元人間の狼、全力で走る

八百十三

元人間の狼、全力で走る

 走ることが楽しい、と感じるようになったのは、いつからだろうか。


 真っ当な人間だった頃・・・・・・・・・・に感じたことがないのは確かだ。間違いなく、ウルフなってから・・・・・感じるようになった。

 人間の時には出し得ない速度。頬に感じる風が流れていくこと。次々に変わっていく景色。両足の肉球から伝わる地面の感触。鼻腔に否が応でも入り込んでくる空気の匂い。

 新鮮だった。こんなにもわくわくするものなのか、と思った。一日の間にかなり遠方まで足を伸ばすことが出来るのも手伝って、俺は暇な時間には遠駆けを楽しむようになっていた。

 人間的な意味で言えば、馬に乗って行くのが遠駆けなのだろうけど、狼である俺に馬は必要ない。

 時には一人で。時にはパーティーメンバーの誰かを伴って。

 ある日は遠くの町まで。ある日は自然豊かな森や、険しい山まで。

 遠くまで行けるのが楽しかった。行った先で景色を楽しんだり、住んでいる魔物と話したり、人間と話たりするのが楽しかった。

 だから、自然と走ることそのものも楽しく思うようになっていた、と思う。


 最近活動拠点にしているヤコビニ王国、ジャンピエロの町の門を、俺と仲間は朝早くからくぐった。門の外では衛兵たちが、欠伸を噛み殺しながら警備をしている。

 彼らの眠そうな顔に苦笑しながら、俺はゆっくり声をかけた。


「おはようございます、お疲れさまです」


 俺が声をかけるや、衛兵二人がビシッと背中を伸ばした。こちらに向かって敬礼しながら声を張り上げる。そんなに大声を出さなくても、俺達は普通に聞こえると言うのに。


「はっ、おはようございます、魔狼王フェンリル殿!」

「今日もお仕事でございますか、今日はどちらまで?」


 一人の衛兵が問いかけてくるのに、俺は笑顔を見せながら言葉を返した。肩に乗っている雷獣サンダービーストのアンブロースを撫でつつ言う。


「ピコット山に行こうと思っています。なんでも酸弾サソリアシッドスコーピオンが出たらしくて……Xランクがいるとは言え、厄介なので」

「おお、それは何とも」


 俺の言葉に、衛兵が小さく身体を震わせた。

 酸弾サソリアシッドスコーピオンはSランクの魔物の中でも中位に位置し、数が集まりやすいために危険視されている魔物だ。飛ばしてくる酸の弾は岩をも溶かし、おまけにかなりの遠距離から狙いを定めて撃ってくる。

 ピコット山には山の主である、Sランクも凌駕するXランク規格外扱いの神獣が一頭いるが、彼だけでは手に余るというところだろう。だから俺達が出向いて退治するのだ。

 俺の話を聞いた衛兵たちが安堵の息を吐いた。俺の実力も随分人間に知れ渡るようになった。強く、かつ人間に味方することが知れ渡っていれば、俺も動きやすい。


「分かりました、お気をつけて。今回も今日中にお戻りになられますか?」

「たぶん。夜になるかもしれませんが」


 既に分かっていたかのように衛兵が言えば、その問いかけを予期していた俺も頷きを返した。だいたい、俺が出かけて仕事をする場合は日帰りだ。そうでない場合は逆にものすごく長い間いなくなることになるので、それはそれで街の人には言っておかないとならない。

 ともあれ、俺の言葉を聞いた衛兵が安心したように笑う。


「では、夜勤の者にも申し伝えておきます。お気をつけて!」

「ありがとうございます」


 彼らに返事を返しつつ頭を下げて、俺達はジャンピエロの町の門から離れた。今は町の中で過ごすために人間の姿を取っている状況だ。アンブロースもサイズを小さくしている。本来の魔物の姿・・・・・・・に戻るには、場所を取らないとならない。


「門番どももすっかり慣れたようだな」

「そうだよねー、初めてこの町に来た時は槍を突きつけてきたのに」


 俺の隣で、俺と同じくウルフであるリーアがアンブロースの言葉に頷いた。人化していた彼女が両手を地面につけると、そこから一気に身体が膨らんで狼の姿になる。

 アンブロースも同様だ。俺の肩から飛び降りたと思えば、その身体が一気に膨らんで巨大なイタチの姿になった。

 彼女たちを優しく撫でながら、俺は笑う。本当に、初めてこの町に来た時は衛兵に気を使わせてしまったものだ。


「しょうがないだろ、あの時の俺達は顔も知られていなかったし、どこからどう見ても魔物だったんだからな」

「貴様はあの時よりも一層魔物に近づいたと言うのにな、知らないとは恐ろしいものだ」


 アンブロースにそんな軽口を叩かれながら、俺も両手を地面につけた。

 身体全体に力を行き渡らせ、人間の姿という枷を取り払う。瞬時に俺の肉体が魔物のそれに変わり、視線が一気に高くなった。

 四足歩行に適した形になった両手両足の裏で、しっかと地面を掴む。


「言ってやるなよ。じゃ、行くか」

「うんっ!」

「行くとしよう」


 両隣の二頭にそう言いながら、俺達は矢のように飛び出した。

 ピコット山までは距離があるが、その道中もきっと楽しいことだろう。何しろこんなに早く、こんなに力強く、仲間と一緒に走れるのだから。

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