう言ってもうだいぶ経つよ? まだ元カレ引きずってんの? アタシだったら切り替えて新しい恋に進んじゃうけどな」

「心配してくれてありがと。 でもね、なんか忘れられないんだよね」

「それって身体の相性がバッチリだったとか? 彼のテクが忘れられないとか?」

「はいはい、シモの話はそれくらいで。 もう始業時間だよ」


 何でだろう、この半年くらいで数人の男性からお付き合いを申し込まれたけど、心が動かなくて、その度に元カレ、友樹の事を思い出す。 

 別に初カレでもなかったし、今までこんな事なかったのに。

 ただ今更連絡方法もないし、共通の友達に連絡先訊くのもねぇ。

 もうすぐ私の誕生日、その時までこの思いは保留にしよう。




 -- 二年前

 山形県の上川温泉に泊まった帰り、サクランボ狩りの食べ放題があると聞いて俺達は寄ってみた。

 二人とも初めの十分くらいはそこそこ食べていたのだが、そのうちペースも落ちついて会話が中心になっていた。


 田舎の人は大抵話し好きで、ここで知り合った老夫婦にあちらから声を掛けられた。

 なんでも孫にサクランボ狩りで食べ放題がしたいと言われてわざわざ東根から一時間かけて来たらしい。 地元の方がサクランボ畑は多いが、園内で食べ放題できる場所はないとの事。


 別れ際に老夫婦から東根市のとある場所を教えられた。

「もしそうなったら、どっちか先に来た方の誕生日にそこで待ち合わせするのはどう? 時間はお昼から三時の間で」

「覚えてたらね」




 二年前のそんな軽い会話に一縷の望みを託して奥の院へと歩みを進める。

 途中で息を整える為に立ち止る。

 周りを見渡すと山道の他には木々しか見えない。

 そして耳には蝉時雨しか聞こえない。


  閑さや岩にしみ入る蝉の声


 岩を身体に替えて、芭蕉の句を文字通り体感しながら、この句の蝉を巡って昭和初期に論争があって、結局ニイニイゼミに落ち着いたって聞いたのを思い出した。

 確かに東京で聞くアブラゼミの声とは違うと思いながら心を落ち着けてまたゆっくりと歩き出す。


 決して気の長い方ではない俺がゆっくり歩いているのは不安が足を止めようとしているからだろう。

 もし佳奈がいなかったら、本当に佳奈を諦めるのか。

 もし佳奈がいたとしても、既に誰かと付き合っていたらどうするのか。

 そんな気持ちを抱えながら、二年前に老夫婦が詠っていた詠歌を思い出す。

  昔より

  清きうてなにましまして

  人のお仲を

  直す御菩薩


 歩いていると奥の院が見えてくる。

 ますます強くなる不安に歩みを緩めながら、人影を探しながら一歩一歩進んで行く。

 お堂の横に座るよく知っている女性が見えた!


「佳奈!」

 俺達は再会した。

 東京からずっと離れたこの

 仲音堂で。

「会えたら仲直りするんだよ」

 あの約束の時の佳奈の声が、振り返った彼女からもう一度聞こえた。


 〜了〜

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そこに行けば...... 私池 @Takeshi_Iwa1104

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