走る

turtle

第1話 若者の特権

 走るのは若者の特権だ。駅伝マラソンを見てみよう。弾ける汗、躍動する筋肉。息切れしない強靭な心肺。

 人生においても、とにかくがむしゃらに後先考えずに進み、新しい世界に飛び込めるのは若さゆえだ。古典「走れメロス」もそうだ。友を想い、体がうずうずして、何かせずにはいられなかった。ちょっと古いが東京ラブストーリーのカッチは愛するリカのために走りまくっている。会社の使い走りすら若者しか使わない。

 ある一定の年齢になると進む前につい止まって考えてしまう。中年以降、道が定まっているものは足元をすくわれないように用心深く歩く。走ったりするとばったり前のめりに倒れて息を引き取ったりする者も出てくる。それすらましかもしれない、行き倒れ途方に暮れて座り込んでしまっている者もいる。

 そして年寄りになると日暮し寝て過ごしている。そこまでの年月をどう過ごせばいいのだ、とため息をつきながら私はパソコン画面を見つめる。今日も不採用通知だ。コロナ禍でバイトは足切り。やつと得たオンライン家庭教師の職もレッドオーシャンになったのか、年齢で足切りされた。

 頭の中には過去の慚愧がよぎる。あの時、あのチャンスをものにしていれば。あの人が居なければ。しかし時間は戻らない。物理法則にてタイムマシンの可能性を計算したところで、ただの机上の空論でしかない。

 後ろを振り返るのは、寝て暮らすよりも質が悪い。マイナス思考で周囲に毒をまき散らすからだ。それが因果応報で自分に返ってくると分かっていても。ではどうする?鴨長明作「方丈記」のように世俗のしがらみを断って生活するのか?でも彼すらも最終章にて偉い人に呼ばれたら嬉々として出かけている。”悩むぐらいなら筋トレしろ”有名なツイッターだ。脳内アドレナミンが出て、やる気が出る。せめて棚の整理ぐらいしろ、昼食のレパートリーくらい増やしたらどうだ。無職の居候のくせに。自分で自分を卑下してしまう。

 価値観を変える、と聞き、頭を掻きむしる。無理だ。ずっと学校は偏差値高いほうがいい、かけっこだって早いほうがいい、一流企業あるいは起業して社会的に有名(起業の社会性あるいは規模)、子供、......。なまじっかSNSのそういう投稿ばかり目に付く。でも自分と同じような状況の人物のは見たくない。自分の現状を認めたくない、更に下を見ると、ああなるのではと怯える。

 何かが違うのは分かっている。ベクトルを変えるなんて陳腐な言いぐさはもう十分だ。ため息ばかり。

 持っている物を考えよう。両親は今のところ健在だ。それすら私に頼れないからではないかと被害者めいて考える。実家もあるが老朽化しつつある。その費用が出せるのか。両親の年金で暮らしている。それすらない人もいる。もうすぐその仲間入り。

 一番怖いのは、この世で何も残せない事だ。こうして日々を無為に過ごしていることに怯えているのだ。

 腹が鳴った。怯えたところでお腹はすくのだ。思わず嗤ってしまった。私は生物だ。生きる意味などないのだ。

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走る turtle @kameko1

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