第六話:秋「消えた他人とポテトチップス」中編

 女は、新木場しんきばにあるコンサートホールの舞台袖にいた。

 自分がプロデュースを手掛けたアイドルのコンサートのアンコールを眺めていた。

 アイドルの人気からすると、少々大きな二千四百人を収容するホールだったが、無事にチケットを売り切った。


 グッズや、チェキ……つまり、アイドルとのツーショット撮影と、直筆のコメント書き特典を加えた収益を見込めば、なんとか採算がとれる見通しだ。

 余談だが、女がプロデュースするアイドルの場合、チェキの収益は、半分以上をアイドルに還元していた。アイドル達の寮も、築年数が少し古く、交通の便もいささか悪いが、初台のとあるアパートをまるまる一棟いっとうを借り上げていた。インディーズ、つまり地下アイドルとしては、かなり高待遇の労働環境だった。


 つまり女は、アイドルをとても大事に育てていた。そんな大事に育てているアイドルが、二千四百人を収容するホールを満杯にしたことに感無量だった。えもいわれぬ

幸福感を味わっていた。


 女の名前は、犬飼いぬかいカズコ。元アイドルで、現在もタレントとして活動している。やたらと人数が多いアイドルグループの統括リーダーを勤め上げた女性だ。

 現在は、そのアイドルグループを卒業し、芸能事務所を経営している。今日は、そのアイドルが主宰するライブイベントだった。そのライブが、大盛況のうちに終わったのだ。感無量だった。


 ファンの歓声の中、我が子といっても過言ではない、可愛い七人のアイドル達が、息を弾ませながら、弾けんばかりの笑顔で自分の元に駆けよってきた。


「ワンコさん見ていてくれました!?」

「わたしたち、やりました!」

「あー! めっちゃ感動!!」

「もう喉カラカラ!」

「あ、お酢ならクーラーボックスでバッチリ冷やしてあります!」

「この状態で飲んだら流石にむせちゃうよ!」

「ちょっと……コトはお酢好きすぎる。ブレない」


 手塩にかけて育てた七人の我が子は、息を弾ませながら、弾けんばかりの笑顔で、ライブの感想と、何故か突然ブッ込まれた、お酢の感想を言い合った。


「ほらほら、休憩したら物販あるよ。最後まで気を抜かないの!」


 七人のアイドルは、元気よく返事をした。


「はーい!」

「はーい!」

「はーい!」

「はーい!」

「はーい!」

「はーい!」

「……はい」


「わたしは、このあと用事あるから、トラちゃん、あとはよろしくね」


「……はい。ちょっと……不安ですけど」


 トラと呼ばれたはっきりとした緑のコスチュームに身を包んだ、物静かなで涼やかな顔をした美少女が、先ほどと同じトーンで返事をした。このアイドルグループのリーダーだった。


 そして、そんなふたりのやりとりを見ながら、クーラーボックスから素早くお酢を取り出した、白いコスチュームに身を包んだ関西弁のイントネーションのアイドルが、犬飼いぬかいカズコに語りかけた。


「あ、ワンコさん、鑑定結果出たんですね」


 安楽庵あんらくあん探偵事務所で助手をしている、丁番ちょうつがいコトリだった。丁番ちょうつがいコトリは、普段はいつもニコニコしているのに、珍しく神妙な顔つきで語りかけてきた。


「ん? ああ、癸生川けぶかわさん? に、どうしても直接話したいってお願いされて」


「はい。ちょっと特別な話やから、しっかり聞いといて欲しいです」


「了解了解。あ、打ち上げの幹事コトリちゃんだよね、あとで場所教えて?」


「それなら、同じビルの八回にあるビストロを貸し切りにしてもらってます。あっこだったら、わたしらは寮に歩いて帰れますし、道も明るいから安全です。

 ワンコさんの方が先に終わる思うんで、先に行って待っといてください。わたしらは、あとから合流します」


「さすがコトリちゃん、仕事ができる! じゃ、またあとで」


 犬飼カズコは手をヒラヒラとさせながら、トートバックを肩から下げて、舞台袖から会場をあとにした。

 丁番ちょうつがいコトリは、神妙な顔つきで犬飼カズコを見送ると、「ふぅ」と大きなため息をついてから、ニコニコしながらつぶやいた。


「ファンのみんなが待ってくれてる! お酢を飲んで幸せのおすそ分けや!」


 犬飼いぬかいカズコは、ライブ会場から外に出た。流石に十一月の夜となると寒い。そろそろコートを衣替えしないと……犬飼いぬかいカズコは、薄っぺらいコートに首をすくめると、浜風に煽られながら道すがらタクシーを捕まえた。


 犬飼いぬかいカズコは、タクシーに乗り込むと、運転手に新宿と初台の間にある占いの館 安楽椅子あんらくいすの住所を伝えた。


 タクシーは渋滞に捕まることなく、順調にぼんやりとした夜景の中を走っていた。

 犬飼カズコは、タクシーの中でグッタリしていた。過密なテレビ出演と、慣れない経営業務とプロデュース業務。

 犬飼カズコは、タレントのワンコとして、代表取締役として、そして所属アイドルをまもる番犬として、常に気を張っていた。身をにして働いていた。


 いつからだろう。仕事がつまらない。いや、いつからかはハッキリしている。アイドルを卒業した時からだ。自分の手で、キラキラしたアイドルを生み出したい。才能のある女の子を、相応のステージに立たせてあげたい。そう思い、会社を立ち上げた瞬間からだった。


 それが、幸運だけでたいした才能もなく、たまたま人気アイドルグループの初期メンバーとして在籍でき、たまたまグループの端っこでほんのワンフレーズを歌ってだけなのに、たまたま古株というだけで、とんでもなく大きくなったアイドルグループの統括リーダーとして、グループの顔となってしまった自分の責務たど考えていた。


 そして、もう少しで目標に手がかかるところまでやってきた。チャンスはいきなり転がり込んだ。今から丁度ちょうど十日前の二〇十九年十月二十四日、占いの館 安楽椅子あんらくいすで、丁番ちょうつがいコトリと、お茶会ならぬ、お酢会をして、テレビの準レギュターの収録を終えた後、唐突に武道館でコンサートをするチャンスが訪れた。


 さる音楽レーベルから、メジャーデビューのお誘いを受けたのだ。


 筋書きはこうだ。新進気鋭のアイドル達が、メジャーデビューをかけて、武道館で対バンを行う。そして、ワンコがプロデュースするアイドルグループが優勝して、メジャーデビューの権利を勝ち取る。

 さらに、某有名音楽プロデューサーの楽曲と、某有名お笑い芸人の作詞で、某有名お笑い芸人のドッキリと共にゴールデン番組で大々的に発表し、年末に、メジャーデビュー曲を引っ提げて、単独コンサートを行う。


 盤石だった。盤石に来年のマイルストーンが敷かれてあった。


 来年。つまり二〇二〇年までに、プロデュースしたアイドルを絶対に武道館に立たせる。その夢は、もう目前まで迫っていた。

 この願いを叶えるためには死んでもいい。そう。犬飼カズコは、覚悟を決めていた。


 犬飼いぬかいカズコは、目的地に到着すると、タクシーの運転手に、


「ありがとうございます!」


と、心からの謝辞を述べて一万円を渡した。そして、発生したお釣りを、こころばかりのチップとして受け取って欲しいとニコニコとつげてタクシーを降りた。

 そして、目の前にある雑居ビルに入ると、エレベーターの七階のボタンを押した。


 エレベーターの七階のボタンを押した犬飼いぬかいカズコは、いらついていた。

 今日、唐突に電話をかけてきた、癸生川けぶかわと名乗る人物の胡散うさん臭さにいらついていた。

 なにが大事な用件だ。なにが是非お会いして話がしたいだ。こちとら芸能人なんだ。会社経営者なのだ。たかだか占いごときでわたしの悩みが解決できる訳がない。わたしの望みをかなえることができる訳がない。

 背の低い犬飼いぬかいカズコは、イライラしながら首を大きく上げて、トロトロキシキシの登っていく、古いエレベーターの階数表示をにらみながら、薄手のコートを器用に脱いで、トートバッグにひっかけた。



 カランコロンカラン


 犬飼いぬかいカズコが、占いの館 安楽椅子あんらくいすのドアを押すと、ドアは喫茶店のような音をたてて開いた。

 ドアの先では、黒いスーツで、短髪を整髪料でテカテカになでつけた胡散うさん臭い男が、背筋を伸ばして待っていた。


「お待ちしておりました。犬飼いぬかい様」


 目が会うと、男は流れるようにおじぎをした。四時間ほど前に、電話をしてきた癸生川けぶかわだろう。


「お話は所長室で……」


 そう言うと、癸生川けぶかわはスタスタを歩き始めた。


 犬飼いぬかいカズコは、胡散うさん臭い癸生川けぶかわの後をついて行き、みっつのパーテーションで区切られた、占いの館の奥にあるドアの前で止まった。


 胡散うさん臭い癸生川けぶかわは、ドアをノックした。


「イツキです。犬飼いぬかい様がお見えになられました」


 ガチャリ


 胡散うさん臭い癸生川けぶかわがドアを開けると、犬飼いぬかいカズコの目の前に、息を飲むほどの美人が立っていた。グレーのストライプのスーツに身を包み、腰まであろうかと言う黒い長髪をひっつめにして、銀の細フレームのメガネをかけていた。


 銀の細フレームのメガネの美人は、名刺を出した。


「占いの館 安楽椅子あんらくいす、館長の安楽庵あんらくあんキコです」


 犬飼いぬかいカズコは、名刺を受け取ると、胡散うさん臭い名前に目を疑った。名刺には、安楽庵あんらくあん 椅子いすと書いてあった。ふざけている。占い屋の館長だなんて、胡散うさん臭い仕事をしているヤツがつけそうな、ふざけた名前だ。


安楽庵あんらくあん探偵事務所、総務の癸生川けぶかわイツキです」


 犬飼いぬかいカズコは、癸生川けぶかわイツキの名刺も受け取った。


 安楽庵あんらくあん探偵事務所? ちょっと意味がわからない。


 何故、占いの館で、探偵事務所の名刺を受け取らなければならないのか。

 本当に、意味がわからない。


「では、こちらに」


 犬飼いぬかいカズコは、案内された応接椅子に座ると、トートバックと薄手のコートを傍らに置いた。そして、名刺をテーブルに置いた。

 正面に安楽庵あんらくあんキコが座った。癸生川けぶかわイツキは、その下座に座った。

 犬飼いぬかいカズコは、自分の正面に座った胡散うさん臭い安楽庵あんらくあんキコに、改めて見入っていた。


 陶器のように白い肌に映える艶やかに長い黒髪。切れ長な瞳。銀の細フレームのメガネが乗った主張しない鼻に、同じく主張しない唇。そして最も驚いたのは、安楽庵あんらくあんキコが何を考えているのか、全く分からないことだった。


 芸能界、なかでもテレビの世界でしのぎをけず犬飼いぬかいカズコは、自分の空気を読むスキルに絶対の自信を持っていた。


 空気を読んで、瞬時にその場が一番欲しい言葉を言い放つ。番組MCを務める俳優や、お笑い芸人に絶妙なパスを出す。空気を読んで、さりげない気配りをする達人だった。


 そんな達人をもってしても、目の前にいる安楽庵あんらくあんキコが、何を考えているのか全く分からなかった。


 全く分からなかったので、無難な気遣いセリフを、ニコニコしながらきりだした。


「今日はありがとうございます。コトリちゃんから聞きました。ちょっと特別な話があるとか……」


 犬飼いぬかいカズコは、ニコニコしながら、占いの館の館長、安楽庵あんらくあんキコに無難に話しかけた。

 すぐ横では、和食の調理白衣を着た大男が、流れるように紅茶を出してきた。アールグレイの爽やかな暖かな香りが、テーブルからたち登った。


 安楽庵あんらくあんキコは、無言だった。

 犬飼いぬかいカズコは、気まずかった。ニコニコしながら、ずっと安楽庵あんらくあんキコの返事をまった。特別の話とやらを待った。


 だが、安楽庵あんらくあんキコは、無言だった。


 犬飼いぬかいカズコは、あんまりにも気まずいので、給餌きゅうじされた紅茶を飲んだ。ベルガモットの柑橘かんきつの爽やかでそれでいて、柑橘特有の酸味を一切感じない複雑な香りと、その先にあるほのかな苦味がのどを温める。休日のカフェ巡りが趣味の犬飼いぬかいカズコが飲んだ中でも、生涯最高のアールグレイだった。


「お前は来年通り魔に合う! 絶対に合う! 合う!」


「ブッ!」


 犬飼いぬかいカズコは、ぶしつけにブッ込まれた物騒な予言に、口に含んだアールグレイを吹き出しそうになった。


「ケホッケホッ! と、通り魔って! なにを根拠に!?」


「来年の土用どようにブスッとられる。ブッスリ刺される。

 チャンスは七回。

 二〇二〇年四月十九日、二〇二〇年五月一日、月日支げつにっしいずれもたつ

 二〇二〇年七月二十七日、月日支げつにっしいずれもひつじ

 二〇二〇年十月二十二日、二〇二〇月十一月三日、月日支げつにっしいずれもいぬ

 二〇二一年一月十七日、二〇二一年一月二十九日、月日支げつにっしいずれもうし

 刺されるのは全てこの前日。

 あ、いぬの日は安心していい。その日のうちにブスリと刺される。

 効率いい。いぬ、オススメ。秋の土用どよう、オススメ」


 安楽庵あんらくあんキコは、とても胡散うさん臭く、犬飼いぬかいカズコが通り魔に遭う日を予告した。


「刺されるのはもれなくとりよいの口。とりは酒の容器。すなわちさかずき

 刺した相手から恨みつらみ絞り出し、能力を発酵はっこうさせる。かもしをかましてさかずきの中身を入れ替える。人工的に、事務的に、まるっと中身を入れ替える。

 素晴らしい、この異世界はとてつもなく素晴らしい」


 安楽庵あんらくあんキコは、とてもふざけた口調で、犬飼いぬかいカズコが通り魔に刺される時刻を予告した。


「はぁ!?」


 犬飼いぬかいカズコは、安楽庵あんらくあんキコをにらみつけた。


 安楽庵あんらくあんキコは、満足そうにうなづいた。自分の仕事は終わったと言わんばかりに、「むっふー」と息を吐きながら、得意げに胸を張った。スレンダーな胸を貼って、アールグレイをグビグビと飲み始めた。


 満足そうな安楽庵あんらくあんキコの代わりに、胡散うさん臭い癸生川けぶかわイツキが流れるように話を引き継いだ。


「失礼ですが、犬飼いぬかい様の事を占わせて戴きました。着実な努力が、来年実を結ぶと出ております。素晴らしい」


「あ、はい。ありがとうございます」


 犬飼いぬかいカズコは胡散うさん臭い癸生川けぶかわイツキの臭気が、さらに増した気分がした。自分の念願、我が子のように可愛いアイドルの、武道館単独ライブを言い当てた……フリをしたからだ。

 占い師の常套じょうとう手段。それっぽいことを言ってこちらに関連項目を想起をさせ、会話を誘導する心理作用。バーナム効果だ。


 胡散うさん臭い癸生川けぶかわイツキは話をつづけた。


「しかし、誠に残念ではございすが、その努力は水泡すいほうします。武道館のライブは中止を余儀なくされるでしょう。そう、春に開催される合同ライブも、そして、年末を予定している単独ライブも」


「はぁ!?」


 犬飼いぬかいカズコは、胡散うさん臭い癸生川けぶかわイツキをにらみつけた。そして、トップシークレットの武道館ライブの情報を知っている癸生川けぶかわイツキに、いささか恐怖を覚えた。


「これは、占いでもなんでもありません。普通に正規ルートで受けた〝報告〟です」


 そう言うと、胸ポケットから、流れるように一枚の名刺をテーブルの上に置いた。


 名刺には、癸生川けぶかわイツキと書かれてあった。そして、とある音楽レーベルの企業名と、目を疑う役職が記されてあった。


「私も表向きには、部下に対してライブの成功は間違い無いだろう告げ、こころよくハンコを押しました。ですが、実際にはライブ行われません。中止を余儀なくされます」


「はぁ!?」


 犬飼いぬかいカズコは、胡散うさん臭い癸生川けぶかわイツキをにらみつけた。音楽レーベルのお偉方えらがただろうがなんだろうが、そんなの知っちゃこっちゃ無い。

 悪魔だ、こいつは腐った悪魔だ。我が子を、わたしの大事なアイドル達を、わざわざぬか喜びをさせて奈落に突き落とす、最低のクソ悪魔野郎だ。


 犬飼いぬかいカズコが、クソ悪魔野郎の癸生川けぶかわイツキをにらんでいると、唐突に安楽庵あんらくあんキコがつぶやいた。


かもされる。やまいかもされる」


「はぁ!?」


 犬飼いぬかいカズコは、ふざけた名前の安楽庵あんらくあんキコをにらみつけた。


 にらみ付けるも安楽庵あんらくあんキコは、自分の仕事は終わったと言わんばかりに、「むっふー」と息を吐きながら、得意げに胸を張った。そして筋骨隆々の大男が、流れるようにカップにそそいだアールグレイを、スレンダーな胸を貼って、グビグビと飲み始めた。


「あちゃちゃちゃ!」


 安楽庵あんらくあんキコは、したたか舌をやけどした。安楽庵あんらくあんキコは猫舌だった。


 カップに注がれたアールグレイを「ふーふー」している安楽庵あんらくあんキコに変わって、クソ悪魔野郎の癸生川けぶかわイツキが流れるように話を引き継いだ。


「二〇二〇年、とあるウイルス性の感染症が世界的に流行します。これにより、わたくしどもは生活様式の変容を余儀なくされます。しばらくの間、従来通りのコンサートは不可能です。本当に間が悪いのですが、一回目に予定されてある武道館ライブは、初回の緊急事態宣言下です。誠に残念ですが、中止はやむを得ません」


「はぁ!?」


 犬飼いぬかいカズコは、クソ野郎の癸生川けぶかわイツキをにらんだ。にらみつけて叫んだ。


「その、感染症とやらが発生する確率は!?」


「約九九.二パーセントです」


「はぁ! 〇.八パーセント外れるの? だったら絶対はずれるよ! あー馬鹿らしい!!」


 犬飼いぬかいカズコは笑った。狂ったように笑った。そしてひときしり笑った後、クソ悪魔野郎の癸生川けぶかわイツキに向かって叫んだ。


「わたしは、七九二四人の中から勝ち残ったんだ! たった二十四人の中に勝ち残ったんだ! 確率は〇.三パーセント!

 〇.八パーセントだぁ? はぁ!? そんなんクソだ! そんなザルみたいな確率、私だったら簡単にすり抜けることができる! わたしなんかより、遥かに才能があるあの娘たちなら、もっと余裕ですり抜けられる!」


「……仮にすり抜けたとして、あなたは通り魔に刺されますよ?」


「だったら、通り魔とやらに、刺される確率は!?」


「………………」


 癸生川けぶかわイツキは、狂ったように叫ぶ犬飼いぬかいカズコに気圧された。そして、ここだけの話、通り魔に襲われる確率は知らなかったので、となりで、ようやく飲み頃になったアールグレイを「ちびちび」と飲んでいる安楽庵あんらくあんキコを見た。


 癸生川けぶかわイツキと目が合った安楽庵あんらくあんキコは、アールグレイを「ちびちび」とやりながら、ちびちびとつぶやいた。


天干五行てんかんごぎょう。いつでもきっかり五分の一。でも、地支大地ちしだいち。これは季節の変わり目。きっかり三分の一。でもってチャンスは七回」


 安楽庵あんらくあんキコがつぶやき終わるなり、癸生川けぶかわイツキはガチャガチャと、ものすごい速さでキーボードを叩くた。そして、キーボードを叩くのをやめると、明らかに動揺した声でつぶやいだ。


「や、約九九.二パーセントです」


「そらみたことか! 所詮占いなんてそんなもんなんだ! アイドルなめんな、アイドルは奇跡なんだ! 奇跡を産むからアイドルなんだ!

 わたしは絶対に信じないよ! あの娘達は、二〇二〇年に絶対に武道館ライブを成功させるし、わたしは絶対に通り魔なんかには刺されない!」


 安楽庵あんらくあんキコは、まるで番犬のように吠え続ける犬飼いぬかいカズコを見ながら、ちびちびとつぶやいた。


日柱にっちゅう庚戌かのえいぬ。大軍のぬし。穏やかにみえるも大器たいき魁罡かいごうなり。平凡では生きにくい。働き者だが気性が激しい。女性。より顕著けんちょ

 地支ちし四墓土局しぼどきょく丑辰未戌ちゅうしんびじゅつ。全部ある。大地盤石だいちばんじゃく魁罡かいごうさらに強まる。絶対に揺らがない。頑固なワンコ。分かり易い」


 そういうと、安楽庵あんらくあんキコは、テーブルに両手をつけて頭をさげた。


「まいりました! 降参。降参」


「ちょ! 先生!? なに勝手に降参してんですか!」


 頭を下げる安楽庵あんらくあんキコと、うろたえる癸生川けぶかわイツキと見ながら、犬飼いぬかいカズコは勝ち誇った顔をして言った。


「わたしは、絶対に占いなんか信じない! 絶対! 絶対! ぜっーーーたいに、あの達と、武道館に行く! 奇跡を起こすんだ!!」


「まいりました!」

「ちょ! 先生!?」


「馬鹿馬鹿しい!!」


 犬飼いぬかいカズコはそう吐き捨てると、脇に置いていたトートバックと薄手のコートを持って立ち上がった。


「ご忠告ありがとうございました!

 せいぜい参考にいたします! じゃ、そう言うことで!」


 ガチャリ


 犬飼いぬかいカズコが出口に向かって振り向いた時、おもむろにドアが開いた。


 そこには、コンサート会場の物販販売を途中で抜け出した、丁番ちょうつがいコトリが立っていた。息を切らして、すがるような目で、泣きながら、犬飼いぬかいカズコに話しかけた。


「ワンコさん……どうか、どうか、考え直してください。先生の言葉を、どうか、信じてください。信じてあげてください……お願いします!」

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