梶尾電器店からの手紙

@aoibunko

第1話

商工会長様

ご無沙汰しております。もう閉店した梶尾電器店主人の娘です。店をひどく散らかしたまま5年も放置していること、たいへんお見苦しく、ご迷惑をおかけしています。


私の父、梶尾は中学を卒業したあと、電気工事店で働き、運転免許や工事技士等の資格を取り、「自分の店を持つ」という夢のため、一心不乱に働いたそうです。会社の知り合いを通じてお見合いした母と結婚し、私と妹が生まれたあと、ついに父は念願の自分の店、「梶尾電器店」を開店しました。開店当時は立地があまり人通りの少ないところでもあったため、すぐに商売繁盛とはいきませんでしたが、近くで新興住宅地の開発が進み、新しい一戸建てが次々建つと父は忙しくなりました。電器店の仕事は店番だけではありません。商品を配達し、設置します。テレビなら屋根に昇りアンテナを取り付け、エアコンなら壁に穴を開けてダクトを付けます。父は荷台に誇らしく「梶尾電器店 電話×××‐××××」と書かれた軽トラに工具と商品を載せ、朝から晩まで走り回りました。


私と妹が結婚して家を離れても、定年のない父はせっせと働いていました。そんな時、父と長らく連れそっていた母が脳梗塞で倒れてあっというまに亡くなりました。葬式の日、周囲の目を気にせずわんわん泣く私たち姉妹に代わり、父は立派に喪主を務めました


それから1年後の母の一周忌の日に皆が集まったときのことです。父は穏やかな笑顔で私たちを迎えてくれました。法事も終わり、さて家に、帰ろうとしたとき妹が私にささやきました。


「お父さんのお店、なんだかおかしい気がするの」


私は妹と家族用の玄関ではなく、店舗の入り口から入ってみました。店の中には電化製品の最新モデルが見栄えよくディスプレイされています。しかし、床には乱暴にちぎった段ボール箱や緩衝材の発泡スチロール、それに、父が大事にしているはずの工具が散らばっていました。私は母が亡くなってそのあといろいろ忙しくなった父が店の掃除まで手が回らないのだろうとあっさり結論して、妹の懸念を無視しました。実はこれが父の衰えの始まりでした。


新しい商品を配達すると古い商品を引き取ります。引き取ったものは専門のリサイクル業者のところに持っていくのですが、店の横の小さな駐車場に冷蔵庫や洗濯機が並べられ、雨に濡れて錆び付くようになりました。電話一本ですぐ駆けつけるのが売りだった父は、約束の時間に遅れるようになり、客から苦情が入るようになりました。実は父は馴染みのお客さんの家にいくのにも道に迷うようになっていたのです。


「梶尾さんのお父さんが暴れている」と店の近所の人から連絡を受け、私と妹がかけつけると父は下着同然の姿でぶつぶつ何か言っていました。まともに仕事ができなくなった父の店は開店休業状態で、父と話してみると過去と現在がごっちゃになり、意味が通りません。病院で認知症と診断されました。妹やケアマネージャーさんと相談し、とりあえず、実家に近い家に嫁いだ私がしばらく引き取ることになりました。父の店は廃業届けを出し、散らかしたものは店の中に全部押し込んで表のガラス戸に鍵を掛けました。うちに来た父は認知症がどんどん進み、家族が疲弊しかけたころ、やっと介護施設に空きが出来て、預けることができました。


父が亡くなったあと、私も妹もあの店を片付けられずにいました。うまく説明できないのですが、あの家は私たちには重すぎました。父が開業した店、母が店番をしていた店。そして私たちが生まれ、育ててくれた店。父が残した古い工具や店内用の什器、捨てるしかない家電製品たち。片づけるとなるとかなりの力仕事になりますし、懐かしいはずの思い出が、棘のようにひっかかって、ずるずると後回しにしていたのです。


そんな私たちが腰を上げる機会が訪れました。市役所では移住者に空き家を提供するため、登録をよびかけていて、あちらの勧めるままなんとなく登録していたのですが、なんとうちの店を借りたいという若者がいらっしゃったそうです。まだ20代ですが、都会からゆったりした地方に移り、そこでカフェを開きたいと空き家登録からうちを選んだそうです。最近は若者が少なくなり、人通りも減って随分静かになったあのあたりで、飲食店が繁盛するのかわかりませんが、とにかく引っ越してくる人がいるというので、私も妹も心かろやかになっております。今週の日曜には私と妹、移住者さん、廃品回収業者さんが店に集まり、片付けに入る予定です。トラック等の出入りでご近所の迷惑になるやもしれませんが、作業に入る前にあちこちご挨拶に伺う予定です。商工会長様にもお伺いするつもりでおりますので、なにとぞご理解ご協力のほどよろしくお願いします。

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