怪談と鬼ごっこ

九十九

怪談と鬼ごっこ


 例えば子供が怪談という脅威に出会った時、武器となるのは何だろうか。

 友達から聞いた噂話に大人に聞いた知恵、無謀な勇気。或いは、大人にはない無垢な心や幼い故の感知能力。そのどれもが正解ではある。

 だが一番の武器と成り得るのは逃げる事である。怪談から逃げ伸びるという行為は、子供達を最も生に近い場所へと押し上げる武器となる。

 逃げるために、立ち向かうために、奇怪な動きをする相手をいなすために。

 地に足を付き蹴り上げるという単純な動作は、一種の武器になる。速さではない、逃げるために必死に走ったと言う行為が大事なのである。

 故に、怪談に出会ったのならば、走ることがそれらから逃れることの出来る優良な一手だ。


 まあ勿論のこと、何時でもは助かりはしないし、逃げる行為すら無駄な時と言うのは存在するのだが、それはそれである。



 立走鈴鹿たてばしりすずかと言う少女は、足はけして早いわけでは無かったが、取り立て生存本能が高い少女であった。

 火事場の馬鹿力とでも言えばいいのか、友人達の中では真ん中くらいの走りをする鈴鹿は、こと危機的状況に於いては誰よりも素早くそしてすばしっこく動ける獣の様な生存本能を持った少女だった。

 その癖、鈴鹿は危機感がひたすらに薄い少女でもあった。

 見るからに暗くて危なそうな井戸を不思議がって軽率に覗き込んだり、誰もが噂する怪談を知らずに「でる」と噂されるドンピシャの時間に尋ねていたり、とにかく危機感が薄い少女でもあった。

 そんな訳で、立走鈴鹿と言う少女が、魑魅魍魎が跋扈する現在の田舎町に於いて、怪談に関わるのは火を見るよりも明らかであった。



 鈴鹿の両親は、幼い娘がそれはもう誰も居ない所に話しかけたり、急に走り出しては数分後にぼろぼろになって帰って来たりするので、毎日、気が気じゃなかった。危ないところに行ってはいけないよと言い聞かせ、常に目を離さず、時にはハーネスを付けて、神へと祈りながら七つまで育て上げて来た。

 だが、そんな両親の健闘虚しく、鈴鹿はすくすく元気に危機感が薄い娘へと成長した。生存本能が高いことだけが唯一の救いだった。


 可愛いながらも、危機感の薄い娘に心配する両親に更なる不安が襲った。娘を見守り続ける事が出来ないと言う不安だ。

 今までは両親や祖父母のいずれかが鈴鹿の傍に居ることが出来ていたので、ある程度、前もって回避することも出来たのだが、そうもいかない事情が出来た。

 避けられない行事、いわゆる小学校の始まりである。

 鈴鹿が通うことになっている学校は、鈴鹿が住む田舎町に於いて唯一の学校であり、また怪談が多い事で有名であった。小中高と一つの大きな敷地の中に存在するので、それはもう色々な怪談が存在した。噂では何かが封印されているのだとも聞く。

 鈴鹿の両親と祖父母は迷いに迷った。いっそのこと引っ越すかと言う話まで出たほどだ。

 だが結局、鈴鹿の「友達とあの学校に行きたい」と言う元気な鶴の一言で、両親達は撃沈したのである。


 まさか鈴鹿の言う友達が魑魅魍魎側に所属する山の怪であるとは露程も思わなかったし、入学して数日で噂の封印を鈴鹿が解くとも思っていなかった。

 今も両親達は何も知らぬままなのが唯一の救いかも知れないと、両親の苦労を知った山の怪がひっそりと溜め息を溢したのは、犬として鈴鹿の家に上がり込むことになった時だった。



「じゃあ、鬼ごっこで決めましょう」

 はつらつとした声で元気に宣言した鈴鹿に、山の怪は大きく溜め息を溢した。今日も今日とて鈴鹿は低い危機管理能力の元、怪談に遭遇し、そうして命の危機に至っている。

 なまじ最初に会った山の怪が気紛れに鬼ごっこを提案し、そうして鈴鹿が勝った時から、この少女は鬼ごっこや駆けっこで勝負をつけたら良いものだと思っている節がある。

 言葉が通じない相手であろうとも分かり易い方法であるし、相手は命やら四肢を狙ってきているので必然的に鬼ごっこになってしまっているので、鈴鹿の怪談と会ったら鬼ごっこをするものと言う誤解は解けないままだ。

「止めときなよ」

「なんで?」

 つい口を出した山の怪に鈴鹿は不思議そうな顔をして首を傾げた。幼少の頃より変わっていない、口をぽかんと開ける癖は鈴鹿を人畜無害そうな小動物に見せる。

「なんでって、お前」

 相手が悪い、とは教えてやらない。いくら付き合いが長くとも、山の怪は山の怪で「怪」であるので、こういう所は口に出さない事が多い。

 代わりに溜め息一つ溢して、山の怪は鈴鹿の相手を見た。首の代わりに炎を頭に付けたそいつは、まさしく学校の怪談の一つの首なしライダーだった。知名度も高ければ、力も強い、ついでにスピード勝負にはめっぽう強い、の三段揃いである。

 既に準備運動を始めた鈴鹿を見て、山の怪はもう一度大きく溜め息を吐いた。


 鈴鹿の隣。首を求めて走り続ける首なしライダーは負けた者の首を狩る、と噂される怪談は、鈴鹿に対して酷く狼狽えた様な態度を取っていた。首から上があったら目を丸くしていたのではないかと言った状態で、手を何度か鈴鹿に向かって上げたり下げたりしている。

 怪談としては有名な首なしに出会った者の多くはすぐさま問答無用で逃げ出すか、或いは、その場で立ちすくみ泣き始めた。前者は首を狩ったし、後者は不成立と言う事で見逃した。

 つまるところ、鈴鹿のような反応の子供は首なしライダーにとって初めてだったのだ。


「準備運動終わりました」

 これから友人と遊ぶかのごとき声で鈴鹿は片手を上げた。競技を始める前の体操選手のような綺麗なフォームと明るい笑顔は、到底この場に似つかわしくは無かった。

 鈴鹿の声で我に返った首なしライダーは、暫く考えるような仕草をした後、自身のバイクへと乗り込んだ。

 そこで。

「あっ、駄目です! ずるっこです!」

 鈴鹿の呑気な声が響いた。山の怪はもう既に何度目かの溜め息を吐く。首なしライダーのライダーたる所以を剥がそうとしている子供がおかしいやら呆れるやらで仕方がない。

 首なしライダーと言う怪談は、首なし姿にバイクで走る故に首なしライダーなのだ。その首なしライダーからバイクを取れば、それは唯の首なしの怪異だ。人間が足を折られて走れないように、怪談だって定義が欠ければ弱まる。知っていて、噂になって、そうして恐れられるから怪談は力を得るのであって、概念を知らない、心底怖がらない相手には中々に弱い。

 首なしライダーは鈴鹿の言葉に従って、律儀にバイクから降りた。鈴鹿の言葉に無い面を食らい、空気に呑まれて降りたのだ。

 呆れて笑う山の怪と、茫然としたまま素直に子供の遊びに付き合う首なしライダー、そうして満足そうに頷いて「じゃあ、はじめましょう」と高らかに宣言する鈴鹿の姿がそこにはあった。


「十、数えて下さいね。あ、一だけ指で数えて貰ってもいいですか?」

 やはり空気に呑まれたままの首なしライダーが無い頭を縦に振ると、頭上の炎が揺らめいた。

 いち。首なしが指を一本立てると、鈴鹿は元気よく走り出した。小学校の頃から変わらない走り方は、運動会やら体育祭では発揮できたことは無いけれど、生き残るための真っ直ぐな走り方だ。勿論、本人は無自覚なのだけれども。

 命の危険の消えた鬼ごっこに山の怪は大きくあくびをしてから眠る姿勢に入り、五を数える間に風のように遠くへ走り逃げた少女に首なしライダーは負けを悟った。

 


 数時間後、鈴鹿の鬼のような体力と生きるための走りを前に、バイクを降りた事によって存在が半減した首なしライダーは降参の白旗を振った。

 今日の鬼ごっこも、「花子さんにだけ一負け」と言う結末を破られずに終わった鈴鹿は、嬉しそうに破顔した。

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