夏の土用
第三話:夏「消えたエリートとマッシュポテト」前編
新宿のとある雑居ビルに、探偵事務所があった。
名前は『
だが、お客は滅多にこない。三ヶ月に一度しかこない。
理由はいくつかある。
まず、最初のひとつ。
それが、ふたつめの理由。
しかもそのマイナージャンルの月刊紙の増刊号だった。三ヶ月に一度しか出ない増刊号だった。
そんなマイナー雑誌の増刊号に、四分の一ページの小さな広告を出しているだけなのだから、むしろ、そんな宣伝だけで、お客が来る方が不思議だ。
なんでくるんだろう?
そして、みっつめの理由。
広告の内容に問題があった。広告に住所しか載せていなかった。電話番号や、メールアドレスもない。当然、ホームページがあるはずもない。公式SNSアカウントすらない。
これではそうそう、たどり着けない。もう本当に問題だらけだ。
そして問題だらけの広告には、たった一文、こう書いてあるのだ。
『
問題だらけだった。
だが、そんな問題だらけの探偵事務所にも、何故か三ヶ月に一回、必ずお客が来る。一組は必ず来る。
だが、お客は必ずと言っていいほど、首をかしげる。掲げられた看板に首をかしげる。
『占いの館
お客が首をかしげたくなる気持ちもわかる。
首をかしげたお客の名前は、
首をかしげた
だが、そこは占いの館だった。
カランコロンカラン
ドアは、喫茶店のような音をたてて開いた。
そして、メイド服を着た店員が挨拶をしてきた。
「いらっしゃいませ。おおきに」
メイド服の店員は、関西弁でニコニコと接客してきた。
そしておもむろにタブレットPCを押し付けてきた。
「見たところ、はじめてのお客さんやね。せやったら、ここに、名前と住所と連絡先。それから生年月日と生まれた時間、あと出生地を書いてください。でもって、占って欲しい内容を……」
「あ、その、占いじゃなくて、人探しを……」
「ああ、探偵事務所のお客さん! それはすみませんでした。でもまあ、まずは記入事項をご記入ください。ご相談内容は、そのあとでお聞きします」
メイドの姿の女性は、ニコニコしながらタブレットPCを押し付け続ける。
仕方がないので、
そして、出生時間など知らないから、実家に電話して、母親に母子手帳を確認してもらい、生まれた時刻を記入して、メイド姿の女性にタブレットPCを返した。
「ええと、
「三十一です」
「あぁ! すみません。数えで歳を数えるクセがついてもうて‥‥で、出生地が兵庫県と、出生時間が
そういうと、メイド姿の女性は占いの館に
部屋は、十畳ほどだろうか。狭い。
パーテーションで、みっつに区切られていて、奥にもうひとつドアが見える。
あとはトイレと、給湯室。
いたって普通の雑居ビルだった。
メイド喫茶みたいな飾り付けがされていた。
「今、飲み物出します。コーヒーと紅茶、あと、お酢と緑茶がありますけど、どれがいいですか」
「じゃあ、コーヒーで」
「お砂糖とミルクは要ります?」
「いえ、ブラックで……」
「
メイド姿の女性はニコニコしながら給湯室に消えていくと、数分ほどして、お盆の上に、コーヒーの入ったマグカップと、お酢の瓶を乗せてもってきた。
「わたし、お酢がめっちゃ好きで、飲み物や食べ物には、なんでもお酢かけるんです」
「はぁ」
メイド姿の女性はニコニコしながら、マグカップの入ったブラックコーヒーを差し出した。
もうひとつのマグカップには、ブラックコーヒーが半分そそがれていた。メイド姿の女性はニコニコしながら、お酢の瓶を「きゅぽん」と外して、たっぷりとお酢をそそいだ。
お酢の、むせ返るような鼻をつく匂いが、あたりに充満した。
メイドの女性は、お酢たっぷりのブラックコーヒーを自分の前に置くと、胸のポケットから名刺をとりだして、丁寧に挨拶をした。
「
「別途、調査報告書もいただけるのでしょうか?」
「はい。失踪時刻、並びに失踪原因を詳細に記載した調査報告書を作成いたします。ですが、
「どういう事ですか?」
「
「は?」
なぜ、こんなに自信満々なのだろう。
いや、
なんなんだろう、この自信は。このメイドコスプレ女の自信は。先輩が行方不明になって、もう、数年も経っているのに……あきらかに、列車事故に見せかけて、あいつに突き落とされて殺されたはずなのに。解せない。解せないが、今まで、警察に捜索願をだしても、どんな探偵事務所に依頼しても、一切進展はなかったのだ。
もう、この怪しい占いの館しか、頼る場所がないのだ。
そして、ニコニコと笑いなから、
「えーと、まず、
「あ、はい、名前は
「生年月日とか、わかります? あと、出生地と生まれた時間」
「生年月日は調査済みです。一九七七年十月十八日です。出身地は福岡です。ただ、
「ええですええです。それはこっちで調べます」
「なるほど、会社の先輩さん。とすると……出会ったのは?」
「はい。入社したときです、配属された部署の直属の先輩です。途中からは上司です」
「性格は?」
「とにかく、厳しい人でした。他人の気持ちなんて意に介さない、本当に厳しい人でした。ただ、本当に仕事ができる人でした。私は直属の部下でしたから、本当に何度も助けられました。でも、中には気に食わない人もいたみたいです」
「そうなんやぁ。厳しい人はいろいろ損するからなぁ。ホンマは優しいのに、めっちゃ悪い人に見られる。わたしも近くによう似ている人おるから、ホンマわかります」
そういうと、
びっくりするほど美味しかった。程よい苦味の中に
「で、行方不明になった時期ってわかります?」
「はい。それも調査済みです。二〇十三年十一月四日、午後八時頃です。定時退社が当然の先輩が、何故か残業した日です。残業というか、同期の先輩と言い争ったからというか……」
「で、そのあと、おらんようになったと」
「……はい」
「うんうん、これはもう間違いない、これなら割と簡単に調べがつくと思います」
「はぁ」
「質問は以上です。二週間以内に調査は終了しますから、調査報告が出ましたら、さきほどのご連絡先に折り返しをしますね」
「あの、料金は……」
「うちは料金後払いなんです。仕事の内容が内容さかい。結果を聞いてもらってからやないと……」
「はぁ」
「どうも、おおきに」
カランコロンカラン
(さて、もう始まっとるやろか……)
「コトリです。お客様がお帰りになられました」
「おつかれ。おつかれ。おつかれ」
ドアの向こうから、珍妙な返答があった。珍妙な返答だったが、つややかでとても魅力的な声だった。
ガチャリ
「失礼します」
男は立って、女にノートパソコンを見せていた。黒いスーツで、短髪を整髪料でテカテカになでつけていた。
女は、大きなのエグゼクティブデスクに
女は、涼やかなの目の絶世の美人だった。グレーのストライプのスーツに身を包み、腰まであろうかと言う黒い長髪をひっつめにして、銀の細フレームのメガネをかけていた。
銀の細フレームのメガネの女は、ボツポツ、ボツボツつぶやいた。
「ふん。ふん。ふん。なるほど。なるほど。なるほど。理解」
黒スーツで、短髪を整髪料でテカテカになでつけた男は、ノートパソコンを閉じながらしゃべった。
「じゃ、僕は準備してきます」
「えー、今度はイツキさんですかぁ? ズルイわぁ」
「だってコトリちゃん、ドイツ語しゃべれないでしょう。行くのは流石に無理がある」
「わたし、もう一年以上行けてないんですよ? あ〜あ……わたしって、めっちゃ不幸な世界一の美少女や」
「では先生、準備をしてきます」
短髪を整髪料でテカテカになでつけた男は、
「ノーリアクションかい!」
「じゃあ。描きますか」
銀の細フレームのメガネの女は、
シュッシュッシュシュ
銀の細フレームのメガネの女は、すずりに向かって、静かに墨を擦り始めた。
・
・
・
さて、墨を擦るのは
時間がかかるので、銀の細フレームのメガネ女と、整髪料でテカテカの男の説明をしよう。
銀の細フレームのメガネ女の名前は、
絶世の美人だが、絶望的にモテない。理由はちょうどキッカリ六十個ある。
とりあえずそのうちのひとつを述べよう。スバリ、話ベタなのだ。余計なことはベラベラと繰り返し喋るのに、重要な情報はいっさいがっさい省いてしまう。この喋り方で絶世の美人は絶対に損をしていた。
非常階段から出て行った男は、
そしてこのあと調査に
・
・
・
コトン
「じゃあ。描きますよ」
「うん。うん。うん。上出来。上出来」
半紙に見事な水墨画が描かれた。水墨画には珍しい、西洋風の街並みだった。
「ほら、なんや安全そうじゃないですか、ドイツ語しゃべれなくても、身振り手振りでなんとかなりません?」
ガチャリ
「ドイツ語だけじゃない。フランス語と英語、できれば北ゲルマン語群も出来た方がいい」
答えたのは、非常口から入ってきた、
「そうなんやぁ。それは流石にイツキさんしか無理やんなぁ」
深皿の中には、ポトフが入っていた。エグゼクティブデスクは、たちどころに素敵な暖かな匂いに包まれた。
「これが最後のじゃがいもです」
「残念。残念。残念」
「あっ! 先生、お酢は要ります?」
「お酢はダメ。絶対ダメ。絶対。絶対」
ガチャリ
非常階段のドアノブが、時計回りにひねられた。
「お待たせしました」
「うん。うん。うん。じゃあ、早速、お願い」
そして、非常階段のドアノブを、反時計回りにひねった。
ガチャリ
ドアをあけると、そこには、長い長い廊下が現れた。
長い長い廊下の左右には、等間隔でカラフルなドアが並んでいた。
そして、全てのドアに〝額縁〟が備え付けられていた。
一番手前の左のドアは、額縁の中に数字の〝1〟が書かれれいた。はっきりした色合いの緑と青のツートンカラーのドアだった。
反対側の右のドアは、額縁の中に数字の〝60〟が書かれれいた。一面、淡い色をした青いドアだった。
コツ、コツ、コツ……
そしてその手に、
はっきりとした色合いの、グレーとオレンジのツートンカラーのドアがぼんやりと光った。そして、水墨画にじんわりと色がついた。
色がついたとおもったら、水墨画はたちどころに写実的になった、いや、実写になった。額縁は窓になっていた。額縁窓になっていた。そして、窓の奥は、西洋風の、賑やかな街並みになっていた。
「頼むぞイツキ、接触は困難かもしれないが……」
「まあ、新聞の切り抜きくらいなら、持ち帰れると思う」
「おみやげ、楽しみにしてます!」
「うん。うん。うん。よろしく。よろしく。よろしく」
ガチャリ
はっきりとした色合いの、グレーとオレンジのツートンカラーのドアは、西洋風の街の裏路地につながっていた。
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