真夜中を駆け抜ける

染井雪乃

真夜中を駆け抜ける

「アキってさあ、意味わかんない趣味してるよね」

 スマホの向こうで澪が唐突に言った。澪は高校の友人で、何度も課題を手助けしあっていて、そして、会ったことがない。高校が生徒のために作ったワークスペースにはハンドルネームがひしめいている。

 澪だって、澪ではないかもしれない。玲がアキと名乗っているように。玲は女っぽいレイという読みが嫌いだったから、アキラと名乗っていた。そうしたら、アキラという名前の女の子と勘違いした澪が友人として、釣れた。

 社交性の低い玲は釣り上げた魚を逃がしてやる気もなく、女の子の友人を求めていた澪と仲良くなってから通話を繋ぐなどの周到な手段を用いて、澪との友人関係を強固にしていった。その上で、澪は、「よく考えれば、アキラって名前は男でも女でもありだし、出会わないんだから、男でも女でもいいんだった」とある種の開き直りを見せた。

 澪も玲も、お互いのことを何も知らない。出身地とか、出身中学とか、そういった、特定に繋がることは何一つ知らない。苦手科目と得意科目、趣味くらいは知っているけど、それ以外のことは、お互い話さない。

 会うという話も出ない。クラスには、互いに会ってオフ会なるものをしたという猛者もいるけど、玲はそういう気になれなかった。社交性が低いことももちろんだが、会ってしまえば、玲はアルビノだと知れる。玲がアルビノであることを知らない相手と交流するのは、フラットに見てもらえるから、気楽なことだった。玲がアルビノだと知った途端、相手の態度は変わる。良くも悪くも。鮮明に。

「だって、夜中に走るのが好き、なんてさ。夜なんて寒いのに。夏ならわかるけどさ」

「気持ちいいじゃん。昼間だと無駄に人多いし」

 日焼け止めクリームを塗らなくてすむ……とは言わなかった。男が日焼け止めクリームを塗ることはあまり一般的ではない。玲は美容男子ではない。メイクをしたり、スキンケアをしたりすることは、女性のすることだと思っているし、可能なら日焼け止めクリームだって塗りたくはない。ユニクロで売っているUVカットの服だけで外出したいくらいだ。それを許さないのは、玲の体質だ。

「無駄に人多いかあ。こっち田舎だからなあ。夜なんて田んぼに落っこちちゃうよ」

 いいなあ、都会、と澪が都会への憧れを滲ませた。

 澪は入学理由について、都会のおしゃれな高校以外に行きたくなくて、いろいろ考えた結果、オンライン完結型の通信制高校を選んだと公言していた。田んぼと小さなコンビニと車で行ったところにあるスーパーだけの、「クソ田舎」らしい。

「うちも住宅街ってだけで、さほど都会ではないけどね」

「いや、アキは割と都会人とみた」

 澪の推測は間違ってはいない。間違ってはいないが、それを認める気も否定する気も、玲にはない。

「さあ、どうだろうね?」

 お互い事情はたくさんあるのだろうから、踏みこまずにおこうぜ、という意味をこめて、意味ありげに疑問形で返して、玲はパーカーを羽織った。

「じゃ、そろそろ僕は行くかな」

「おっけー。じゃあね。また課題詰まったらメッセしあおう」

「了解」

 通話を切って、玲は部屋を出た。


 玲は家族が寝静まったのを確認して、足音を立てずに、家の外へと出た。

 コースは決まっている。住宅地を十分ほど走って、噴水のある公園を目指す。噴水のある公園の真ん前のコンビニで飲み物を買って、少し休んで、また走って、帰宅する。

 見慣れた住宅地が流れていくのを感じながら、玲は風の心地をたしかめていた。中学二年の夏くらいから始めた夜中のランニングは二年半ほど、続いている。男性にしては少し長めの髪が風に吹かれて、流れる。

 走っているときだけは、髪の色も、瞳の色も、何も気にならない。周りに気にされていることも、何もかもどうでもよくなる。

 今日も走り疲れて、コンビニで買ったスポーツドリンクを買って、噴水の前に座りこんだ。行儀よく腰かける気にはなれなかったからだ。

「キャンユースピークジャパニーズ?」

 クソみたいなカタカナ英語が降ってきた。偏差値が低いので有名な一駅先の高校の制服を着た男子学生だ。イメージに違わず、頭を緑に染めて、いかにも馬鹿っぽそうだ、と玲は一瞬で彼を見下した。

 だが、玲は差し出されたものを見て固まった。

「学生証、落としてたから」

「あ、ありがとうございます……?」

 差し出された学生証を受け取りながら、玲は彼の目的を邪推したことを恥じた。

「あ~何だよかった日本語でいいんだ」

 はーっと息を吐いて、彼は玲の横に座りこみ、自然な動作でポケットから煙草を取り出した。高校の制服でさらっと煙草を吸うことに、玲は驚いた。

「名前、日本人そのものじゃないですか……」

 呆れを含ませると、「そういやそうか!」と笑って、煙草に火をつけた。

「それさあ、めっちゃかっこいい色してんじゃん。自分で染めた?」

 それ、と彼は玲の髪を指さして問う。プラチナブロンドが月明かりに照らされて輝いていた。

「いや、これは生まれつき」

「え、じゃあ、タダ!?」

 ぐいっと彼が近寄ってきて、思わず玲はのけぞった。

「あ、目もすげーいい色してる。これも生まれつき?」

 瞳を覗きこまれて、玲は思わず少し後ずさった。

 何かすごくぐいぐい来るなあ、パーソナルスペースってないのかなこの人、と思いながらも、玲は答えていた。

「そう、だけど」

 戸惑っていると、彼はぶつぶつ言いながら考え始めた。ミュージックビデオがどうとか、撮影とか、何だか玲にはよくわからないことを言っている。

「モデルになってください!」

 がばっと手を掴まれて、玲は驚いた。

「モデル?」

「うちのバンドの動画をネットに上げるんだけど、何か、音源に絵とか写真とかつけたいなって思ってて! よかったらモデルになってほしい、です! 返事は今すぐじゃなくていいから、QRコード交換しよ。ほら、かざしてかざして」

 一気にまくしたてられて、玲はスマホを取り出し、目の前の彼とメッセンジャーのIDを交換していた。目の前の彼が、桜井錬という名であることも、そこで知った。

「じゃ、また連絡するから!」

 緑髪の彼改め、桜井錬は風のように去っていった。初対面の相手にモデルを頼むなんて、変な人だはなあ、と玲はぼんやり考えて、頼まれたのが自分であることに気づいて慌てた。


 翌日の昼頃。玲が課題を終えて、紅茶を淹れていると、桜井錬からメッセージが飛んできた。バンドメンバーに話した結果、正式に玲にモデルを依頼したいということになったらしい。正直、そんな会ったばかりどころか、バンドメンバーとしては会ってすらいない人間にモデルなんか任せないだろうと思っていたのだが、玲は彼らの思考を読み切れていなかった。

「うそだろ……」

 桜井錬が玲のことをどう説明したのか知らないが、写真の一枚もなく、モデルの依頼なんかするものなのか。玲は音楽事情にも、撮影事情にも詳しくないけれど。

 キッチンで、玲はどうしたものか、と考え始めた。

 彼らが本気だなんて、玲は思ってもみなかった。

 社交性のない玲なので、こんな話は断ってしまおうと思って、メッセージを打とうとしていた。しかし、桜井錬の送信した音源を何気なく聴いて、その考えを変えるに至った。

 曲で表現されている、深夜に走る、白金の少年。

 それは、おそらく、自分のことだ。

 玲は、桜井錬に、一言、聞いてみることにした。

「これって、僕のこと?」

「やな気分にさせてたらごめんだけど、そう」

「別に、嫌ではないし……」

 少し考えて、玲は打ちこんだ。

「いい曲だった」

 家族に知れないようこっそり夜中に家を出て、走る背徳感と、罪悪感がごちゃまぜになって、でも、すべてから解放されるために、玲は夜に走っていた。それを、この曲はしっかり捉えていた。

 桜井錬達のバンドに、ちゃんと出会ってみよう。その決意だけはした。モデルを受ける決心はつかないけれど、何も知らずに断るのも嫌だな、という気分になっていた。

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真夜中を駆け抜ける 染井雪乃 @yukino_somei

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