夏の空に叫ぶ

どこかのサトウ

夏の空に叫ぶ

 井口静菜が転校した。数ヶ月という短い間だったけれど、誰に対しても気軽に接し、笑顔を向けてくれる優しい女の子だった。

 男子全員の癒しであり憧れ——高嶺の花という言葉がぴったりで、遠い存在のように眺めるだけであった。

 彼女のことが気になる。でもきっと相手にされないだろうなと俊太は思っている。

 理由は簡単だ。竹下隆二という学校で一番モテる奴がいる。そんな彼ですら彼女の対応は自分と同じだった。遠目で何度も何度もそれを見ていた。

「そういえば、竹下の奴はどうしたんだよ? 学校来た?」

「井口さんが転校する日なのに無断欠席とか、誰か連絡取れた人いる?」

「あいつ、今日井口に告白するって言ってたんだけどな」

「本当にどうしたんだろう……」

 周囲は二人をくっつけたいのか、よくお似合いだと捲し立てた。

 困っているようには見えず、嫌がる素振りも一切なかった。

 そういえば以前、井口本人を前に彼女のことをどう思うのかと、クラスメイト達から揶揄われたことがある。俊太は馬鹿正直に、可愛いし優しい。付き合ってほしいくらいだと、面と向かって告げたことがあった。

 じっと見詰められ、急に恥ずかしくなって視線を逸らしてしまった。彼女の顔をまともに見ることができず、すごすごと俊太は退散していった。

『桂木は井口のことが好きらしい』

 あっという間に広まった。みんな知っている。

 結局、あれから一言も話すことなく、俊太はクラスメイト達と一緒に彼女を見送った。


 * * *


 慌ただしく廊下を走る音が聞こえてくると、扉が勢いよく開かれ強い音が教室に響いた。

「あれ、竹下君?」

 汗だくになった竹下が息を切らして教室を見渡した。

「井口さんは——!?」

「竹下、今頃かよ。もう井口さん、行っちまったぞ!」

「そんな!」

 どうしたら良いんだと右往左往する竹下の手には白い封筒が握られていた。

「何、竹下——それってラブレター?」

「あぁ、そうだ。今日、井口さんに告白しようと思ってたんだ!」

「何やってんだよ!」

「徹夜で文面考えてたら寝坊した!」

「大事な日に寝坊とか!」

 竹下は頭を抱えて落ち込んでいる。

「読んでもらえれば僕の気持ちが伝わるはずなんだ! どうしたら……一体どうしたら……」

「おい、どうするよ」

「誰か足の速いヤツ届けてやれよ」

「陸上部!」

「桂木!」

「——は?」

「桂木なら間に合うだろ!」

 クラスメイトが向ける視線は、もはや脅迫と言い換えても良かった。行ってやれという無言の圧力はとても断れる雰囲気ではなかった。

 ——俺も井口のことが好きだって、ここにいる全員が知っているはず。それなのに竹下のラブレターを俺に届けろというのか!

 俊太は酷いショックを受けた。

「お前ら……マジで言っているのか?」

「頼む、桂木——」


 * * *


 ——走る、走る。——走る

 心がセミのように騒めいていた。

 竹下は立派だと思う。好きだという気持ちを伝えようとしたのだから。

 竹下のラブレターは手触りの良い葉書サイズの白い封筒だった。その真ん中に綺麗な字で『——井口静菜さんへ』と書かれており、それだけで竹下の真剣さが伝わってくるほどであった。

 だが俊太は竹下に謝らないとと思った。気づけばそれは手汗でシワシワになり、文字も滲んで汚くなってしまった。

 真っ青な空には雲一つなく、太陽が存在をこれでもかと主張している。

 学校から駅までは結構な道のりだ。夏の太陽は容赦無く俊太を焼いた、炎天下の中を俊太は走り続けた。

 このまま井口に竹下の手紙を渡しても良いのだろうか?

 そもそも何で俺が手紙を届けなければいけないんだ?

 このクソ暑い中、しんどい思いをして?

 見返りはなんだ? 感謝か?

『——告白が成功しました、桂木のおかげだ。ありがとう!』

 学年一の美男美女のカップルが誕生だ。きっと皆、喜ぶだろう。そして俺だけが惨めな思いをする。

「——やってられるか! 馬鹿らしい!」

 自販機の前で立ち止まり乱暴に小銭を入れた。水分を補給するためにスポーツドリンクのボタンを連打し、落ちてきたそれを取り出した。キャップを捨てて一気に飲み干した。

「……うめぇ! ざまぁ見やがれ!」

 そうだ。間に合わなかったことにすれば良い!

 とんだトバッチリだ。何で俺がこんな暑い中を走らねばならないのだ!

 本来、これは竹下の役目だ。そもそも井口を好きなのは俺も同じ。恋のライバルに大事な手紙を預けるか? ——あぁ、ライバルにすら思われていないのか!

「よくよく考えれば、俺と竹下は友達でも何でもないんだぞ?」

 そんな義理はない。敵に塩を送る必要などない。 

 他人に運命を委ねたあいつの自業自得だ——

 空になったペットボトルをゴミ箱に放り投げる。だがそれはフチに弾かれ軽い音を立てた。

 いっそのこと手紙を読んでしまおうか?

 捨てるなら一緒だ。

 一瞬、そんなことを考え、冷静になる。

 ……流石にそれは人としてどうかと思う。捨てるのはもっとまずい。そんな最低野郎になりたくない。

 あぁ、なら約束は守るべきだ。俺は約束は守る男でありたい!

「——くそ! 結局走らなきゃいけないのかよ!」

 俊太は大きく足を一歩踏み出し、再び走り始めた。


 * * *


 どうやら間に合ったようだ。ホームにちらほらと人が立っている。つまりまだ電車はきていないのだろう。そして井口はキャリーケースをいくつも置いた集団の中にいた。

 一瞬、声をかけるのを躊躇った。ご家族総出でいらっしゃるからだ。

「——井口!」

 彼女の親御さんがいる前で声を掛けると、井口はびっくりした表情でこちらへとやってきた。

「どうしたの桂木君、汗だくじゃない! ここまで走ってきたの?」

 息も絶え絶えに頷くと、彼女は自転車使えば良かったのにと呟いて呆れ顔だった。

 全くその通りである。急ぎなんだから誰か自転車貸してくれよと今になって俊太は肩を落とした。

「それで、わざわざ見送りに来てくれたの? 学校はどうしたの? 授業中でしょ?」

「抜け出してきた。これ——」

 手紙を手渡すと、彼女の弟が声を上げる

「ラブレターじゃん! ヒューヒュー!」

「向こういけ! ごめんね、弟が——えっと……」

「竹下から」

「えっ、竹下君から? 桂木君じゃなくて?」

「俺じゃない。竹下から——」

 彼女はとても複雑そうな顔をして、それを受け取りじっと見詰めた。

「でもどうして桂木くんが……」

「竹下が寝坊して渡せなかったから、俺が変わりに届けにきた」

「足、速いもんね。体育祭のときびっくりした。そっか、わかった。わざわざありがとうね」

「あぁ、これで竹下との約束は果たした。約束を破る男にならずにすんだ」

「約束——?」

「井口、俺はお前のことが好きだ! この気持ちは冗談でも、嘘でもない。もちろんあの時だって本気で——」

「ダメだぞ——!」

「お父さんは黙ってなさい!」

 突然井口父が口を挟んできたが、井口母がそれを制した。

 弟君の顔も凄いことになっている。目と口をいっぱいに広げて、マジかよって顔をしている。

 視線を戻すと彼女は顔を真っ赤にして、どう反応したら良いのか戸惑っていた。

「あぁ、困ったなぁ……」

 一瞬、彼女は家族の方を振り向いた。

 彼女の家族は興味津々で成り行きを見守っている。

 ご家族の印象も大事だと俊太は思ったので、初対面だし挨拶をしておくことにした。

「初めまして、井口さんのクラスメイトの桂木俊太と言います。急にやってきてすいません。今日、自分はお別れを言いに来たのではなく、お付き合いを申込みに来ました!」

「あらあらまあまあ——!」

「マジかよ! こんな乱暴女のどこが良いんだよ!」

「黙れ、ややこしくなるから!」

 まさか彼女の口から命令形が飛び出すとは思ってもおらず、知らない一面に少し興味を抱いた。彼女は何度も転校を繰り返している。だから学校の奴らとは上部だけの付き合いだったのかもしれない。

 知らない彼女をもっと見れるかもしれないと、俊太は井口弟に教えてやることにした。

「井口は転校初日から、彼女にしたい女の子ナンバーワンに輝いている」

「マジかよ!」

「マジマジ。そのラブレターも竹下って奴から預かってきたんだぜ」

「えっ、人のラブレター届けにきたのかよ。良い奴すぎるだろ!」

「良い奴ではないな。ここに来るまでどれだけ捨てようと思ったか。でも引き受けたからにはやっぱり届けようってな。男として筋は通しておきたかった。それだけだよ」

「お、おぉ……やるじゃん」

「で、でも、こんなところで、家族の前で告白だなんて……困る」

「それはごめん。手紙を預かって、ここに来るまで色々考えたんだ。本当にこれで良いのかって。諦めて良いのかって」

「うん」

「ここでさよならじゃなくて、これから——君をもっと知りたいと思ったんだ。だから俺と付き合ってほしい」

「うううっ……ん、でも遠距離だしなぁぁぁ……寂しくなったら絶対桂木君に迷惑がぁぁ……でもあうううぅぅ……」

 だが彼女からは良い返事は得られない。どうやら迷っているようだ。

「静菜、迷うくらいならお友達から始めてみなさい。もしくは貴女が桂木君だったかしら? 彼を立派な男にしてからでも遅くないから」

「お母さん、言い方!」

「ほら、電車来るから早く返事しなさい」

「も、もう! わかった! お友達からで良いなら! その……よろしくお願いします」

 最後は少し恥ずかしそうに答えてくれた——

「まぁ、友達からなら……まぁ、良いだろう。良いお付き合いをしなさい」

「っしゃーーーぁっ!! ありがとうございます!! 井口、ありがとう!!」

 俊太は何度も何度も拳を握りしめた。この喜びを目の前にいる彼女に知って欲しかった。こんなに、こんなに嬉しいことはないと。

 井口弟がこちらにやってきて、同じように拳を握り大きな声で叫んだ。

「竹下ザマァァァ——!!」

 思いっきり彼女に頭を叩かれていた。こうして、桂木俊太と井口静菜との特別な関係が始まった——


 〜終わり〜

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夏の空に叫ぶ どこかのサトウ @sahiri

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