ステゴロ勇者

「ひっ!」


 全く、逃げようって言ったのはお前だろうが。何腰抜かしてんだよ。

 俺は女の子のお人好し故の間抜けさに呆れつつも声を掛ける。


「そこにいろ、俺一人で十分だから」


 掛けてから狼の方へ向き直り、分析する。

 ……血に濡れた乱杭歯ブラッディファングって言ってたか。聞いたことがない名前だが、確かに的を得てるな。

 木々のざわめきが収まり、代わりに姿を現してこちらを睨み付ける狼の姿に、ついそんなことを考える。

 魔王ほどではないものの、その体躯は狼と呼ぶにはあまりにも巨大で屈強だった。

 人一人を丸呑みに出来そうなくらいの大顎には異常に湾曲した刃のような歯が生え揃い、一本一本がその辺の剣なんかよりもよっぽど凶悪だ。犬歯ってよりかは、ってところか。


「グルル……」


 そして、最も脅威になるのはその膂力だろう。

 自分の歯茎に穴が開いて血が滴るほどの顎の力。そして歯の強度に目が行きがちだが、立っているだけで大地に亀裂を入れるほどの力強さを持った前足から生み出される威力も計り知れない。今にも物凄い速度で突進してきそうだ。

 一挙手一投足。その場にいる生き物すべての呼吸ひとつすら感じとるように周囲の緊張は高まっていき、心なしか体が重くなっていくかのような感覚に襲われる。


「グル……」

「……」


 狼が姿勢を低くするのに合わせて俺も腰を落として構え、聖剣のつかに手を掛ける。

 久々の戦闘だが、錆びついてねえだろうな、相棒。

 内心で聖剣に呼びかけるも、当然の如く返事はない。代わりに、高々と響いた地面を蹴る音によって戦いの幕が切って落とされる。


「……ガウッ!」

「……っ!」


 狼は地面を蹴る音を置き去りに、その巨体からは想像できないほどの速度でこちらに向かって突進する。アホくさいほどの速度だが、その分こっちの攻撃の威力も増すはずだ。軽く躱して反撃をお見舞いしてやる。

 狼に認識できない速さで抜刀するべく、神経を聖剣と目の前の狼に集中させる。

 周囲の時間が緩慢になり、俺の聖剣が狼の喉笛を切り裂き相手が斃れる未来までが鮮明に脳裏に描き出される。そして、俺はその未来を一寸の狂いもなく一直線に辿るべく、ゆっくりと流れる時間の中で体全体に指令を出す。後は体に染み込んだ剣術が勝手に敵を葬るのを待つだけだった。


「……なっ!」


 しかし、狼は突如として俺の目の前から姿を消す。

 元々狼がいた場所は、奴が地面を蹴った衝撃で巨大な窪みと化し、そちらに目を取られている間に背後に回り込まれてしまう。

 ……いくらなんでも速過ぎだろ。速さだけなら魔王以上か?

とっさに構えを解きつつ聖剣を振り抜いて振り返るも、背後を向いた時にはすでに狼の姿はなかった。見えるのは地面を蹴った後に残る砂埃だけ。ここまでの速さだと視認することもむずかしい。だが。


「生憎、誰かさんのせいで魔力を追うのは得意なんだ。そんな派手な魔力撒き散らしてるのが運の尽きだったな」


 狼の纏う赤黒い魔力は、たとえ目を瞑っていても一発で判別できる。薄闇の中であっても俺に見失う要素はない。

 狼は俺を翻弄するように地を蹴り、木々を蹴って飛び回りながらもその輪をだんだんと狭めていく。

 複雑な動きだが、魔力を垂れ流しながらじゃ世話ねえってやつだ。意識を聖剣に集中させ、再び腰を落として剣技の予備動作に入る。


 ……来る。


 狼は高速で周囲を走り続けていたが、ふと、その魔力の痕跡が直線を描き出し、それはだんだんとこちらへ向かいはじめる。そして、ついには剣が届く間合いになり、


「ガウッ!」


 鳴き声と共に狼は大顎を開けて突進し、それと同時、俺は聖剣を思い切り一文字に振り抜く。

「てめえの動きなんざバレバレなんだよ! 金剛斬ダイアモンドスラッシュ!」


金剛斬ダイアモンドスラッシュ。体が硬いデカブツには効果覿面の大技だ。限界まで力をためる必要があるため動きの速い相手に使うのは単なる体力の無駄遣いだが、じわじわと機を伺う慎重派に一撃でかいのをお見舞いするにはもってこいだ。

 剣技が発動するのと同時に聖剣に聖なる力が宿り、俺は狼の無駄にでかい首を勢いよく跳ね飛ばす


「うおっ!?」


……はずだった。しかし、感じたのは首を切り飛ばす感覚ではなく、体全体を包み込む浮遊感。そして、聖剣から腕の付け根までをビリビリと伝う痺れるような振動。狼の巨体に吹っ飛ばされて背後の大木に叩きつけられる痛み。


「ぐあっ!」


 俺の聖剣は狼の首を跳ね飛ばすことはなく、その額に浅い切れ込みを入れただけだった。

 俺は混乱しつつも背後の木の幹を支えに立ち上がり、現状を分析する。

 ……まさか、聖剣が機能しない? 腕が鈍ったか、あるいは。

 魔術も体術もあまり得意じゃない俺を魔王と互角に戦うことができるまで成長させた聖剣がその機能を失ったことに漠然とした不安感を覚えるも、それと一緒くたにするように額の汗を拭い、打開策に考えを巡らせる。


 聖剣が機能しないなら、魔術で代用するしかないか。

 痛む脇腹を抑えつつ立ち上がり、聖剣の柄に刻まれた刻印に魔力を集中させ、その魔力は幾何学模様の刻印を伝っていく過程で熱になり、赤赤と燃える光を発して刀身まで伝っていき


「炎付与(エンチャントファイア)!」

 術名を叫ぶのと同時に聖剣があたりの空気を歪めるほどの熱と魔力を伴って燃え上がる。

いざって時のために覚えておいた刻印魔術だ。これなら魔力量が多い割に魔術が苦手な俺だって陣も詠唱も触媒も使わずに魔術を行使できる……はずだった。


「な……っ!」


しかし、俺は再び訪れた想定外の出来事に舌を巻く。聖剣を伝っていった炎は切っ先に届いた先からその効果を発揮することなく、火の粉となって霧散していった。

 慌てて魔力の供給を断ち、心なしかほくそ笑んでいるようにたたずむ狼を睨み付ける。


聖剣どころか、魔術まで使えない? いったい、何が起こって……。


「……あいつ、走り回ってる間に広場全体に抗魔陣アンチマジックフィールドを展開していたの。高速移動をかけて逃げようとしたときに気づいたけど……」


 いつも通りの戦闘ができないことに混乱しそうになるが、現状を伝える女の子の声に踏みとどまる。

 そうだ、俺は一人じゃない。借りを返さないといけない相手が、守らないといけない女の子がいるんだった。

 じりじりと距離を詰めてくる狼と睨み合いながらも、俺は焦りを抑えて現状を打破すべく頭を回転させる。

 抗魔陣か。確か、魔力陣で周囲を覆うことで一定範囲内に自分以外の魔術が使えない空間を形成する陣魔術。だったか。厄介どころの騒ぎじゃないな。範囲内から出ようにも、広場の入り口の方向には狼が陣取ってやがる。そして、その反対は崖。この犬ころ、これを狙って……。

 魔力を垂れ流して派手に走り回ってたのは翻弄するためだけじゃなく、魔力陣を構築するためか。完全に掌の上で踊らされたな。体術もこのデカさの相手に通用するかどうか……。


「……もう、いいよ」


 内心で歯噛みしつつさらなる打開策を模索していると、ふと、泣きそうに震えたか弱い女の子の声が鼓膜を揺らす。


「……もう、いいよ。君はよく頑張ったよ。血に濡れた乱杭歯(ブラッディファング)相手によく戦ったよ。だから、町まで一緒ににげようよ」

「俺が逃げたら、誰がお前を守るんだよ」

「……え?」

「それに、高速移動も使えないんじゃ逃げようにも逃げれないだろ。文字通り犬死にするだけだ」

「そ、そうだけど……っ!」


 不安になる気持ちはわかる。であったばかりで俺のことが信用できないのも、もちろんわかる。だが、俺は勇者。聖剣が使えなくても、誰もが勇者と認めなくてもそれは変わらない。


「安心しろ、手はある」

「な、何言って……」


 そう、手はある。いや、手がある。

 聖剣が使えなくても、俺には拳がある。このデカさの相手に体術で痛痒を与えるなんてほぼ不可能だが、魔力を全部ぶつける勢いで殴り合えば、負ける通理はない。


「……」


俺は拳に、身体中に魔力を滾らせて狼と向かい合い、一歩一歩と近づいて見せる。


「よくここまで追い詰めてくれたじゃねえか。さっきからぴょんぴょん跳ね回りやがってよお」


久しぶりに胸躍る戦闘だ。魔王と戦ってたときには戦いの楽しさなんて考えてる余裕なんかなかったからな。悪いが、ここでてめえは脱落だ、犬ころ。


「す、すごい魔力……。君は、一体……?」

「へっ、犬ころよお。言葉は通じねえみてえだが、俺らには関係ねえよなあ。全力でぶつかり合った仲だ。語り合おうぜ、拳でな!」

「グルル……」


 俺が一歩踏み出すごとに狼は一歩後ずさる。そして、


「……ガアァァ!」


 意を決したような狼の泣き声を合図にお互い地を蹴って接近する。狼は大顎を開いて魔力を込め、俺は拳に魔力を集中させて振りかぶる。そして、


「おらあぁぁ!」


 俺の拳と燃え上がる狼の大顎とが交錯し、森全体に巨大な衝撃が突き抜けていった。

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Fラン勇者 〜決戦の百年後に封印から目覚めた勇者はFランク冒険者として再び魔王に牙を剝く〜 白間黒 @dodododon2

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