冬の土用

第八話:冬「とり残された男とじゃがいもソフト」前編

 新宿のとある雑居ビルに、探偵事務所があった。

 名前は『安楽庵あんらくあん探偵事務所』。

 だが、お客は滅多にこない。三ヶ月に一度しかこない。


 理由はいくつかある。


 まず、最初のひとつ。

 安楽庵あんらくあん探偵事務所は看板を掲げてない。看板を掲げていないのだから、そもそもお客は立ち寄らない。ただ、広告は出している。とある雑誌に、小さな広告を掲載している。


 だが、今回は広告が理由ではない。今回の三ヶ月に一度のお客は、広告を見てここに来たわけではなかった。

 ある人物の口コミで安楽庵あんらくあん探偵事務所に訪れていた。


 その証拠に、訪れた青年は、看板をみてうなづいた。


『占いの館 安楽椅子あんらくいす


(間違いない。本当に占いの館なんだ。でも、なんでだろう?)


 看板を見て、ひとりごちたお客の名前は凸凸凹凹ペーーー。とある居酒屋のオーナーシェフ、田戸蔵たどくらタケシの店で働く青年だった。


 凸凸凹凹ペーーーは、『占いの館 安楽椅子あんらくいす』のドアを開けた。


 カランコロンカラン


 ドアは、喫茶店のような音をたてて開いた。

 そして、メイド服を着た店員が挨拶をしてきた。


「いらっしゃいませ。おおきに」


 メイド服の店員は、関西弁でニコニコと接客してきた。

 そしておもむろにタブレットPCを押し付けてきた。


「見たところ、はじめてのお客さんやね。せやったら、ここに、名前と住所と連絡先。それから生年月日と生まれた時間、あと出生地を書いてください。でもって、占って欲しい内容を……」


「あの、予約をした凸凸凹凹ペーーーです」


「あぁ! 田戸蔵たどくらさんとこの! イツキさんがいつもお世話になってます」


「はい。おかげさまで。準備も順調です。開業は、来月の三日です。」


「ちょうど節分やね! それはなによりや! 田戸蔵たどくらさんとこの唐揚げ、めっちゃ美味しいもん! 絶対流行ると思います。

 で……今日は人探しですよね?」


「はい。いなくなったのは、もう十年ほど前なのですが……」


「そうなんやぁ。でも、この店にたどり着いたって事は、絶対生きとるし、絶対見つけることできると思います。とりあえずこれ、入力してください」


「わかりました」


 メイド服を着た女性から、タブレットPCを受け取った凸凸凹凹ペーーーは、待合席の長椅子に座ると、タブレットPCに、自分の氏名と、生年月日を、出生地を記入した。

 そして、ここに来る途中に実家に電話して、母親に母子手帳で確認してもらった生まれた時刻を記入して、メイド姿の女性にタブレットPCを返した。


「ええと、凸凸凹凹ペーーーさん。……生年月日は一九八八年、五月四日。おうし座やね。年齢は‥‥今が二〇二〇年一月やから‥‥三十二?」


「三十一です」


 凸凸凹凹ペーーーは、食い組に訂正した。


「あぁ! すみません。数えで歳を数えるクセがついてもうて‥‥でも、見た目よりずっと若く見えます。わたしと同じ位やて思ってました。で、出生地が兵庫県。出生時間は午前五時二十三分。わかりました。ありがとうございます」


 そういうと、メイド姿の女性は占いの館に凸凸凹凹ペーーーを案内した。

 部屋は、十畳ほどだろうか。狭い。


 パーテーションで、みっつに区切られていて、奥にもう一つドアが見える。

 あとはトイレと、給湯室。

 いたって普通の雑居ビルだった。


 凸凸凹凹ペーーーは、メイド姿の女性に案内されて、みっつに区切られたパーテーションのうちの、ひとつの区画に通された。


 メイド喫茶みたいな飾り付けがされていた。


「今、飲み物出します。コーヒーと紅茶、あと、お酢と緑茶がありますけど、どれがいいですか」


「じゃあ、緑茶で」


 凸凸凹凹ペーーーは、無難に緑茶を選んだ。無難ではないお酢の後に現れた、無難な選択肢のお茶を選んだ。


かしこまりました」


 メイド姿の女性はニコニコしながら給湯室に消えていくと、一分ほどして、お盆の上に、緑茶の入った急須と、ふたつの湯呑み。そして、お酢の瓶を乗せてもってきた。


「わたし、お酢がめっちゃ好きで、飲み物や食べ物には、なんでもお酢かけるんです」


田戸蔵たどくらさんから聞いたとおりだ。本当にお酢がお好きなんですね」


「はい! めっちゃ好きです。三度のメシより、お酢がめっちゃ好きです」


 メイド姿の女性はニコニコしながら、ふたつの湯呑みに緑茶を入れた。

 ひとつの湯呑みには、たっぷりと緑茶をそそいだ。もうひとつの湯呑みにはの緑茶を半分そそいで、もう半分は、お酢の瓶のフタを「きゅぽん」と外して、たっぷりとお酢をそそいだ。

 お酢の、むせ返るような鼻をつく匂いが、あたりに充満した。


 メイドの女性は、お酢無しの緑茶を凸凸凹凹ペーーーに、お酢入りの緑茶を自分の前に置くと、胸のポケットから名刺をとりだして、丁寧に挨拶をした。


「はじめまして。安楽庵あんらくあん 探偵事務所、助手の丁番ちょうつがいコトリです。イツキさんから、よく話を聞いとるし、なんや、初めて会った気がしませんね。

 今日は、わたしがたずね人の方のことをおたずね致します。その後、調査結果が出ましたら、ご連絡差し上げますので、そこで所長の安楽庵あんらくあんより調査結果をご報告致します」


「わかりました。居処いどころはやっぱり……」


 凸凸凹凹ペーーーは、遠慮気味に質問した。なぜなら、尋ね人がどのような運命を辿たどるのか、雇い主である田戸蔵たどくらタケシからあらかじめ聞いていたからだ。


「はい……残念やけど、こっちの世界では、もう、お亡くなりになられていると思います。そして、その人は、あっちの世界に迷い込んでます。

 そしてその人と知り合いだった凸凸凹凹ペーーーさんは、あっちの世界に引きり込まれる可能性があります。

 せやから、あっちの世界のお料理食べて、免疫めんえきつけなアカンのです。

 あ、一身上の都合でじゃがいも料理になるんやけど、そこんところは、どうか堪忍かんにんしてください」


「わかりました」


 聞いたとおりだった。

 田戸蔵たどくらタケシの店で、聞いたとおりだった。


 新業態で新たに興す、テイクアウト専用のからあげ専門店の商品試食会で、ふと、自分も田戸蔵たどくらタケシと似たような経験をしたことがあるのを思い出し、「そういえば……」と思い出話を切り出したのだ。


 すると、忙しいスケジュールの合間を塗って商品試食会に参加していた犬飼いぬかいカズコの顔から血の気がひいた。

 そしてすぐさま、グループLINEに招待された。


「このグループLINEにすぐに入って! 詳細はもうコトリちゃんに伝えたから、確認したら、すぐ行動!」


 自分より三歳ほど年下の犬飼いぬかいカズコは、威風堂々と凸凸凹凹ペーーーに指示を出し、凸凸凹凹ペーーーは言われるがままに安楽庵あんらくあん 探偵事務所と書かれたグループLINEに入った。


 グループLINEには、犬飼いぬかいカズコのキビキビとした指示と、安楽庵あんらくあん 探偵事務所の住所が書かれており、無難な〝無料スタンプ〟ふたつと、〝お酢〟と〝じゃがいも〟の珍妙なスタンプが貼られていた。そして〝じゃがいも〟のスタンプは、やたらめったら貼り付けられていた。いろんな種類のじゃがいもが、やたらめったら貼り付けられていた。そして今も、物凄い勢いで貼り続けられている。


 凸凸凹凹ペーーーは、珍妙なじゃがいもスタンプの合間をぬって、無難な〝無料スタンプ〟を貼り付けると、ニコニコしながらも、まるで番犬のような有無を言わさぬ圧力を放つ、犬飼いぬかいカズコの視線を刺さるように感じながら、安楽庵あんらくあん 探偵事務所に来たのだった。


 丁番ちょうつがいコトリは神妙な顔で、机に置いていたタブレットPCにキーボードをガシャコンとくっつけると、質問を始めた。


「えーと、まず、たずね人、探したい人のお名前を教えてくれません?」


「あ、はい、名前は凸凹凸凹ピーーーです。同級生です」


「なるほど、女の人やね。生年月日とか、わかります? あと、出生地と生まれた時間」


「生年月日は千九八八年十月十八日です。生まれたのは同じ県です。高校の同級生ですから。ただ、流石さすがに生まれた時間は……」


 凸凸凹凹ペーーーが答えると、隣のパーテーションから、ガチャガチャと、ものすごい速さでキーボードを叩く音が聞こえてきた。


「ええですええです。それはこっちで調べます」


 凸凸凹凹ペーーーは、隣のパーテーションから聞こえてくる、キーボード音が少し気になったが、丁番ちょうつがいコトリの質問がつづいたので、そのまま質問に集中した。


「なるほど、高校の同級生さん。ええと……出会ったのは何時ごろですか?」


「高校一年の五月です」


「性格は?」


「彼女はとにかく、超ポジティブで、とても個性的なでした。なんというか、個性的すぎて浮いてしまっているというか……まあ、要するにとても変わった人です」


「関係は?」


「クラブ活動……というか、同好会のメンバーです。小さな同好会でしたが」


「疎遠になったのは?」


「高校を卒業してから、それきりです。成績は優秀でしたから、上京してかなりの大学に進学したそうです。

 彼女が「消えた」と聞いたのは、高校の同窓会です。ほら、厄年の時って、同窓会するじゃないですか。だから、二十四の時……かな?」


「そうなんやぁ。超ポジティブな人はめっちゃ孤高やからやなあ。まるでワンコさんみたいや。わたしはワンコさんをずっと見てきているから、孤高な人はようわかります」


 そういうと、丁番ちょうつがいコトリは、お酢がたっぷり入った、緑茶をグビグビと飲み干した。

 丁番ちょうつがいコトリは、空になった湯呑みにそのままダバダバとお酢を注ぐと、お酢を一口飲んでから質問を続けた。


「で、行方不明になった時期ってわかります?」


「いえ、それはさすがに。噂で流れきた話を聞き及んだだけですので。ただ、大学は卒業したと聞いたので、二十三歳の時? 二〇十一年くらいでしょうか」


「そのころから、おらんようになったと」


「はい」


「うんうん、これはもう間違いない、これなら割と簡単に調べがつくと思います」


「はぁ」


「質問は以上です。二週間以内に調査は終了しますから、調査報告が出ましたら、さきほどのご連絡先に折り返しをして……」


 ガジャ! ガジャジャジャ!! ガジャジャジャ……


 丁番ちょうつがいコトリが、話を終えようとすると、隣のパーテーションからずっと聞こえてきたキーボードの音が、さらに大きくなった。ものすごい速さでキーボードが叩きまくられていた。


「あ、ちょっと待ってください!」


 丁番ちょうつがいコトリは、キーボードの音が大きくなったと同時に、タブレットPCに釘付けになった。そして、神妙な顔から深刻な顔になって聞いてきた。 


「あの、もうちょっと質問です! ひょっとして他にも疎遠そえんになった同級生が、いませんか?」


 凸凸凹凹ペーーーは、丁番ちょうつがいコトリの声のトーンと表情が、突然変わったことにたじろいだが、質問に答えることにした。


「え、え、ええまあ、というか僕は兵庫から上京しているので。地元の友達とは基本、疎遠そえんになっていますが……」


 ガジャ! ガジャジャジャ!! ガジャジャジャ……


 それ以降、隣のパーテーションから聞こえてくるキーボードの音は、ずっと大音量で鳴り続けた。


 ・

 ・

 ・

 

 カランコロンカラン

 

 凸凸凹凹ペーーーは、占いの館『安楽椅子』を出て、雑居ビルのエレベーターのボタンを押した。


 背中越しに、丁番ちょうつがいコトリが、頭を下げながら語りかけてきた。


「ほんまに、長い時間質問しまくって申し訳ありませんでした」


「そんな。こちらの方こそ申し訳ないです……でも、まさか彼女の他にもふたり、合わせて三人も行方不明になってるだなんて……」


 凸凸凹凹ペーーーは、最初は作り笑顔をつくったが、しゃべりながら、少しずつ項垂うなだれていった。ガックリと肩を落とした。


 同級生を、それも部活動仲間が、三人も行方不明になっているのだ。

 そして、行方不明になっているということは、こっちの世界では死んでいるのだ。

 なかなかに、残酷な事実を突きつけられていた。


 丁番ちょうつがいコトリは、そんな凸凸凹凹ペーーーを気遣った。

 丁番ちょうつがいコトリは、かれこれもう一時間近く、深刻で神妙な顔をしていた。とうてい、ニコニコなどできる状況ではなかった。


「あの……凸凸凹凹ペーーーさん? ほんま大丈夫ですか?」


「大丈夫です。こっちの世界では死んだけど、別の人生を歩んでいる。それは、確かなのですから……」


 そう言うと、凸凸凹凹ペーーーは微笑んだ。どこか達観した笑顔だった。

 凸凸凹凹ペーーーの笑顔を見た丁番ちょうつがいコトリは、涙をにじませて返事をした。


「絶対……絶対探し出します! でもって、みんなにお手紙書きましょ! 場所によっては、連れ帰ってもええと思います。たまにホンマ、ロクでもない所ありますし。そういう場合は、無理やり連れ帰ってくることも、ないにはないんで……」


「そう……ですか。でも、あっちの世界で英雄になっているのだとしたら、その世界にいるままの方が、当人たちにとっても良いでしょう。わたしなど、しがない雇われ店長、しかもまだオープン前の店の暫定店長ですから」


 ピーン


 古い作りのエレベーターが、きしみながらドアを開けた。凸凸凹凹ペーーーは、体を重たそうに動かして、エレベーターの中に押し込むと、振り向いて笑顔を見せた。明らかに心が入っていない、薄っぺらい作り笑いだった。


「では、結果は二週間ほどでご報告いたします」


 丁番ちょうつがいコトリは、涙をにじませた顔で丁寧ていねいなおじぎして、凸凸凹凹ペーーーを見送ると、エレベーターのドアが閉まったのを見計って、涙をにじませた顔を上げた。


(さて、もう始まっとるやろか……)


 丁番ちょうつがいコトリは、涙をにじませた顔でスタスタ歩くと、パーテーションの奥にある部屋のドアをノックした。


「コトリです。お客様がお帰りになりました」


「おつかれ。おつかれ。おつかれ」


 ドアの向こうから、珍妙な返答があった。珍妙な返答だったが、つややかでとても魅力的な声だった。


 ガチャリ


「失礼します」


 丁番ちょうつがいコトリがドアを開けると、ふたりの男女がいた。

 男は立って、女にノートパソコンを見せていた。黒いスーツで、短髪を整髪料でテカテカになでつけていた。

 

 女は、大きなのエグゼクティブデスクに頬杖ほおづえをついて、ノートパソコンを見ていた。

 女は、涼やかなの目の絶世の美人だった。グレーのストライプのスーツに身を包み、腰まであろうかと言う黒い長髪をひっつめにして、銀の細フレームのメガネをかけていた。


 銀の細フレームのメガネの女は、ボツポツ、ボツボツつぶやいた。


「ふん。ふん。ふん。なるほど。なるほど。なるほど。理解」


 黒スーツで、短髪を整髪料でテカテカになでつけた男は、ノートパソコンを閉じながらしゃべった。あきらかに狼狽ろうばいしていた。


「先生……本当にこんな情報で大丈夫ですか? 今までこんなことなかったですよ?」


「大丈夫だ、問題ない。問題ない。ない!」


 銀の細フレームのメガネの女は、小さな箱を手にとった。箱をあけると船の形をした墨がでてきた。昔ながらの製法で作られた松煙墨しょうえんぼくだった。

 

 シュッシュッシュシュ


 銀の細フレームのメガネの女は、すずりに向かって、静かに墨を擦り始めた。

 

 ・

 ・

 ・


 さて、墨を擦るのはいささか時間がかかる。

 時間がかかるので、整髪料でテカテカの男と銀の細フレームのメガネ女の説明をしよう。


 整髪料でテカテカに短髪をなでつけた男は、癸生川けぶかわイツキ。さきほど、丁番ちょうつがいコトリが接客をしているときに、キーボードをガチャガチャ言わせていた男だ。

 丁番ちょうつがいコトリがセットしたタブレットPC越しに、凸凸凹凹ペーーーの人相を調べ、素性を調べ、そしてたずね人の素性を調べ上げようとして、根をあげていたのだ。お手上げだったのだ。そして、自分ごときではお手上げだったむねを、探偵事務所の所長、安楽庵あんらくあんキコに報告したのだ。

 いつもは自信満々で、胡散うさん臭い笑顔をしているのに、今日は、とても自信なさげだった。明らかに狼狽ろうばいしていた。


 銀の細フレームのメガネ女の名前は、安楽庵あんらくあんキコ。『占いの館 安楽椅子あんらくいす』の館長、そして『安楽庵あんらくあん探偵事務所』の所長だ。

 絶世の美人だが、絶望的にモテない。理由はちょうどキッカリ六十個ある。

 とりあえず、そのいくつかを述べよう。


 一、喋り方が妙。短く、単語を繰り返す。

 二、話ベタ。余計なことはベラベラと繰り、重要は事は一切省く。

 三、すぐ調子に乗って、空気を読まずにスレンダーな胸をはる。

 四、主食はじゃがいも。基本、じゃがいもしか食べられない。

 五、煎れるコーヒーが、絶望的に不味い。

 六、ドアを開けるマナーがなってない。両手がふさがるとドアを蹴り開ける。

 七、酸っぱいのが苦手。(甘いのは好き)

 八、苦いのが苦手。(しょっぱいのは好き)

 九、辛いのも苦手。(要するにおこちゃま舌)

 十、思いの外メンタルが弱い。特に押しが強く同調圧力強めの人物にとても弱い。

 十一、絶望的にリズム感が悪い。特に、歌って踊るアイドルには絶望的に向いてない。


 ちょっと思い当たるだけで十一個もある。

 こんな所長で大丈夫か?


「大丈夫だ、問題ない。問題ない。ない!」


 ・

 ・

 ・


 コトン


「じゃあ。描きますよ」


 安楽庵あんらくあんキコは、程よく墨を擦り終えて、筆を取った。そして、机に広げた半紙に、迷うことなく筆をはしらせた。


「うん。うん。うん。上出来。上出来」


 半紙に見事な水墨画が描かれた。水墨画には珍しい、西洋の宮殿の中だった。


 瞳ににじんでいた涙がかわいて、神妙な顔に戻った丁番ちょうつがいコトリが、水墨画を見ながら聞いてきた。


「ほんなら、だれが行きます?」

「コトリ、コトリ、コトリ」


 丁番ちょうつがいコトリの神妙な質問に、安楽庵あんらくあんキコは秒で珍妙に回答した。


「先生、コトリちゃんはだけは絶対ダメでしょう! 前回のゴブリンとは訳が違う! 絶対に危険だ!!」


「大丈夫。行くのは所詮、幕間劇。幕間劇。幕間劇」


 明らかに狼狽ろうばいする癸生川けぶかわイツキと、明らかに珍妙な安楽庵あんらくあんキコのやりとりを横で聞いていた丁番ちょうつがいコトリは、神妙な顔つきが、とたんにニコニコと輝いた。


「ほんまですか!? 一年半ぶりや! めっちゃ嬉しい! 何着ていこう!!」


 ガチャリ


 丁番ちょうつがいコトリは、ニコニコとスキップしながら、非常階段のドアノブを時計回りに開けると、タンタンと軽やかにリズムを取って、六階の倉庫に降りていった。

 そして、丁番ちょうつがいコトリと入れ替わりに、癸生川けぶかわイツキの実兄、癸生川けぶかわタクミが入ってきた。手にはお盆を持っていた。お盆には、ポテトチップスと、たこ焼きと、明太子入り日の丸弁当と、ういろうが乗っていた。


「今日は、コトリちゃんかい?」


 料理人の癸生川けぶかわタクミは、安楽庵キコのエクゼクティブデスクに給餌きゅうじをしながら質問した。


「兄さんも止めてよ、あのゴブリンは、繁殖のことしか考えていない。とても危険なゴブリンだ! コトリちゃんには危険すぎる!」


 料理人の癸生川けぶかわタクミは、安楽庵キコが、ごきげんでポテトチップスを明太子入り日の丸弁当の上にザラザラかけて、バリバリと食べる姿に目を細めながら、こともなくつぶやいた。


「危険なゴブリンがいる。だが、絶対に戦闘は発生しない。そうですよね。先生」


「ご名答。この世界の勇者はただの脇役。お門違いな脇役。脇役」


 安楽庵あんらくあんキコは、今度はたこ焼きに、大量のポテトチップスをザラサラとふりかけて、おもむろに、たこ焼きを口に入れた。


「あちゃちゃちゃ!」


 失礼。安楽庵あんらくあんキコのひとつ弱点をひとつ言い忘れていた。


 十二、猫舌。(これはむしろチャームポイントなのでは?)


 ガチャリ


 安楽庵あんらくあんキコが、たこ焼きをふーふーして、丁度ちょうど食べ頃のタイミングになったとき、非常階段のドアを開けて、丁番ちょうつがいコトリが現れた。


「お待たせしました」


 丁番ちょうつがいコトリは、バニーガール姿だった。スタイルの良い体に、赤いバニースーツが映えていた。赤い耳と、赤い蝶ネクタイ。肩から二の腕にかけて、いっさいがっさい剥き出しなのに、全く用途のわからない白いカフス。そして程よい透け感がなまめかしいタイツに、真っ赤なハイヒールを合わせていた。


 こんな装備で大丈夫か?


「大丈夫だ、問題ない。問題ない。ない! 行くのは幕間劇!!」


 安楽庵あんらくあんキコは、「キィ」と椅子を鳴らして、エグゼクティブデスクに片手をつくと、すっくと立ち上がった。

 もう片方には、ポテトチップスをバッサリとかけた、ういろうのお皿を持っていた。


 そして、非常階段のドアノブを、にひねった。


 ガチャリ


 ドアをあけると、そこには、長い長い廊下が現れた。

 長い長い廊下の左右には、等間隔でカラフルなドアが並んでいた。

 そして、全てのドアに〝額縁〟が備え付けられていた。

 一番手前の左のドアは、額縁の中に数字の〝1〟が書かれれいた。はっきりした色合いの緑と青のツートンカラーのドアだった。

 反対側の右のドアは、額縁の中に数字の〝60〟が書かれれいた。一面、淡い色をした青いドアだった。


 コツ、コツ、コツ……


 安楽庵あんらくあんキコを先頭に、四人は長い廊下を歩いていった。

 安楽庵あんらくあんキコは、ポテトチップスをふりかけたういろうを、バリバリもくもくと食べながら、歩いていた。

そして、額縁の中に〝33〟と書かれたドアの前で立ち止まった。はっきりとした色合いの、赤とグレーのツートンカラーのドアだった。

 安楽庵あんらくあんキコは、おもむろにお皿を差し出した。

 丁番ちょうつがいコトリが、すぐさまお皿を回収すると、代わりに安楽庵あんらくあんキコの手に半紙を渡した。さきほど、安楽庵あんらくあんキコが描いた水墨画だった。


 安楽庵あんらくあんキコは、おもむろに水墨画をドアの額縁にはめ込んだ。

 水墨画は、ポテトチップスの油がじんわりとにじんでいた。

 はっきりとした色合いの、赤と緑のツートンカラーのドアがぼんやりと光った。そして、水墨画にじんわりと色がついた。

 色がついたとおもったら、水墨画はたちどころに写実的になった、いや、実写になった。額縁は窓になっていた。額縁窓になっていた。そして、窓の奥は、西洋風の宮殿につながっていた。盛大なパーティーをしているようだった。


「コトリちゃん、ほんとうに大丈夫?」


 癸生川けぶかわイツキが狼狽ろうばいしながら言った。


「大丈夫ですって! 張り切って、持ち歌を歌って踊ります!」


 丁番ちょうつがいコトリがニコニコしながら言った。


「おみやげも、忘れないように頼む」


 癸生川けぶかわタクミは静かに言った。


「大丈夫だ、問題ない。問題ない。ない! 行くのは幕間劇!!」


 安楽庵あんらくあんキコが珍妙な口調で言った。 


 ガチャリ


 丁番ちょうつがいコトリが、ドアノブをにひねった。

 はっきりとした色合いの、赤と緑のツートンカラーのドアは、西洋風の宮殿につながっていた。

 

 丁番ちょうつがいコトリは、まっすぐ歩いて、そのまま宮殿で開催されている、華やかなパーティー会場へと消えていった。

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