最終話 さあ、復讐劇の始まりだ
「それに、何かを守りたいから嘘を吐いているわけだろ。それはどうするんだ。まあ、検察がこのまま嘘の証言を信じるかは不明だけど、何か守りたいものがあるってことさ」
「そうですね」
いずれはっきりすることならば、自分から明かさない方がいい。それが、友也の判断だというわけだ。
「で、本当の犯人である岡林は」
「まだ入院中だ。意識が回復するか、医者は微妙だと言っている。意識が戻っても、脳に障害が残るだろうということだ」
「そうか」
ということは、友也の嘘は有効なままということになる。千春は、翔馬とは違う意味で、はっきりさせた方がいいのではと思っていた。だから、桃花の意識が戻らないかもしれないというのは、あまり喜ばしいことではない。
桃花はあの時、押し寄せる水から何とか逃れたものの、大量の水が肺に入り込んでいたのだ。そのために呼吸困難に陥り昏睡、誰もまさか水を飲んだとは思っていなかったため、適切な処置ができず、まだ眠ったままとなっていた。
「まあ、手伝ったという証拠はあるからな。安達の自殺教唆は揺るがないだろう」
「なるほどね」
「とはいえ、天井を通ったのは田辺の方だったけどな」
「えっ」
証拠はそれではないのかと、今度は千春が驚くことになった。
「お前な。自分の身長を考えろよ。百八十もある大男が、高さが一メートルあるとはいえ、天井を這いずり回れると思うか」
「ああ」
そう言えばそうかと、千春は友也が自分と同じくらいの身長だったことを思い出す。しかも天井に通じる穴はそれほど大きくなかった。あそこから入って天井を通り抜け、さらに美紅の死体を引き上げるなんてことが出来るはずない。
「田辺が天井を通って向こう側に行き、安全を確認して安達に連絡。安達は渡り廊下を通って普通に向こう側に渡ったっていうのが真相だ。水の音に驚いて、動物は逃げた後だったらしい。さすがに一人で天井に死体を隠すのは無理だからな。そこを手伝ったことは間違いない」
「そうか」
事件の中心は完全に田辺に移動したわけかと、千春は納得できた。だからこそ、友也は親子関係をはっきりさせたくないのかもしれない。案外、罪を被ってやるつもりはないらしいなと思わず苦笑してしまう。それが最も友也らしく思えた。
そう、友也はこの事件が起こる可能性を予測できなかったはずだ。いくら桃花が腹違いの妹とはいえ、安西を好きになっているなんて知る由もなかった。あの家を設計した時、いつか殺してやると思っていたのかもしれないが、あのタイミングではなかったはずだ。
「こんなややこしい事件は二度とごめんだな。そう簡単には起こらない事件だろうが、どう説明してもすっきりしないし、ややこしくて敵わん」
犯人も逮捕され、あらかた事件の様相も解ったというのに、喉に魚の小骨が刺さったような気持ち悪さが残ってしまう。それに、将平は顔を顰めて困ったもんだとぼやいているのだ。動機というのは、後付けであっても事件をはっきりさせるためにある。それなのに、今回はどう説明されてもはっきりしない。
「人間の感情なんて、そんなもんだ。そこから起こされる行動も、割り切れるものではない」
「おいおい。お前の研究に関わることだろ。そんな奴がそうやって割り切っていいのか」
「人間の感情の総てを理解する必要はないんでね」
呆れる将平に、千春はふんっと鼻を鳴らして言い切った。その開き直りとも取れる発言に、いいのかと翔馬と英士を見てしまう。
「俺は最初から、総てを含んでいないと言ったぞ」
英士は説明をちゃんと聞いていないお前が悪いと、千春の肩を持つ。翔馬はといえば、曖昧に笑ってどちらにも付かないつもりらしい。
「でもよ。お前がその訳の分からない研究をしているから、嫌がらせしたり事件を解かしたりしたんじゃねえのか」
「さあ。興味あったとは聞いたけど」
「けっ。筆跡や指紋からカエルの死体や刃物類を送り付けたのは安達がやったと解ってんだぞ」
「でも、被害届を出さないから意味がない」
「ちっ」
ああ言えばこう言うと、将平は苦々しげに舌打ちした。結局、あの悪戯に関しても曖昧なままだ。あれだけ執拗な嫌がらせが、本当にただの警告だったのか。真相は闇の中ということになる。
「一つの警告ではあったんだろうね。どれだけ単純化するか。それを見誤ると何もかも違う答えを導き出してしまう。まさに今回の事件のようにね」
「ふん。気障ったらしい」
千春の言葉に、馬鹿馬鹿しいと将平は立ち上がった。どいつもこいつも、曖昧で気にならないのか。そんな気持ちだけが残る。が、自分だって刑事だから解っている。後から語られる解りやすい動機なんて、それこそ後付けなのだ。その時のそいつの心理を反映しているかどうか怪しいものだということだろう。
「さあ、煩いのも帰ったことだし、研究に専念だ。もう嫌がらせの手紙も届かないだろうし」
英士がそう言うと、千春と翔馬の顔が微妙になった。えっ、まだ来ているのかと英士の目が丸くなる。
「ええ。カレーせんべいは別だったんです。ほら、宛名は一部が手書きで他は印刷されたラベルだったじゃないですか。で、今日ですね」
届きましたと、翔馬はビニール袋に入れた手紙を差し出した。そこには油に濡れて変色した茶封筒があった。
「はあ。世間にはしっかり勘違いして、そしてこんな暇な悪戯をする奴がいるってことだな」
「まあ、いいんじゃないか。人工知能そのものが反発を食いやすいんだ。そのくらいの悪戯なら許容するしかない」
「こっちが大人になるしかないってことな。まったく、研究者ってのものんびりしていられない時代なのかね」
本人が納得しているならいいかと、英士は笑って立ち上がった。こちらも自分の研究室に帰る気になったようだ。
「じゃ、健闘を祈る」
「お前もさっさと論文を仕上げろよ」
互いに励ましの言葉を掛けると、三人はいつもの日常へと戻っていったのだった。
さて、どうしたものか。
友也は留置場で溜め息を吐いていた。大方の真相が千春によって暴かれてしまった今、小さな嘘もそのうち見抜かれてしまうだろう。警察が本気で調べれば、それこそ友也の発言なんて簡単にひっくり返せる。
そんな友也の手には、千春のあの論文があった。『人工知能が人間の心を理解するのに何が必要か』という、この総ての事件に通じる論文。ああ、これと出会ったことで、友也の心は大きく揺れ動いてしまったのだと気づく。
「ふふっ」
それでも嘘を吐いたことに後悔はないのだから、やはり自分は安西を、そして田辺を恨んでいたのだろうと思う。
「哀れだな」
あの男を本当の父と知らず、弟子入りしただけでなく愛してしまうとは。桃花の行動は理解しがたいことが多い。しかし、友也にとって妹であることには変わりなかった。ただ、彼女は何一つ気づくことなく、そして知ることがなかっただけだ。
だからこそ、嫉妬に狂って美紅を殺害したのだ。かっとなって腹を刺したようだが、美紅の顔が穏やかだったことから、いずれこうなることを知っていたのだろう。何といっても、二人は同じ部屋で生活していたのだ。そしてともに愛人。なんとも複雑かつ不可解な状況だ。
そして桃花は、おそらく美紅が安西の子どもを身籠っているのではと疑ったのだ。だから切り裂いた。その辺りは女性にしか解らない何かがあったのだろうが、どうでもいい。
「馬鹿馬鹿しい。どうしてこんなことばかり繰り返される」
友也が詳しく知ることが出来たのは、あの安西がずっと自分の母にご執心だったおかげだ。あの女のどこにそんな魅力があるのか、金を払ってでも繋ぎ止めたいと思ったのだから、相当な熱の入れようだろう。
しかし、それは母の方も同じはずで、田辺の言うとおりに友也の存在を隠していたのだからお互い様か。あの老人のどこにそんな魅力があるのか。友也にはさっぱり解らない。その安西は、払っていた金は口止め料としか思っていなかったに違いない。
そう、あの時千春が指摘したように、互いに親子だと名乗ることは最期までなかった。安西が死ねと命じられて受け入れたのは、桃花を愛していたからに過ぎない。そうでなければ、桃花が入り口まで逃げられたはずがないのだ。だってあの時、犯人である桃花も死ぬはずだったのだから。
「俺も相当な悪者だな」
友也がこの件に加担した理由はただ一つ。桃花もまた安西か、もしくは田辺の子どもであるという事実を知っているからだ。彼女だけ知らず苦しむことなく、さらには父かもしれない相手と恋に落ちるなんて、許せるはずがないではないか。
あの時は嘘を吐いたが、友也は安西が父である可能性をずっと小さい頃から知っていた。ペンネームとして安西の名前を使い、個人宅を請け負っていたのは復讐のニュアンスを多分に含んでいることを認めねばならない。どうしてもあの男に復讐したかった。
そう、復讐だ。家という家族への憧れ。それをあなたはどうしてくれるのか。その問いが、あの名前を選ばせたのだ。それと同時に、絶対に安達の名前で個人宅を受け負えない理由でもあった。誰かが自分の作った家で幸せな家庭を築くことを、友也は感情として処理できなかった。激しい葛藤に苛まれてしまうのだ。そこであのペンネームだ。名前を変えただけなのに、すんなりと仕事が出来るようになったのだから不思議なものである。
母親の奔放さを考えれば、家庭が冷え切っていたのは当然だ。だからこそ、家族というものへの憧れだけが大きかった。そして、総てを奪った安西が憎いとも。だからこそ、あの安西という苗字で描く家は、総てが友也の負の感情の捌け口だったのだ。どの家も、どこかに奇妙さを含んでいる。あの、安西青龍が住んだ家のように――
あの家は、いずれ水の重みに耐えられずに安西が死ぬように仕向けて設計したものだ。万が一のために、あのアトリエの仕掛けも付属させておいたのだが、まさか今回の事件で役に立つとは。何がどう作用するか、解ったものではない。
「おい。岡林が目を覚ましたそうだぞ。とはいえ、これからも寝たきりだろうということらしいが」
復讐への思考を遮った声は、さらに友也の暗い感情に油を注いだだけだった。生き残ったのか。そんな暗い気持ちしか芽生えなかった。
「誰にも愛されないのにな」
友也はくくっと笑うと事件に思いを馳せた。思えば今回の事件は始まりから皮肉だったではないか。
画家六十周年のパーティーそのものは安西の発案だった。そこに呼ぶべき招待客は、新進気鋭の人々がいいと主張した。その中に友也が含まれていた。そして、家を建てた間柄とあって意見を求められたのだ。
「お前なら、誰を推薦する?」
「そうですね。人工知能を研究している、椎名千春なんてどうでしょう」
今考えると、唯一の親子らしい会話だっただろうか。安西は薄々と気づいていたということか。まあ、今となってはどちらでもいい。
「さあ、本当の復讐劇の始まりだ」
裁判で何もかもぶちまけてやろう。総てを、安西の築き上げた総てを壊す時が来た。名誉も名声も、そして愛した女たちも、総てが泥に塗れる時が来たのだ。
薄暗い光の中、友也は留置場に来て初めて本当の笑みを浮かべていた。
椎名千春の災難~人工知能は悪意を生む!?~ 渋川宙 @sora-sibukawa
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