望郷の異世界レシピ02『さけ(正月魚)』【KAC2021 お題『走る』】

石束

『さけ(正月魚)』

 

 魔法王国の版図の西、かつて起こった魔獣の大暴走の結果、人が住めなくなってしまった広大な荒れ地。恐れ知らずの傭兵ギルド所属の冒険者すら「死の荒野」と呼んで踏み入ることを避ける大辺境の深奥にその場所はあった。

 威容峨々たる山塊に穿たれた谷間。日の光も十分には届かない深い亀裂の底には、すっかり水が枯れて白く干上がった細い川の跡と小石まじりの山道が通じているが、途中には脇道もなく両側を切り立った崖に挟まれたその道に一度踏み込んだなら、平地に抜けるには反対側に出るしかない難所――『枯れ谷』

 硬い鱗を持つ竜種や、針金の如き毛皮を持つ魔獣が徘徊する魔境であった。


 その入り口に今、騎馬の影が、一つ。到着した。

 粗末だがしっかりしたつくりの手綱に、荷物も載せられるように二人用の大きな鞍、これだけは新品の鐙(あぶみ)。着替えの大半と夜具。雨除けのキャンバス地の大布は鞍上へ振り分け、飲み水と携帯食をいれた背嚢を背中に。

 いつもは膝丈にまで下ろしている巡礼装束は裾をからげて腰高に整えて、お尻と膝に革であて布補強をした乗馬ズボンをはき、足元はごついに鋲打ちのブーツ。厚手の長袖シャツに手甲脚絆。薄手と厚手二種類の革を組み合わせた特別製のグローブ。

 そして、鞍横に括り付けられた、一振りの剣。

 迷彩柄も勇ましいゲリラ巻きのアフガン風ストールを解いて頭を一振りすると、曙の第一光のような朱金の髪がこぼれ広がり、整っているが年若いというよりも、はっきり「幼い」と形容すべき容貌が明らかになる。

 彼女の名前はフィアーネ・ユフラス。

 かつて魔法王国王都の至高神教団において高司祭の役職にあった『巫女姫』にして、わけあって王都を追われた魔法王国の元第三王女であった。


 恐ろしいばかりの枯れ谷の風景だが「経験者」の彼女にはそうでもない。

 かつて少年とともに訪れた時は震えが止まらなかったが。


「……少し前に来たばかりなのに、随分昔のことのような気がしますね」


 そう口にしてしまったのは、いつも一緒だった少年と離れての単独行だったせいだろうか?

 わずか三日のことなのに独り言ばかり言っているような気がする。


 小さく息を吐くと「ぐるるー」と気遣うような鳴き声が聞こえた。

 少女ははたと我に返って微笑んだ。

「ごめんなさい。心配かけましたか?」

 彼女は鞍上から、声の『主』の首元とそっと撫でた。

「マルスと一緒だから、わたしはちっとも寂しくありませんよ?」

 いま彼女がまたがっているのは荒野の旅人にとっての命綱というべき『相棒』――竜種の騎乗獣だった。

 成人男性の身長よりも頭二つ高い鞍から、苦も無く軽快に飛び降りた彼女がやさしくその口元を撫でて干し肉を与えると、巨大な顎と牙を持つ魔獣は再び「ぐるる」と存外に可愛らしい唸り声を上げた。

 如何にも人慣れているのは「ヒナ」のころから人間(じんかん)で育ったため。

 とはいえこれもまた、辺境産の狂猛な魔獣の一種には違いない。龍脈が縦横に通り生き物の生態に影響を与えることすら珍しくないこの魔境においては、魔獣すら強大にあるいは狂暴に進化する。村人に育てられ、今は彼女の心強い味方である『彼』もまた、同様だ。食べてもおいしい卵から生まれ、穀物や昆虫を好んで食べるので、便宜上「ニワトリ」とか「トリ」と呼んでいるだけで、その実、翼が退化して飛べなくなったかわりに、強靭な足で大地を疾走するようになっただけのれっきとした竜種だった。

 魔術も武術も人並み以上の才覚を有するフィアーネであるが、魔獣が闊歩する大辺境の荒野においてはただのひ弱な人種に過ぎない。まさしくここは彼ら様々な竜種の王国であり、彼らこそが正統な住人であるといえる。

「……」

 では、そんな地獄というにも生易しい魔境に、なぜに彼女らが一人と一羽で存在しているかというと――お話の発端は数日前にさかのぼる。


 ◇ ◆ ◇


「釣り、ですか?」

 フィアーネが聞き返すと「こたつ」でみかんを剥きながら、長老が「うむ」と頷いた。

 季節は12月。ここしばらくは朝夕の冷え込みも厳しく、いつ初雪が降ってもおかしくないなあ、などと健太に教えてもらったりした時のことである。

「時節柄、そろそろ正月の準備があっての。また『さけ』と『イクラ』を捕りに行かねばならんのじゃが、居酒屋の」

「カンジさんですね?」 

「そうそう。あいつが青年団のまとめをやっとっての。今回はフィアーネさんにも参加してもらえんかと――」

「あぶねえって。姫はやめた方がいい。俺がもう一回走ればすむだろ」

 フィアーネが相槌を打とうとしたら、横から健太が食い気味に遮った。

 並びあってこたつに入っていたフィアーネがたしなめようと横を向く。

「健太さん、ちょっ――むぐっつ」

 向いたら、口の中に何かを突っ込まれた。甘い。

「はい。あーん」

 と再び言われる。みれば健太が剥いてくれたみかんだった。

「(もぐもぐ)あーん。」

 ――ではなくて! フィアーネは体を捻って(できるだけ炬燵から膝をださないようにして)健太に向き直った。

「健太さん、何で邪魔するんですか――おいしかったです!」

「コレ、あたりだったみたいで甘かったから。――だから、フィアーネは危ないって、無理に『釣り』をやることはないんだよ……も一個食うか?」

「いただきます! ――あの時は逃げるだけでしたけど、要領はわかりましたから大丈夫です!」

「理屈と実際やるのとじゃ大違いなんだよ。はい。あーん。」

 ほんとにあたりのみかんだったらしく、甘かった。

「お返しです。こっちも甘かったですよ?――はい。あーん」

 フィアーネの剝いていたみかんもそこそこ甘かった。ちょっと酸味があったが、さわやかだった。

 あーんと健太が応じて開けた口に、今度はフィアーネが剥いたみかんをそっと差し入れた。

「ありがと。おいしいな。でも、それさっき姫が一生懸命選んでたやつじゃん。自分で食べなよ」

「いいんですよ。健太さんに食べてもらおうと思って選んでたんですから」

「そっか――」


「――健太。お前は勢子にまわれ」


 しばらく黙っていた長老が、ぼそっと言った。


「え? なんで?」

と心底意外そうに健太がいうと、炬燵をちゃぶ台返ししそうな勢いで長老が立ち上がった。

「何でもくそもあるか。お前らはしばらく別行動せい! これは長老命令じゃ!」


 ……と、そんなこんなで、フィアーネのサケ釣り参加と、健太との期限付き別行動が決まったのであった。 

 フィアーネと健太は事情が分からなくて抵抗というか説明を求めたのであるが、経緯を聞いた村人が全会一致で長老を支持したので、撤回はなされなかった。


 ◇◆◇

 


「よし!」

 とストールを巻き直し、青年団の備品の軽い鎧(実はケプラー入りの防弾チョッキ)をつけ、額に鉢巻きを巻いて風よけにすると、フィアーネは再び『マルス』の鞍上に登った。

 今回枯れ谷でフィアーネと健太を含む村人たちが狙う獲物は、枯れ谷の上空にいる。それは谷に生息する魔獣を餌にしているワイバーンの変異種で、竜の親戚の割に背びれ胸びれがって鱗が細かく魚の赤身っぽい肉質ゆえに、村で便宜上「サケ」などと呼びならわしている。空にいる相手なので普通なら手が出せないところであるが、この竜モドキは獲物を捕るために枯れ谷の底に降りてくるという習性があり、村人が待ち構えている場所へ追い込んで袋叩きにしてしまおう、というのが若衆の度胸試しも兼ねた青年団の名物行事『サケ釣り』だったりする。

 世間知らずを自覚しているフィアーネですら健太から聞いた時にはさすがに、どう考えても正気の沙汰ではないとおもったが、なし崩しで自分も参加してサケを釣ることになった。

 ちなみに。本来この『サケ釣り』は青年団総出の行事なので、健太とフィアーネが村に来る途中に二人で釣った時は、やはり枯れ谷に存在している狂暴な災害級魔獣(近くにある龍脈のせいで二本の腕が四本になってサイズが三倍くらいになっている。通称『クマ』)の傍までおびき寄せて、戦わせるという方法をとった。


 ――今回はあのような不確定要素がないので、だいぶ気が楽ですね。


等と考えてしまうほどに、自分自身の異世界人としての常識が狂い始めていることに、この少女は気づいていない。


 ともあれ。

 これから、不眠不休で騎獣を駆っての囮行動が始まる。


 ………


 何の因果か異世界に転移してしまった人々がいた。


 特に理由もなく、召喚されたものでもなく、勇者でも魔王でもない。死んでいないので帰りたいのだが、帰還方法のアテもない。彼らは自分たちの生活を成り立たせ、帰還方法を探すためにささやかでゆるやかなコミュニティを作り、助け合って生きることにした。


 そんな営みが、なんとか軌道に乗って安定してきた頃、次に彼らは「故郷の味」を求めた。


 その「異世界」は何もかもが違っていた。彼らの料理に必要なものは何一つなかった。


 しかし、彼らはそれでもあきらめなかった。


 素材が違っても方法が違っても、それでもその味を、故郷をあきらめなかった。


 そんな別の世界からの旅人たちが肩を寄せ合って生きる村があった。


 彼女、フィアーネ・ユフラスは、そのような村にただ一人存在する【異世界人】である。


「さあマルス! いきましょう! 健太さんが待っています!」 


 ぐるああああああっ。

 フィアーネには可愛らしく聞こえるが、枯れ谷の普通の魔獣であればしっぽまいて巣穴に飛び込むような咆哮を上げて、マルス――健太が子供のころから育てて、今、フィアーネを託されたと三倍増しで張り切っている雷脚竜(通称『トリ』)が爆走を開始する。


 全走行距離800キロを三日三晩で駆け抜けるロングライドであろうが。

 待ち構えるのが災害級魔獣やワイバーンの変異種であろうが。

 どんな苦難も怖くない。

 彼女が馳せ駆ける道のその先に、彼女を迷いと不安の混沌から救い出してくれた、彼女の『勇者』がまっているのだから。

 



 

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