せんのうた
梶木冴氣
第1話
「きれいな せん」
アラフィフにして、突然、三歳頃の記憶がプツンと音を立てて蘇った。
「三つ子の魂百まで」のことわざが浮かぶ。
それは本当に突然だった、この瞬間を得たいが為に何度も記憶の断片をつなぎ合わせてきたのだけれども、記憶の蘇りは爽快感などなく、あったのは怖さや戒め、そして今さらどうすることもできない空しさが刻まれた。
私が三歳、姉が五歳、同じ長屋に住むMちゃんとMママ、そして父母の話しになる。
Mちゃんは姉と同じ歳、同じ幼稚園に通う仲、二人は毎日仲良く遊び姉は家の中でも何かとMちゃんの話をしていた。私はというと、蚊帳の外といった感じで、姉たちを傍観している光景が浮かぶ。
それでも一つだけMちゃんについての記憶がある、それは生まれて初めて、可愛い傘を買って貰ったことがとてもうれしくて、お天気に関係なく持ち歩いている私に、「危険性だから止めなさい」と母から厳しく注意をされていたにも関わらず、傘をくるくる回して、Mちゃんにぶつけてしまったという想い出だけだ。
Mちゃんに傘をぶつけてしまった直後のこと、当然ながらMちゃんは泣いている、その横で姉が母へしきりに私への叱責を促がして騒いでいる。私自身も叱られるものと覚悟して身構えてはいたが不思議と母にもMちゃんママに
その当時の母とMちゃんママとの関係というと、想像ではあるが、同じくらいの時期に結婚し長屋での新婚生活をスタートさせた者同士、そして第一子が互いに女の子で同い年の仲が良いとなると、おそらく子供たち達と同様に母親同士も親友に近い関係になっていたと思われる、さもすれば互いの秘密を明かしあうような仲だったかもしれない。
母亡き後に叔母から聞いた話だが、母は父と結婚する以前、結婚をしたいと思っていた男性がいたらしいが祖母に反対されしぶしぶ父との結婚に踏み切ったらしい。
両親の仲はあまり睦まじくなく、頻繁に喧嘩をしていたが、元をたどればそれが原因だったのだろう。Mママと母とは、そんな打ち明け話が出来る仲だったのかも知れない。
事の始まりは、ある日の我が家の夕食。
家族そろって食卓を囲んでいる最中、父母は神妙そうな顔つきでヒソヒソ話しをしていたのだが、突然父が怒り出して姉にこう言った。
「これからはMちゃんと遊んではいけない」当然であった。
姉は泣き叫んで駄々をこねていた、母は突然の父の激変に困った顔をしながらも姉をなだめながら父に何かを訴えていた、父は断固と受け付けず、姉の泣き声が甲高く響いていた。
3歳の私は、理由を知りたいと思いながらも蚊帳の外と言った風で、三人の様子を眺めていた。
Mちゃんとの遊びを禁止された理由を、母に尋ねたのは私だったのか姉だったのか、はっきりとは覚えていないが。
「赤線だから」という言葉で説明された気がする。
当時三歳の私にとって「赤」は色でしかない。
「赤色のこと?クレヨンじゃないの?線って何?」と、
赤について教えて貰おうとせがんだ気がするが、
「知らなくていい」と
翌日からどうなったかというと、父が関与しない昼間は姉とMちゃんは何もなかったかのように今まで通りに外で遊んでいた。おそらく母の配慮だろう。
幼稚園を一緒に通っていることもあるし、大人の勝手で仲を裂けるものではなかったのだろう、私も何故だかそれが嬉しかったような気がする。
しかしその楽しい関係も長くは続かず、ある時期を境にピタリと交流が絶えた。
姉のご機嫌までは覚えていないが、家の中でもMちゃんの話題は聞かれなくなった。
そして、我が家は引っ越しをすることになり、それきりになってしまったのだ。
歳月が立ち、小学校高学年の頃に学校で催された劇のシーンで「赤線」という言葉を耳にしたのだ。
その劇は小学生が観るには難しく、あの言葉の意味も分からなかった、しかし偏見が見え隠れするような言葉であることは分かった。その日の帰路あの時の事を重ね合わせて考えてみたが、やはり分からなかった。
夕方、思い切って母に尋ねてみた。
「『赤線』って何、お芝居で聞いた言葉だけれど、意味が分からない」
母はその意味をMママの話しと照らし合わせながら説明してくれた。
Mママは実家を支える為に両親によって身売りされたこと、旦那さんに気に入られて見受けしてもらい結婚をしたけれども、結婚生活は辛いと嘆いていたことなどを話してくれた。
母の話はあまりにも衝撃的だった、そしてなぜだかもっと悲しい方へと想像が脹らんだ。
「産まなければ良かった」と言われて、産んだことを後悔されるのと、
「ごめんね」と言われて売られる子。どちらがより悲しいのだろうか?
この時はまだ身売りの真の意味を理解できていなかったかもしれず、
どちらも悲しくて、寂しくて、痛ましくて、胸の中に負の感情が鳴り響いていた。
そして更なる疑問が走った。
「だからと言ってなぜ子供同士の遊びを禁じるのか、何故ママ友の交流を絶たなければならないのか、せっかく母の配慮で子供達の仲を守ろうとしていたはずなのに、何があって急に途絶えたのか、本当の原因は何だったのか、友達として慰めてあげようとは思わなかったのか」
様々な疑問が湧いてきたが、母へ投げかけることはできなかった、なぜなら母の目は物体のない何かを見つめながら、徐々に顔に陰りを浮かばせたからだ。
歳月はさらに流れたが変わらず記憶の断片は時折過った。
既に父母共に他界しているため当人に確かめることはできないので、母や姉の性格を手掛かりに行動を推理してみた。
「母の性格だったらどうか?」母は感情を露わにするタイプなので、直ぐにMママに察知されるはず、そしてMママの方から離れて行くに違いない。
しかしそれが真実ではないと、あの時の母の目は物語っている。
「では五歳の姉だったらどうしただろうか? うっかりとMママに我が家の会話を告げてしまったかもしれない」
姉はMちゃんの家でよく遊ばせてもらっていたので可能性が高い、きっとそうだ、かなり真相に近づけた気がする。
しかし尚も、真実は他にあるとばかりに記憶の断片が過る。
そして今春、
「母でもなく姉でもないとすれば、もしかして原因は私なのか?」と、はじめて私自信を疑った。
「もし私だったとしたら……たった3歳の私、傍観していた幼児の私……私の性格は……?」
第三者の目になって、少しずつ自分自身の行動を推測した。
「機嫌が良い時は鼻歌を歌っている、小さい時もそうだった、何か歌を歌ったのか?
……覚えたての言葉を使って?……」と、
そのときだ!
外耳道に溜まっていた水が抜けるような感触に似ている。
「プツン」と音を立てスッと道が開いた。
まるで昨日の事のように鮮明に記憶が蘇ったのである。
三歳の私は、自分の体を軸にしながらとても気持ちよくくるくる回っている、そう、傘を持って、傘のさきで弧を描きながら風のドレスをなびかせるように揺らし弧を描く、透明のスカートがひらひら、ゆらゆら、きれいに広がっている、柔らかい風が首筋から裾へと抜けてゆく、とてもとても気持ちがいい、なんだか嬉しくて、そして歌い出したのだ。
「赤~い線、青~い線、黄色~いせ、黄色はきれいに描けないからダメ、赤~い線、青~い線、きれ~な線、いちば~ん、きれ~なの 赤~、赤~、せ~ん」
風の勢いと共に回転はどんどん早くなり、そのリズムに合わせ歌詞も早くなる。
「赤い、赤い、赤い線、赤い線、赤線、赤線……」
回り過ぎて、ふらついて、こけて、そしてMちゃんにぶつけてしまったのだ。
母の冷や汗。
Mママの気配はいつしか姿を消していた。
たぶん家で涙。
今思えば、引っ越した時期にも疑問が生じる。
幼稚園の春休みを待たずに引っ越しを済ませたために、遠くなってしまった幼稚園まで、母は私を連れて電車に乗って姉を送迎していた。
そして新学期から姉は近くの幼稚園に通いだした。
Mママの気持ちを想像すると今さらではあるが泣けてくる。
知らなかったとはいえ、酷い事をしてしまった。
随分堪えただろうに、親友だと信じて思い切って打ち明けたら……、
その後、友達は作れたのだろうか、旦那さんとはその後どうなったのか、
心の傷の深さは計り知れない。
母にしてみれば打ち明けられた内容が重すぎたのだろう、抱えきれずつい父に。
あどけない子供が原因とはいえ、最初に父に話してしまったことを後悔しただろう、いや、
私としては母には後悔してほしいと願うが、悲しいかな、うなだれている母の傍から
「丁度良かった」と、父の声なのか母の声なのか、微かに誰かの声が聞こえた気がする。
また、父がなぜ断固として距離を置こうとしたのかを当時の時代背景から考えてみた。
「赤線廃止」から十年も経っていないとすると、もしかしたら至極近所にMママに見覚えのある人がいたかもしれない、もしその人がMママの傍で親しげにしている女性を目にしたら……、
父の激怒を完全に理解することはできないが、窺い知れるところもある。
そして
「あなたは口が軽いから気を付けなさい」と母に言われていたことを思い出した。
完
せんのうた 梶木冴氣 @kajikisaki_57
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