死んだ魚の眼をした君へ贈る言葉

メラミ

頑張りたくない、頑張れない。でも頑張れたじゃん。

 今日は毎年恒例のマラソン大会がある日だ。

 ある日、学校行事であるマラソン大会での出来事。

 僕は友人のヨリトとマラソン大会に参加することになっていた。

 全校生徒の中でも、学年選抜で運動神経の良い上位の者たちだけが集められたイベントだった。


「走るの面倒くさいよなぁ……」

「うん、そうだね。走るだけだもんね」


 僕もヨリトもそこそこ運動神経が良かったから走らされることになり、ヨリトのやる気のなさに僕もつられそうになってしまう。でも完走しなければならない。

 棄権はクラス中で評判が悪くなりそうだし、逃げ出したら恥をかくかもしれない。

 そんな不安をよそに、僕とヨリトの先生は、やる気を出させるある魔法の言葉を言ったのであった。


「マラソンで大切なことは一つだけ。完走することだけだ。だけど完走を目標にしないで走ろう。完走を目標にしてしまうと、ハードルが高いと感じる者もいるだろう。完走なんて楽勝だと思っている者もいるだろう。完走がゴールだと思っちゃいけないんだ。何故だかわかるか?」


 先生の言ってる言葉は、当たり前のようなことだけど、その当たり前が苦痛になることはある……と僕は思っていた。

 僕はヨリトがなんだか元気がなさそうだったので、一言声をかけようとしたのだが……彼の眼は本当に走りたくなさそうな眼をしていた。例えるなら死んだ魚の眼をしていた。


「ジュン、先生の言ってる意味わかるか? 俺には理解できないよ」

「そうなの?」

「マラソンなんて、ただ走るだけだし、ゴールしたらそれで終わりだろ? そうじゃねぇの?」

「うん、そうだけど……」


 マラソンは完走がゴールだと思っている人が大半だろう。僕はせっかくクラスの代表に選ばれたのだから、走れることが嬉しいと感じていた。だけど隣でマラソン大会の説明を聞いていたヨリトは、本当にこの場にいるのが辛そうだった。

 マラソン大会は学校の外周を25周回ることになっている。街頭に保護者や学年別に並んで声援が送られるというもので、ヨリトはそれを嫌っているそうだった。


「ビリにも拍手送られるとか、絶対やだ」

「じゃあビリにならなきゃいいんじゃないの?」

「1位がいたらビリがいるのは当たり前だろ? マラソン大会で嫌なのは、ビリにも完走した時に拍手が送られることなんだよ」

「ふーん……だったらゴールしなきゃいいじゃん」


 僕は思ってもみない言葉を口にしてしまった。「え?」とヨリトは眼を丸くして僕の顔を見た。ヨリトはやっとマラソンの走る意味を考えてくれた。

 僕もビリにはなりたくなかった。でも少し負けず嫌いなところもあるから、ヨリトに向かって「いっそのこと走るのをやめちゃえばいい」と強く言い返してしまった。


「そこの二人、先生の話聞いてるか?」

「「は、はい」」


 先生に注意されてしまった。さっき先生は何て話をしていたんだっけ……と沈黙を貫いていたのだが、僕は質問を受ける羽目になった。

 先生は完走を目標にしない理由を訊いてきた。僕は考えがまとまらないうちに声を漏らしてしまう。


「えっと……完走がゴールじゃないのは、走ったあとの……ええと……」

「わからないなら、走りながら考えてみるといい」


 先生はそう言って、僕は皆の前で立たされて答えられなかったことを、少し恥ずかしく思った。隣に座っていたヨリトは残念だったなと僕を笑った。


 スタート位置に、選抜メンバーが横に並んだ。僕とヨリトも勿論そこに立っていた。


「位置について……よーい――っ!」


 先生の副担任がピストルを掲げて、鳴らした。皆一斉に走り始めた。

 最初はペースをあまり早めずに、ゆっくり焦らずに走ると決めた。

 ヨリトも並んで走っており、僕に近づいてきて話しかけてきた。


「お前、ビリになっちゃうんじゃねぇの?」

「そ、そんなことないよ!」

「じゃあ、お先に〜」


 走りながら僕はやる気のなかったヨリトが、本気を出してきたのかと内心焦っていた。そんなことないだろう。いや、僕がヨリトにあんなことを言ってしまったから、ヨリトの眼は光っていたんだと思った。それに走る意味って何だっけ……と考えながら走っていた僕は、いつの間にか最下位の集団に紛れ込んでいた。


(あー、やばいなぁ……。ペース崩れてきちゃったかも……)


 そういえばヨリトは「ビリに拍手が送られるのが嫌いだ」って言っていたなぁ……とさっきの会話を思い出しながら、僕は走り続けていた。

 僕は完走がゴールじゃないと言った先生のその言葉が、逆にビリになった人への励ましのようにも思えてきた。


(ヨリトは拍手を嫌っている……完走がゴールじゃない……)


 ラスト1周目に入った。僕はヨリトに何とか追いついた。ただ走っているだけなのに、1位になるために必死になる生徒も中にはいた。僕は並走するヨリトに声をかけてみた。ヨリトは特に1位も目指しているわけではなさそうだった。ただ走ってゴールを目指すということだけを考えているのだけれど、ゴールを目指すっていう話だけじゃなかった。このマラソン大会には何か別の目的があると……僕はこのとき思ったのだ。


「ただ走ってるだけなのに、なんか気分良さそうじゃん」

「べ、別に? そんなの気のせいだろ」

「僕先生の言った意味わかった気がする」

「ふーん……あっそ」


 結局、僕は頑張って走り続け、ビリは回避した。ヨリトもビリにはならずにすんだ。

 走り終えた二人は、息を切らして校庭の地べたに座り込んで、スポーツドリンクを飲んで休んでいた。

 ヨリトはビリになった生徒がゴールした姿を見た。ゴールした直後拍手をしようとした生徒に先生は首を横に振って静止していた。

 その様子を僕とヨリトは遠目に見ていた。


「あれ? 拍手させなかったよ、今見た?」


 僕はヨリトにそう言うと、ヨリトは「そうだな」と言って先生の姿に呆気にとられている様子だった。僕も不思議そうに先生の姿を見ていた。するとヨリトが僕にこう言ってきた。


「俺、他人に頑張れーとかおめでとうって言われるのが、なんか面倒くせぇなって思ってたんだよ。でもわざわざ拍手させなかった先生のこと思ったら、何でおめでとうも言わせてくれないのって思うじゃん? けど俺さ、走りきってもさぁ、これがゴールじゃなかったってことをさ、先生は伝えたかったんだよな……ってことはさ、なんて言われても嬉しくねぇよなぁー」


「そうそれ、走る前に先生が言ってたことだよ。それに僕もビリは回避できたけど、ただ走って走り続けた先のゴールがゴールじゃないなんて言われたらさ、普通やる気無くすよね。でも先生は「完走を目標にしないで走れ」って言ったんだよ。それが頭の中で引っかかっててさ……。でも走り終わったらさ、なんか頭スッキリして、もっと走れるかも、走ってみようかなって思えたんだよね」


 全員が走り終えると、先生は皆を集合させた。ビリになった生徒も勿論この中にいる。だけど、先生はわざわざその生徒を名指しすることもなく、マラソン大会のやる意味を語り出した。


「みんな、よく走りきった。おめでとう、そしてお疲れさま。走ったあとの気分はどう? マラソンは競技でもあるが、ここでの大会はみんなが一緒になって走り、完走をすることが目的だった。でも完走はゴールではない。つまり走り続けたらいいことあるよぐらいの感覚で走ってくれれば先生はそれでよかった。みんなが体調も崩さずに一生懸命走ってくれて、先生はすごく嬉しかった……」


 先生はそう言うと、なぜか鼻をすすりながら涙ぐんでいた。感極まったということだろうか。僕は熱い先生がいてくれてちょっとだけ気が引いてしまった。けれども、学校行事のマラソン大会は、みんなが楽しめればそれでいいじゃないか……ってことを考えながら、僕はヨリトにこう話した。


「ヨリト、走る前は顔色良くなかったのに、今目の前で先生泣きそうになってるの見てどう思った?」

「ん? 悪くないって思った」


 マラソン大会は怪我人も出さず、無事終了した。

 僕は応援に来てくれたお母さんとお父さんと合流し、一緒に帰った。

 その時お母さんから思いがけない一言を聞いた。

 僕のクラスの担任は保護者の間でも評判がいいということだった。

 走ったあとの生徒同士の交流も先生はちゃんと見ていてくれたって他の生徒のお母さんから聞いたそうだ。

 僕はヨリトの機嫌が直って嬉しかったし、いい先生に巡り会えたんだな……と思いながら、ゆっくりと両親と歩いて帰宅の途についた。

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