第51話 曖昧なままがいい
「では次。遠藤先生に関してですね」
「ええ」
美紅の遺体があのタイミングで、浴室にあったからこそ、真実はより見えなくなっていた。あれが天井に隠されていたということは、誰も解らなかっただろう。ひょっとしたら友也は浴室に置くつもりさえなかったのかもしれない。
「水が総て排水された後、つまり、部屋からあのオブジェの下へと流された後、あなたは死体を回収し、天井に置いた」
「ええ。天井を伝ってね。渡り廊下の上にも同じような空間があるんです。天井を使えばどこへでも行き来は簡単なんですよ。そうすれば、あの時間に野生動物がうろうろしていようと関係ない。普段は水が溢れていて通れない天井ですが、総てがあのアトリエへと排水されたため通行には何の支障もなかった」
「なるほど。そう言えば、傘はあったのにカッパがなかった理由は、ひょっとして、その時の移動で使ったからですか」
「ええ。そういう些細なことも気づくんですね」
「濡れた服を持っているのは危険ですからね。それに石田さんは、傘を渡してくれる時に行っていましたよね。カッパがなくなっていると」
「え、ええ。普段は傘ではなくそちらを使うので、どこかに置いてあるはずだと思ったんです。メイドが使って、どこか別の場所に置き忘れたのだろうと思っていましたが」
まさか事件で使われていただなんてと、石田は驚きを隠せないようだ。
「あそこの天井が濡れていたのは、安達さんがあそこから出入りしたからですね。他に水漏れの跡はなく、しかもあそこの濡れた跡もほぼ乾いていた。ということは、ちょっと濡れるようなことがあっただけ。それは安達さんがカッパを着て行き来したために出来た、と」
「そういうことです」
雑然とした場所に証拠品がある。それはあの物置きでも同じだったわけだ。詳しく調べていれば、血の付いたカッパを発見できたかもしれない。しかし、天井を行き来したなんて考えもしないから、そんなものの捜索の話にはならなかった。
「じゃあ、あそこに、浴槽に死体を置いたのは」
「俺じゃない。田辺さんです」
「ああ」
そもそも、何かあるのではと相談したのは田辺だ。事件に積極的に関与していて然るべきというわけである。つまり友也は田辺の相談を受けて協力しただけで、この事件に関わるメリットは何もないのだ。これがずっとつき纏う違和感の正体だ。
「本当はあのまま天井に隠しておいて、警察に発見させる予定だったんです。そうすれば、事件は簡略化しますからね。ところが、予定外の崖崩れが発生し、しかも生活用水の一部である水が溜まる中、天井に置いておくことが出来なくなった。そこで、浴室に落すことにしたというわけです。衣服を剥ぎ取って偽装したのは田辺さん。さすがに自責の念が強くなったようで、吐いてしまったわけですが」
たしかに、いくら偽装工作に加担するためとはいえ、死者を冒涜するような行為を行ったのだ。それも親身にしてもらったと慕っている相手だ。
しかしここで疑問が生じる。どうして田辺はそこまでやったのか。友也が父である安西の窮地に、自殺しろと命じたという残虐さも気になる。いや、よく考えれば、どうして自殺しろと指示したのか。
ふと田辺を見ると、その顔は今までで見た中で最も蒼白だった。それこそが、ずっと隠されている話題なのではないか。つまり
「安達さんは、本当は田辺さんの子どもなんですね」
「ふふっ。本当に困った人ですね。人の心を読みすぎるなと、散々不安は煽っておいたはずなんですが」
「えっ」
それってと、考えるまでもないことだ。あの悪戯の犯人は友也だと、そう告白されたのだ。
「心の研究をしている。それも人工知能に組み込むために。そんなあなたに、この人たちを分析してもらいたかったんですよ。でも、余計なことに口出しされては困るので警戒させようと考えたわけです。まったく取り合ってくれていなかったようですね」
「なるほど」
そういうことだったのかと、驚きが隠せない。どうにも友也の存在がふわふわして感じたのは、様々な秘密で覆われていたからなのか。そしてやけに自分に纏わりついていたのは、余計なことに口出しさせないように、余計な真実に気づかないように見張っていたからか。
だからこそ、犯人を問わないと言った千春に、推理誘導を掛けたというわけか。犯人を知られることは同時に自分の出生の秘密を知られることになる。だから、この場では自分が犯人であるかのように積極的にミスリードしようとしていたのか。
では、その田辺がどうして桃花を守るために友也に依頼したのか。この家の絡繰りを使って助けてくれと、そう依頼したことは間違いない。
「まさか」
「腹違いの妹なんですよ。とはいえ、俺にしても岡林にしても、安西か田辺のどちらかが父親だとしか解りません。要するに、田辺という男がずっと安西に仕えられたのは、お零れを頂戴できたからというわけです。しかも自分の番で失敗しても総て安西のせいに出来るという特典付きでね。安西からすれば、遊びで子どもが出来たとしても気にしない男だったんですよ。金で解決すればいいとそう考えていた。でも、さすがに晩年は罪の意識があったのか、若手芸術家の支援というのを始めましたけどね。こういうパーティーを披いていたのも、要するに引き合わせの意味合いが強いんですよ。新たな人脈作りに役立てるってことですね」
「なるほど」
だからこそ、友也は安西に死ねと命じた。友也からすればその時点で桃花も死ぬことは読めたにも関わらずその方法を取らせた。
田辺からすれば、散々安西のおかげで甘い汁を吸えたとはいえ、自分の娘に手を出されて腹が立っていたということか。だからこその相談なのか。どうすべきかと、兄であるかもしれない友也に相談することにした。しかし、田辺たちが手を打つ前に事件は起こってしまった。だからこそ安西は二人に助けを求め、自分が死ぬという条件を含むトリックに加担した。
「何だか、悲しいですね」
ぽつりと漏らした大地の言葉が、この事件の総てを言い表しているようだった。
「お前はスマホも扱えないのに工学部准教授なんだな」
「なっ、そんな言い草はないだろ」
事件から一週間。田辺と友也の取り調べが終わったとしてやって来た将平は、千春を見るなり先ほどの一言を放っていた。だから千春は、スマホくらい扱えると憤慨した。
あの後、明け方には雨が小降りとなり、さらに風が弱まったとしてヘリがやって来た。それにより事件は一気に解決へと向かったのだ。友也と田辺は自首し、桃花は病院へと運ばれた。やはり窒息しかけたのが原因のようで、病院での処置後も昏睡状態が続いているという。
「今回のような特異な状況でなければ殺されていたぞ。真相を暴かれて犯人がお前を殺そうとすることだって考えられたはずだからな。警察と連絡が取れる状態だというのに連絡を忘れるなんて、スマホを扱えないのと同等だ」
「なるほど、言い得て妙だ」
そう納得したのは、今日も千春の研究室で寛ぐ英士だ。この人は自分の仕事はいいのかと、それを横で聞く翔馬は思わなくもない。千春は溜め息を吐き、反論を諦めていた。そして読んでいた論文を投げ捨てると、将平の話を聞く態度となる。
「それよりも、安達はどうなったんだ」
「送検されたよ。家の仕掛けは単なる遊びだったんだ。事件に関しては自殺教唆で落ち着いているから、刑は軽いだろうけどな」
「そうか」
千春があの事件で気になるのはそれだけだ。友也は一体どうなるのか。果たしてどこまで手伝ったのか。あの場では、確かに自分が安西に指示したと言っていたが、それも怪しいのではというのが、千春の感触だった。
「警察でも変わらず、自分が唆したと供述しているよ。安達に関して、警察は安西の隠し子だろうと思っているから、この供述は重要視されている。そもそも、安西は何度も鎌倉を訪れているし、さらに安西の銀行口座から直接、安達の母親の口座に金が振り込まれていたからな。これは養育費を渡していたと判断されておかしくない」
「なるほどね」
友也が揺るがずに強固に主張した理由はそれかと、千春は複雑ながらも頷く。しかし、そうなるとより一層、人物関係がややこしくならないかとも思った。一体、友也はどう思っているのだろうか。本当に田辺のことを父親だと信じたのか、疑わしくなってくる。
「安達はDNA鑑定はしないと言っているからな。実際がどっちだったか、本人にとってどうでもいい問題なのかもしれない」
「そんな。自分の問題なのに」
それでいいのかと、翔馬は思わず声を上げていた。そんな曖昧な状況にしていていい問題ではない。
「いや。曖昧なままがいいってことなのかもしれないぞ」
「えっ」
「だって、安達の両親ってまだ生きてるんだろ」
「あっ」
英士の指摘に、そういうことかと翔馬は納得する。ここではっきりさせることは、自分だけの問題では留まらなくなる。だからはっきりさせないということか。
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