エピローグ:精霊は死神を説得する

 さまざまな会社とそれらが生み出すホムンクルスたちによって支えられているニンゲン国は数多くの精霊に守られています。コロナ組に手ひどく侵略されたあるニンゲン国で、呼吸循環をつかさどる風水の精霊と免疫をつかさどる守護の精霊が切迫した会話を交わしていました。


風水:

「コロナ組の侵略ですでに肺地方がめちゃくちゃだ。多数のハイホウジョウヒ社が海賊船の侵入で破壊されて、残骸をたらふく食ったマクロ駆除会社やデンドリ駆除会社が大興奮していろいろな伝令ホムンクルスを必要以上に送り出している。それに応えて他の警備会社が殺到するわ、ケッカンナイヒ社が水門を緩めてそこら中を水浸しにするわで、海賊船に侵略されてないハイホウまでが詰まり始めた。これじゃあニンゲン国に新鮮な空気が入ってこない。」


守護:

「すまん、肺に入る前に何とかくい止めたかったんだがうまくいかなかった。最初に入ってきた海賊船の数がいかんせん多すぎたし、なぜか初期警報システムがうまく働かなかった。ようやくコータイが出回り始めた頃にはもう海賊船の数が多すぎて手に負えなかったんだ。」



風水:

「もうダメだ、多数の海賊船と伝令ホムンクルスが水路に入って全国のケッカンナイヒ社がおかしくなり始めた。あちこちで水路がダダ漏れになったり、逆にケッセンで塞がれたりしている。水路全体の流れがめちゃくちゃになって資源が届かない地方で会社が次々に倒産している。」


守護:

「もはやこれまでか。まだ建国30年にもならないのに無念だ。」


 精霊たちが輪廻の輪に戻ることを覚悟した時、今までずっと黙っていた卵巣をつかさどる精霊が口を挟みました。彼女は精霊たちの中で唯一、予知の力があり、しかも全てのニンゲン国の運命を操る3人の死神たちと会話することができるのです。


卵巣:

「わたくしが死神様方にこのニンゲン国の運命を変えるようお願いしてみますわ。」


守護:

「しかしコロナ組のせいですでに280万ものニンゲン国が滅んでいるんだぞ。このニンゲン国だけ例外が認められるだろうか?」


卵巣:

「大丈夫、説得できるだけの材料があります。死神様方はニンゲン国にしか力を及ぼせませんからコロナ組を直接どうこうすることはできませんが、そのあたりはなんとでもなるでしょう。」


* * * 


守護:

「お、卵巣の奴は本当に死神連中を説得したらしいぞ。時間が戻っている。風水、そっちの様子はどうだ?」


風水:

「今、すごい数のコロナ組の海賊船が入ってきて、鼻腔地方にある多数のキドウジョウヒ社に侵入したぞ。10時間後にはおよそ1000倍の数が船出するはずだ。これじゃ前回と同じじゃないか。運命が変わったんじゃなかったのか?」


守護:

「落ち着け、運命は変わっている。コロナ組のスパイクだけが過去2回、大量に体内に入ってきたおかげでこちらの準備は万端だ。」


風水:

「なんだと?そんな話はキドウジョウヒ社からも、空気ダクト周辺のマクロ駆除会社やデンドリ駆除会社からも聞いとらんが。」


守護:

「左上腕地方のキンニク社がたくさんいるあたりにいきなり出現したのさ。『わくちん』とか呼ばれてるらしい。とにかく、そのおかげでスパイクを敵認定する多数のメモリーT支社とメモリーB支社がすでに全国のリンパ村を巡礼して回っているし、ハイホウジョウヒ社のいるあたりにはスパイクにくっつくコータイがすでにいくらかいる。」


* 


風水:

「今、最初の船出がピークに達したぞ。倒産したキドウジョウヒ社の残骸を海賊船ごと食ったデンドリ駆除会社がリンパ村に向かった。それに、そのデンドリ駆除会社の外側にかなりの数の海賊船が付着してそのまま一緒にリンパ村に連れて行かれた。」


守護:

「よし、デンドリ駆除会社がいろいろ持ってきてくれたおかげでリンパ村のメモリーT支社とメモリーB支社が目覚めた。もうB支社が子会社を作り始めたからすぐにスパイクにくっつく大量のコータイがニンゲン国の水路に出回って肺地方にも流入するはずだ。」


* 


風水:

「いやはや、多少の海賊船が肺地方に入ってしまったものの、ダメージを起こす前に抑え込まれた。もうこの国は大丈夫だ。」


守護:

「今回の侵入でメモリーT支社とメモリーB支社とプラズマ支社がまた新たに出来たから当分はコロナ組への備えはバッチリだ。ただ、そうだな、コロナ組の印刷師が聖書ゲノムの複製間違いをして、スパイクの仕様が変わって、今あるコータイがくっつけないようになっちまったらまた問題が起こる恐れはあるが。」


 こうして、やり直しの機会をもらって危機を脱したニンゲン国を、精霊たちはその後も見守り続けました。


* * *


 さて、多数のニンゲン国を支える地球の中心には地獄があり、老衰死担当の死神、病死担当の死神、事故死担当の死神が熱いマグマ茶を飲みながらおしゃべりを楽しんでいます。


老衰死神:

「で、結局この人間はワシの担当になったわけじゃな。70年ほど寿命が伸びたわけか。それにしても病死神よ、よく自分の取り分を手放す気になったの。」


病死神:

「卵巣の精霊がリアルな予知夢を見せてくれたからな。その人間が持っている卵母細胞のひとつは5年後に卵子になって受精する運命にあるんだが、そいつの3代後の子孫が地球に接近する隕石の画期的な観測法を発明するんだ。そのシステムは改良を重ねながら存続し、今から567年後に地球の衝突コースに入る巨大隕石の早期発見をもたらす。そして地球防衛軍が隕石の軌道を変えるのに成功して人類は救われるのさ。」


老衰死神:

「確かに人類が滅亡したらワシらも終わりじゃからのう。それで事故死神がうまいこと転生を仕組んだわけじゃな。」


事故死神:

「転生ってのは普通は大型トラックに轢かれないとできないんだけど、人類の存続がかかってるっていうから張り切ったのよ。新型コロナウイルスワクチンが早めに承認されたパラレルワールドを作るところからやったから結構大変だったわよ。」


老衰死神:

「その人間、看護師じゃったか、そいつが感染した日に欠勤させれば簡単だったんじゃないのか?たしか、急性アルコール中毒で病院に担ぎ込まれた無症状感染者が錯乱してふりまわした手が顔に当たってマスクがずれた瞬間に盛大なくしゃみを浴びた、とかじゃろ?」


病死神:

「まあね、でもせっかくだから対照実験ってのをやってみたかったのさ。当面の危機は回避できたんだからいいじゃないか。」



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(解説:読み飛ばして下さって構いません)


 新型コロナウイルスによる公式の死者数は2021年3月23日の時点で、約285万人となっています(参考文献1)。ただし、不自然に低い死者数を報告している国がいくつかあるため、それらの国に関して、報告されたコロナによる死者数の代わりに超過死亡率を用いて計算すると、3月23日時点で推定319万人となります(参考文献2)。


 新型コロナウイルスは鼻や口から侵入し、しばらくの間上部気道で増殖しますが、次第に気管伝いに肺に至ります。ほとんどの場合は肺の感染がひどくなる前に免疫反応によってウイルスが排除されますが、ウイルス増殖がうまく抑えられないと、ウイルスによる傷害に加えて、免疫機構の暴走による傷害が始まることがあります。サイトカインストームと呼ばれるこの現象は新型コロナウイルスに特有なわけではなく、重篤なインフルエンザウイルスの感染などでも起こります。


 気管支の行き止まりには肺胞という小さな袋が3億個ほどあり、その外側を囲む毛細血管との間で酸素と二酸化炭素が交換されます。肺胞を作っている上皮細胞がコロナウイルス感染によって死ねば肺胞は潰れます。肺胞上皮細胞の残骸を摂取したマクロファージ(”マクロ駆除会社”)や樹状細胞(”デンドリ駆除会社”)が炎症性サイトカイン(サイトカインのうち、免疫反応を促進する方向に働くものの総称、”伝令ホムンクルス”)を過剰に出すと、必要以上に多数の好中球(食作用がある免疫細胞です)が肺胞に侵入します。炎症時には血管内皮細胞の透過性が上がって血管から水分が滲み出てきますが、それが過剰になると肺胞が水浸しになります。このような状態が広域に広がって、使える肺胞が少なくなれば呼吸困難が起きます。


 さらに、多量の炎症性サイトカインが血液中に放出されれば炎症反応は全身に広がります。血管内皮細胞にはACE2(スパイクが結合して感染の足掛かりとなるタンパク質分子)が発現しているので、血中に新型コロナウイルスが入れば、あちこちで血管内皮細胞の機能障害が起こり、血栓ができ始めます。血流が阻害されるといろいろな組織が酸素の不足や老廃物が溜まることによって壊死します。重症者の直接の死因の多くは敗血症によって起きる多臓器不全です。


 重症者の多くは高齢の方々です。高齢になるにつれて免疫機能が下がったり(例えば、胸腺の縮小に伴いT細胞受容体の多様性が減る)、他の疾患、特に血管系の疾患を持つことが多いからだろうと考えられています。しかし、全ての高齢者が重症化するわけではありませんし、全ての若者が無症状で回復するわけではありません。年齢以外にも、感染者の側、あるいはウイルスの側に、予後を左右する要因があると考えられています。例えば、獲得免疫が発動する前にウイルス感染を抑える自然免疫システムの1つに1型インターフェロン(“初期警報システム”)があります。重症化する患者は遺伝的な要因や自己免疫疾患のために1型インターフェロンがうまく働かないという報告があります。獲得免疫に関しては、例えばコロナ由来のペプチドをあまりうまく提示できないMHC分子しか持っていなければコロナ特異的なT細胞をうまく活性化できず不利になると考えられます。ウイルス側の要因としては、最初に多量のウイルスを吸い込んだり、感染効率の高い変異ウイルスに感染すれば、重症化する確率が高まります。


 さまざまな不利な条件の下でも、ワクチン接種によってスパイクに反応するT細胞とB細胞のクローンがあらかじめ選ばれて増殖していれば、多量の抗体が素早く産生されるので、ウイルスとの競争に勝つ確率が増します。ただし、”守護の精霊”の最後のセリフにあるように、スパイクの構造が変わってしてしまうと、抗体の効果が弱まる可能性があります。幸いなことに、RNAワクチンのデザインを変えるのは技術的に極めて容易です。モデルナ社はすでに南アフリカで発生したスパイク変異株を元にしたRNAワクチンを製作済みで、近い将来、米国政府機関をスポンサーとした臨床試験が始まるようです。


(参考文献)

1. 新型コロナウイルス感染の現状(https://graphics.reuters.com/world-coronavirus-tracker-and-maps/ja/)

2. COVID-19 Projections(https://covid19.healthdata.org/global?view=total-deaths&tab=trend)

3. The first 12 months of COVID-19: a timeline of immunological insights (https://www.nature.com/articles/s41577-021-00522-1)

4. Causes of death and comorbidities in hospitalized patients with COVID-19 (https://www.nature.com/articles/s41598-021-82862-5)

5. Inborn errors of type I IFN immunity in patients with life-threatening COVID-19 (https://science.sciencemag.org/content/370/6515/eabd4570)

6. Autoantibodies against type I IFNs in patients with life-threatening COVID-19 (https://science.sciencemag.org/content/370/6515/eabd4585)

7. SARS-CoV-2 (COVID-19) by the numbers (https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7224694/

8. Cytokine Storm (https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMra2026131)

9. Adaptive immunity to SARS-CoV-2 and COVID-19 (https://www.cell.com/cell/pdf/S0092-8674(21)00007-6.pdf)

10. HLA, Immune Response, and Susceptibility to COVID-19 (https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fimmu.2020.601886/full)

11. Moderna to begin clinical trials of Covid booster shots for variant from South Africa, sends to NIH for study (https://www.cnbc.com/2021/02/24/moderna-covid-vaccine-booster-shots-south-africa-variant-trials.html)

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