あたし、ヒーローになりたいんです

澤田慎梧

あたし、ヒーローになりたいんです

紗良羅さららちゃん、少しオーバーワークじゃない? 成長期なんだから、あんまり体をイジメ過ぎたら逆効果だよ」

「大丈夫ですよ先輩! あとダッシュ五本やったら終わるんで!」


 言うや否や、紗良羅ちゃんはお手本にしたいほど奇麗なクラウチングスタートの姿勢を取り、コーチの笛の音に合わせて駆け出していった。

 小柄な体からは想像もできない伸びやかなストライドで、あっという間に加速していく。相変わらず、惚れ惚れする走りっぷりだった。


 紗良羅ちゃんは陸上部の後輩で、まだ中学一年生だ。中々の美少女なんだけど、髪はベリーショート、身体の方は陸上に特化する為に余計なお肉が付いていなくて、ぱっと見だと美少年に見えなくもない。

 一年生ながら、一部の競技では既に私たち上級生を追い越して、部内でも上位の記録をたたき出している。それもそのはずで、紗良羅ちゃんはコーチの実の娘で、幼い頃から陸上の英才教育を受けているのだ。


 将来的には「女子七種競技」の選手になりたい、とは本人の談。

 中学生はまだ七種競技の大会には出られないのに、今から各競技のトレーニングに余念がなかった。

 正直、私から見ても彼女のトレーニングメニューはきつめだ。同じことをやれと言われたら、私なら途中で挫けてしまうと思う。


 けれども、紗良羅ちゃんは挫けるどころかいつも楽しそうなのだ。周りががワクワクしてくるような、気持ちの良い表情で気持ちの良い走りを見せてくれる。

 何故、彼女は厳しいトレーニングを、あんな素敵な表情でこなすことができるのか? 私は一度だけ、そのことを彼女に尋ねてみたことがあった。

 すると紗良羅ちゃんからは、とっても意外な答えが返って来た。


『あたし……ヒーローになりたいんです!』


   ***


「ヒーロー?」

「はい、ヒーローです!」


 お日様のような笑顔で、そう答える紗良羅ちゃん。けれども私は、彼女の言っている意味が分からず、思わず首を傾げてしまった。


「ヒーローって……あの、日曜の朝に怪人と戦ってるようなやつ? それとも、ハリウッド映画のなんとかズみたいなやつ?」

「アハハ~、そっちも大好きですけど……あたしがなりたいのは、『本物のヒーロー』なんです!」

「本物の……ヒーロー?」


 紗良羅ちゃんは両手をグッと握りながら力説してくれたけど、私はますます分からなくなってしまった。

 「本物のヒーロー」とは、一体なんだろうか?

 すると、私が不思議そうな顔をしていることに気付いたのか、紗良羅ちゃんは「アハハ」とちょっとだけ苦笑いしながら、口を開いた。


「――先輩は、十年前の地震のこと、覚えてます?」

「十年前の地震? う~ん、少しだけなら覚えてるけど」


 十年前、日本を襲った大地震は、私の住むこの街にも大きな被害をもたらしていた。

 と言っても、当時私はまだ四歳くらいだ。そこまではっきりとは覚えていない。ただ、私の家の周囲でも、がけ崩れや液状化現象、家屋の倒壊なんかが起こって、とっても騒がしかったことはよく覚えている。


「ですよね~。あたしもまだ小っちゃかったから、殆ど覚えてないんですよ。でも、一つだけはっきり覚えてることがあるんです!」

「……もしかして、それが『ヒーロー』のこと?」

「はい!」


 その笑顔をますます輝かせながら、紗良羅ちゃんは話してくれた。十年前の「ヒーロー」のことを。


 当時、紗良羅ちゃんたち一家は、震源近くの海沿いの街に住んでいたのだそうだ。

 大地震の当初は、街にはまだ大きな被害は出ていなくて、近所には「大きな揺れだったねー」等と呑気に世間話に興じる人までいたらしい。

 ――けれども、そこを大津波が襲った。避難していなかった人々、低地の避難所にいた人々はたちまちパニックになった。


「あたしも保育園のみんなと高台に避難している途中でした。でも、真っ黒い水が迫って来て、みんながパニックになって、いつの間にかお友達や先生たちとはぐれてしまったんです。――その時でした!」

「『ヒーロー』が助けてくれたの?」

「はいっ!」


 その時、先生たちとはぐれて泣いていた紗良羅ちゃんを担ぎあげて、迫る津波から助けてくれたヒーローが現れたのだという。

 ヒーローはそのまま、紗良羅ちゃんを抱えているとは思えないスピードで津波から逃げ始めた。紗良羅ちゃんいわく、「風になったみたいだった」そうだ。

 アスファルトを駆け、倒れた看板を飛び越え、階段を何段も飛ばして、ヒーローは走り続けた。


 でも、津波の勢いはすさまじく、紗良羅ちゃんとヒーローの行く手を阻んだ。

 真っ黒な濁流は先回りするかのように幾つかの道を塞ぎ、高台へ続く道は次々に通れなくなっていった。そして二人は、高い擁壁の前まで追い詰められてしまったらしい。垂直に近くツルツルした、昇るのは難しそうな壁だったという。

 ――迫る濁流、目の前には高い壁。まさしく絶体絶命のピンチだ。


「そしたらその時、擁壁の上から『紗良羅ちゃーん!』って、あたしを呼ぶ声がしたんです。保育園の先生たちでした。あたしがいないのに気付いて、探してくれてたんですね。それを見たヒーローさんは、助走をつけて壁に向かって飛び上がると、! こう、砲丸投げみたいに!」

「……ええっ!?」


 それはおそらく、一か八かの賭けだったのだろう。ヒーローはできるだけの高さを稼いで、擁壁の上にいる先生たちに向かって小さな紗良羅ちゃんを投げたのだ。

 その賭けの結果は言うまでもないだろう。今ここに紗良羅ちゃんが元気でいることが、何よりの答えだ。


「その後のことは覚えてません。あたしは無事に先生たちに受け止めてもらえたんですが、そこで気を失っちゃって……」

「……ヒーローの人は?」


 私の愚かな問いに、紗良羅ちゃんは笑顔を曇らせて静かに首を横に振った。


「実は、顔もよく覚えていないんです。先生たちに聞こうにも、お互い避難生活で全然会えなくなっちゃって……。でもあの人、何度か私の名前を呼んでいたから、きっと近所に住んでいた誰かだったんだと思います」

「そっかぁ……。じゃあ、紗良羅ちゃんが一生懸命トレーニングするのって」

「はい! あの人みたいに、いざという時に誰かを助けられる『ヒーロー』になりたいからです!」


 今度は曇りない笑顔を浮かべ、そう宣言する紗良羅ちゃんの姿は、同性の私から見てもとても魅力的だった。


   ***


 ――「ヒーローになりたい」という紗良羅ちゃんの夢は尊いものだ。私も応援したい。

 でも、成長期の身体にオーバーワークで負荷をかけすぎて、怪我でもしたら元も子もない。


「コーチ。紗良羅ちゃん、ちょっと頑張り過ぎじゃないでしょうか?」

「うん、丁度俺もそう思っていたところだ。ぼちぼち自制させないとな」


 ダッシュ五本を終え整理運動に移った紗良羅ちゃんを遠巻きに見守りながら、コーチが頷く。なんだ、私なんかが心配するまでもなく、ちゃんと見ていたらしい。

 まあ、当たり前か。コーチで父親なんだから。


「あ、そう言えば。前に紗良羅ちゃんから聞いたんですが、彼女『ヒーロー』になりたいらしいですね」


 私はでしゃばってしまった恥ずかしさをごまかす為に、何の気なしにコーチに雑談を持ちかけた。

 すると――。


「紗良羅のやつ、君にまでそんな話をしているのか……。まいったな、流石に恥ずかしいぞ」

「ええ? いいお話じゃないですか。身を挺して自分を助けてくれた人に憧れてヒーローを目指す! なんて」


 紗良羅ちゃんの夢を「恥ずかしい」と言われて少しカチンときてしまったのか、思わずコーチに食って掛かるような言い方をしてしまう。

 けれどもコーチは、そんな私に苦笑いを返して、こう言った。


「紗良羅を助けたって言うヒーローが本物だったなら、問題はないんだけどな」

「……どういう意味ですか?」

「紗良羅を助けた奴はな、ヒーローなんかじゃないのさ。紗良羅を肩に担いで、泣き叫びながら街中をあてずっぽうに逃げ惑って、津波に追い付かれそうになった間抜けなんだ。紗良羅の話に『昇れない程の高い壁』ってのが出てきたと思うが、それも事実じゃないんだよ。実際には、大人ならよじ登れる程度の擁壁だったんだ。三歳児の記憶違いってやつだな」


 ポリポリと頬をかきながら話すコーチの言葉に、思わず声を失う。

 つまり、紗良羅ちゃんの思い出は美化されていた……?


「じゃあじゃあ! 紗良羅ちゃんを助けた人は、その後どうなったんですか?」

「ん? もちろん無事だよ。壁の上にいた先生方に紗良羅を引っ張り上げてもらった後、自分も助けられてな。間一髪だったけど。……全く、あの時はヒヤヒヤもんだったよ。あっ、この話は紗良羅には内緒な?」


 そう言ってコーチは――紗良羅ちゃんの「ヒーロー」は、恥ずかしそうな笑顔を浮かべた。



(了)

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