友の声が聞こえる

水涸 木犀

episode2 友の声が聞こえる [theme2:走る]

 けたたましい着信音で、俺は目を覚ました。


 薄目を開けて通信端末に記された23:54という数字を視界におさめる。自動応答メッセージが切れた瞬間に再度着信音が鳴り始めたのを確認してから、通話ボタンを押した。

「夜分遅くに申し訳ありません」

 出た瞬間、彼女らしくなく謝罪の言葉を聞かされ、考えていた小言を飲み込む。狙ってやったのかは不明だが、彼女は俺の返答を待たずに言葉を繋げる。

「オウルさん、待ち人から連絡がありましたよ」


 それを聞いた瞬間、布団をはねのける。通信端末をスピーカーモードに切り替え、クローゼットの扉を開ける。

「オウルさん、聞いてますか?」

「ああ、すぐそちらに向かう。解析は済んだのか?」

 服を着ようとしてから、寝巻きを着たままだったことに気づく。舌打ちをしつつ無造作に服を投げ捨てる。

「いえ。たった今受信したので。光学パターンをみる限り、OLIVE号で間違いないと思いますが」

「分析してわかることを、分析前に断定口調で言うな」

「はいはい。オウルさんがこちらにくるまでには、解析が完了すると思います」

「了解だ。5分、いや3分で行く」

 着替え終わった俺は、通信端末を耳にひっかけて扉の前へ向かう。自動ドアが開く音が、端末越しも聞こえたらしい。

「さすがに早すぎますよ!それに今の音、研究棟ですよね?10分はかかりますよ」

「俺の足はまだ衰えていない。走るから返答しないぞ。報告があったら連絡してくれ」

「ちょっと!怪我しないでくださいよ」

「ミノリ、しゃべるより手を動かせ」


 一応くぎだけさしてから、白い地面を蹴る。ここの静止衛星は、重力がある。システムに多少細工を加えれば、無重力にすることも可能だがその必要はない。俺は無重力下を飛んで移動するより、ふつうに走った方が早い。

の体力、なめるなよ」

「オウルさん、なにか言いましたか?」

 彼女の言葉を無視して、ひたすら長い廊下を走る。道はゆるやかに曲がりながら、徐々に上へと上っている。衛星に住む人々の運動不足解消と、限られた資源を効率よく利用するために編み出された作りだ。これも宇宙環境を住みよいものに変える、宇宙移行士の仕事の成果だ。

 −クレインは受動的な仕事だといって、笑うのかもしれないが−

 既存の環境に安住することをよしとしなかった彼は宇宙探索船に乗り、あるかもわからない新星を目指して旅立った。OLIVE号と呼ばれる彼の船は、新たに人が住める星を探す計画−通称「オリーブと鳩」−を実現するためのフラグシップとしてもてはやされた。

 途方もない計画だ。

 人が住めそうな星、それがありそうな区域を割り出すことは机上でいくらでもできる。しかし、遥か彼方にある宇宙環境など、人の肉眼で見える頃にはいくらでも変わっている。最悪の場合ブラックホールができているかもしれない。そうでなくても超新星爆発に巻き込まれたり、想定外のデブリ群に見舞われたりする可能性がある。そもそも、OLIVE号に積まれた燃料は全く余裕がない。少しでも航路を外れたり、星の位置が想定と外れていたりしたら帰ってこられなくなる。無事に任務を達成する可能性はほぼないといえる。

 たが、「オリーブと鳩」は今の暮らしに不満を抱く人々の耳目を良い意味で集めた。実際のところ、政府がこの計画を承認したのは、市民のガス抜きのためだと言う話がもっぱらだ。

 そんなゴシップめいた扱いを受けていても、彼は本気だった。新しい星に必ずたどり着く。例え戻ってこられなくとも、見つけたら必ず連絡する。

「だからオウルは、僕の通信が拾える場所で待っていてくれ」

 俺は「オリーブと鳩」自体には懐疑的だが、クレインの言葉は信じた。だから政府の計画賛同派を焚き付け、無駄に立派な監視室を作り上げた。

 −こんな端っこに作らせたのは、失敗だったかもしれないが−


 通路の先に分岐が見える。手をかざしバーを上げる間も立ち止まることなく、セキュリティ棟に駆け込む。

 鍛えているおかげか、まだ足はスムーズに前に出る。しかし、緩やかとはいえ上り坂を数分間走ってきたのだ。さすがに少し息が上がってきた。通信端末が僅かなノイズを拾う。

「オウルさん、聞こえますか?」

「ああ」

「暗号解読はまだですが、暗号の発信位置は特定されました。OLIVE号が向かった空域でまちがいありません。詳細は後で資料を送ります」

「わかった。もうすぐ、着く」

「ほんとうに走ってきたんですね。通信は逃げないので、無理しないでくださいよ」

 今さら言われても遅い。少しだが話したことで、俺の息はさらに上がった。ただでさえ薄い酸素を吸いきれず、脳がうすぼんやりとする。


 まとまらない思考の合間を縫って浮かび上がるのは、OLIVE号の前に立つ彼の姿だった。

「僕の通信が拾える場所で、待っていてくれ」

 彼はそういって笑い、片手を上げ船に乗り込んでいく。俺の目の前で、OLIVE号は発進する。漆黒の闇に船体が消える。

 OLIVE号が去った方向に、見慣れた扉が浮かび上がる。夢とも現実ともつかない景色だが、身に付いた習慣が俺の手を扉に押しあてさせる。

「生体、認識、しました」

 扉が開くと同時に、暗闇の中でどんと構える光の文字が目に飛び込んできた。

「プロフェッサー、解読はできたのですが……」

 オペレーターのつぶやきが耳から抜ける。


 Crane turned into a pigeon.


「クレインは、鳩になった……」

 声に出して、悟る。

「オリーブと鳩の伝説だ」

 俺の頭に、創世記のエピソードが浮かぶ。

「人類の祖先ノアが、大洪水の水が引いたかを確認するために鳩を放った。鳩は、オリーブの小枝をくわえて戻ってきた。それでノアは、洪水が引き、人が住める大地が現れたことを知る」

「それじゃあ」

「あいつは、クレインは見つけたんだ」

 呼吸が落ち着くと同時に、視界がクリアになっていく。信じられないという表情をしたオペレーターと目が合った。

「ドクター・クレインが鳩になった……つまり、人が住める土地を見つけて、あとはオリーブと共に帰るだけ、ということですね」

「そうだ」

 俺は三度みたび、モニターを見上げる。輝く文字の向こうに、笑顔で手を振る彼の姿が見えたような気がした。

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友の声が聞こえる 水涸 木犀 @yuno_05

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