第三話 秋・誘い

男は一人山道を歩いていた。夏も終わり、空気はすっかりと秋のそれに代わっていた。日も暮れかけた薄暗い山道をたった一人、何かに誘われるように歩いている。服装は軽装でハイキングや登山と言った感じは微塵もしない。どちらかと言えば都内のカフェにでも行きそうなラフな服装であった。男は歩く。カバン一つを持ち、布の帽子を目深に被り、微かに息を切らせながら山を登る。それほど標高の高い山ではないが、日の沈みかけた今頃を狙ってわざわざ登る人間もいない。整備された山道を登ると、そこは少し開けた場所に出る。昼間はハイキング客がシートを敷き弁当などを食べるのに丁度良い場所であろう。しかし、日の沈みかけたこの時間帯ではただただうす暗く、昼間の朗らかな雰囲気は微塵もない。

 男は広場の斜面に面した端の方に腰を下ろす。切れた息を整えながら、日が完全に落ちきるのを待っている。男の目は虚空を見つめ、自らの意思など感じられない。何か一つの事に囚われた様に放心している。それから大した時間も経たずに日は完全に沈んでしまった。男は、ゆっくりと立ち上がり、明かり一つない真っ暗な空間、その広場の中央に立つ。持ってきたバックから一つ【珠】を出す。手の平大の赤みがかった【珠】だ。占い師が使うような水晶の珠より少し小ぶり、うっすらと赤見の透けた奇麗な【珠】はまるで、紅葉したもみじを薄く溶かしたような不思議な色をしている。男はそれを自らの掌に載せ、言葉を発する。

「コツコツコツコツ聞こえてくる。遠い音かな近くかな。コツコツコツコツ聞こえてくる。虫の音舞う葉のすれる音。終わりの準備を始めよう。始めるために終わろうか‥‥」

静まり帰った山中に男の声だけが響く。叫ぶわけでもなく、囁く訳でもなく、男の声は山に浸透するように響く。男は言葉を続ける。

「終わりが来るから帰ろうか。ここまで来たから帰ろうか。」

 その言葉に何かが反応をする。男とは距離を取り、しかし、男を囲むように四つの影が現れる。夜の闇より深い影が男を囲むように存在する。男は繰り返す。

「コツコツコツコツ聞こえてくる。遠い音かな近くかな。コツコツコツコツ聞こえてくる。虫の音舞う葉のすれる音。終わりの準備を始めよう。始めるために終わろうか‥‥」

男の言葉に誘われるように、影は不思議な歩みで男に近づく。一歩進むと足を止め、今度は二歩進んでは足を止め、また、一歩進んでは足を止め、二歩進んでは足を止める。言葉に合わせるようにそうして歩き、近づいてくる。男は言葉を続ける。

「終わりが来るから帰ろうか、ここまで来たからやめようか。」

その男の言葉に応えるように四つの影は一斉に応える。男なのか、女なのか、近いのか遠いのか分からない不思議な声で。

【辞めるか行くかは決めはせぬ。辞めるか行くかは決めなさい。】

四つの影達は、問いの返答を待つように男の周りを廻りだす。一歩進んでは止まり、二歩進んではまた止まる。男は応える。

「進むのならば行きましょう。囲むのならば行きましょう。」

男の返答に四つの影達はまた一歩男に近づき、周りを廻る。

【行って戻りは出来はせん。行けば最期の宵の道。】

男は応えを繰り返す。

「進むのならば行きましょう。囲むのならば行きましょう。」

男がそう答える事を知っているかのように影達は一定のリズムでそれに答える。

【それならすぐに連れてこか。望むのならば連れてこか】

男は手に持った【珠】をゆっくりと掲げる。四つの影達はそれに吸い寄せられるように男を飲み込んでいく。男は一瞬我に返る。恐怖に顔が強張る。男は助けを求めるように虚空に手を伸ばす。その手は虚しく空を掻き、四つの影達は男を闇の中へと押し込んでいく。闇より深い闇の空間は、影達の消滅と共に元の山へと戻っていった。山はまた静寂に戻る。何事もなかったように。男が居たであろう場所には奇麗な【珠】が一つ落ちているだけであった。



 「宮本さん。本当にここであってますか?」

神谷は宮本の後を着いていきながらいつも通り文句を垂れている。

「多分な」

そっけなく返す宮本。月刊怪奇ファイル宛に一通のメールが届いたのは三日前であった。いつも通り、四谷にある事務所で次のネタを探していた所にそれが届いた。普段なら見向きもしないような内容であったが、何故かそれを見た宮本はその取材依頼を承諾した。

神谷にはその根拠が分からない。似たような依頼を見た瞬間に断る日もあれば、そのメールのように瞬時に承諾する事もある。宮本曰く、

「本物かどうかは視ればわかる。」

らしい。神谷には一つ気がかりが生まれる。

「また遠出ですね…。」

神谷のデスクの少し先には年がら年中不機嫌な顔をした編集長が座っている。この男の楽しそうに笑った顔を今の今まで見た事がない。経費の関係で圧のこもった笑顔‥‥あれを笑顔と言うのならば幾度となく見てはいる。が、それ以外を見た事がなかった。毎度毎度、取材を始める前に捕まるか、終わった後に捕まるか。すんなりと経費が落ちた事がない気がする。宮本曰く、

「あいつは金にうるさくて嫌いだ。こっちはちゃんと取材をしているんだ。文句を言われる筋合いはない。」

だそうで、そんなに言うのなら、先輩である宮本が先陣を切って何か言ってくれればいいのにと、神谷は思う。今回もまた、肩を掴まれ、事務所の一つ上の階の会議室に呼ばれ、クドクドと説教じみた事を言われるのだろう。小さな会社はこう言う事も仕事の一環に含まれるらしい。さぁ、今回は最初か最後か‥‥どのタイミングで会議室に連れていかれるのか。いささか胃が痛い。

「編集長。三日後にまた県外への取材が入ったんだが、我々は行ってもいいですか?」

神谷は驚いた。編集長とのやり取りをあれほど嫌っていた宮本が、自ら編集長にモノ申すとは。編集長はこちらに目も合わせず、チェック用の別の原稿に目を通したまま、手を振った。

「ありがとうございます。」

何が起きたのか。しかし、なんだ?神谷は軽く混乱する。別に嫌いあってるわけでもないけど、面とむかっては言葉を伝えられない不器用なライバル同士的な感覚は。思春期の親子にも似ている。なんとなく、このやり取りがむず痒い。とりあえず、許可が下りたので、正々堂々と取材に行くことが出来た。

 それから三日が経ち、今、宮本と神谷は山中を歩いている。山中と言っても、ハイキングコースなどがある舗装された道である。

「勘弁してくださいよ。もう、二時間くらい歩き回ってますよ?」

神谷は、カバンからペットボトルのお茶を出し、のどを潤す。無精ひげをなでながら、宮本はあたりを見回している。

「まぁ、そうイライラするな。俺達みたいなのは歩き回ってなんぼだろう?」

神谷もそれはそうなのだろうと思うが、今回は宮本のずさんな計画であるようにも感じる。

「そりゃそうなんですけど、目的の場所位しっかり調べてから動きましょうよ。」

神谷の言葉を気持ち半分に聞き、宮本は面倒くさそうに応える。

「大丈夫だ。調べてある。」

宮本が「ほら…」と視線を送る。その先には一人の女が立っていた。見た目は30代半ばを過ぎたくらいの細身の女性。柿色のコートが良く似合う、OL風の女性である。名を新条真理子と言う。

新条真理子は、宮本達とは別のルートで来たらしく、二つの道が交差する広場の入り口付近に立っていた。

「あの‥‥」

少しの沈黙の後、新条真理子が宮本達に声をかける。

「あ、どうも、ご連絡くださいました‥‥」

宮本の問いに少しほっとしたように、

「はい、新条真理子です。」

宮本は懐から名刺を出し、新条真理子に渡す。

「どうも、月刊怪奇ファイルの宮本と…」

「あ、アシスタントの神谷です。すいません。大分お待たせしてしまったみたいで。」

女は、待たされた事に怒るでもなく、むしろ穏やかな笑顔と少し困惑した表情を浮かべながら答える。

「いえ‥‥こちらこそわかりにくい場所を待ち合わせにしてしまって‥‥すみませんでした。」

神谷は、新条真理子の発言を聞き、呆れながら、宮本を見る。

「ほらぁ、宮本さんがしっかり調べてこないから。」

新条真理子は宮本をフォローするように微笑み、。

「でも、ここでお会いできてよかったです。」

と返した。

神谷の頭には小さな疑問が浮かぶ。それを察した新条真理子はすまなそうに言葉を続ける。

「待ち合わせ場所は‥…その‥…もう少し向こうの喫茶店だったものですから‥…」

神谷の顔が瞬時に青くなり、新条真理子に謝罪をする。

「す、すいません!!ちょっ、宮本さん何が大丈夫なんですか!!」

焦っている神谷とは対照的に宮本は顔色一つ変えることなく、少し、眉間にしわを寄せながら枯れ葉の敷かれた山肌や、むき出しになった木々を眺めている。

「必ず会えると信じていました。すいません。先にちょっと現場を見てみたくて。」

宮本は、自らの無精ひげをなでながら、新条真理子の方を向いた。

「また適当な事を‥‥」

神谷が申し訳なさそうに新条真理子に視線を送る。新条真理子はその視線を受け取ることなく、宮本を見ている。表情が心なしか硬くなったように神谷は感じた。

「‥…良く‥‥ここが現場だってわかりましたね。」

宮本はその不愛想な表情のまま、

「勘です。」

と答えた。今回の宮本は何かおおざっぱすぎるようにも感じるが、いつも通りにも感じる。神谷はまた、色々と気を使う。

「‥…えっ、ここが現場なんですか?」

現場なら現場だと言ってくれればいいのに‥…同じチームの唯一無二のパートナーなのになんで初見の依頼者と同じ反応をしなくてはならないのか、何なら、この依頼者の方が何か知っているじゃないか。最近は良く置いていかれるなぁ、やめてほしいなぁ。と神谷は思う。

「詳しい現場は口で説明するのは難しかったものでお会いしてからと思っていまして‥‥」

神谷はさっきから頭痛持ちのように眉間にしわを寄せながら辺りを見ている宮本に気づく。

「宮本さん、また受信してたんですか?」

宮本は、周りを見渡しながら応える。

「この近くに来てからな。」

色々な事が切なくなり、神谷はそっと言葉を落とす。

「言ってくださいよ‥…」

なぜ、神谷は凹んでいるのか、宮本は分からなかったが深く考えたところで大した理由はないだろうと考えるのをやめた。

「どうもいつもと違う感覚でね。すまなかった。」

神谷は宮本の言葉を受け、自らの心が少し晴れるような感覚を得る。隣でポカンとしている新条真理子にまた微かな優越感を取り戻す。

「ああ、すいません。この宮本と言うのは色々な声を聴いたり、感じたり、視えたり‥‥まぁ、特殊な人間なんです。変な奴です。」

新条真理子は、神谷の雑な説明に分かったような分からないような不思議な表情を浮かべるのがやっとだった。

「先輩を捕まえて、その紹介はないだろう。まぁ、簡単に言うと変な奴です。」

宮本が珍しく神谷に乗っかった。珍しい事ではあるが、訂正が面倒臭かっただけのようにも思える。神谷は元気を取り戻し、カメラと録音用のボイスレコーダーを用意する。

「じゃぁ、本題に入りますか。」

神谷は宮本に視線を送る。宮本もそれを了承し、新条真理子は、二人のやり取りを見てから空気を換えるように深呼吸をする。

「はい…簡単に言うと‥‥私の彼氏が失踪してしまって‥‥」

新条真理子の表情が変わる。彼女の返答に神谷は微かな違和感を持つ。それが何なのかはまだわかりはしない。神谷は彼女の表情をカメラに収める。

「御多分に漏れず、警察に行っても相手にされなかった。」

宮本が新条真理子の言葉を続ける。

「はい。結婚している訳でもないですし、ご家族から届け出もないものですから。」

神谷も相槌を打つ。

「なんとも歯がゆいですね。」

新条真理子は、宮本達の視線を逸らす様に動く。神谷は思う。ああ、この人の発言は最初から用意されているものなのだと。

「何もないならいいんです。私の事が嫌いなって、距離を取りたくなったのならそれでいいんです。‥‥ただ‥‥あまりにも‥…」

新条真理子は言葉を濁す。まるで、最初からそう決めていたように。下手な芝居ではないと思う。もし、自分が同じ立場になったのなら同じような表情になるだろうし、話し方もそうなるであろう。ほんの少し、ほんの少しだけ、彼女の言葉に違和感を感じる。

「【過去に体験した】経緯が似すぎていると?」

宮本の言葉に女は一呼吸置き、そっと視線を送る。神谷は車の中で読んだメールを思い出す。

「メールを読ませて頂きました。新条さん、過去に妹さんを【消された】のですよね?これは‥‥どういった事なんですか?」

新条真理子は、十分に間を取った後、少し怖がった表情を見せる。

「【存在自体】がなかったことになってしまったのです。」

神谷と宮本が目を合わせる。

「存在自体‥‥ですか?」

神谷は言葉を置くように質問をする。

「はい、私には二つ離れた妹がいました。あの日、私達は学校で知ったちょっとした遊びを家でやっていたのです。」

女の言葉は時間を戻す。まだ、高校生だった新条真理子が最初に体験したあの頃へ。



仲の良い姉妹であった。共働きだった両親の事もあり、幼少の頃は何処に行くにも一緒だった。私は妹の美咲をかわいがり、妹は姉の私を慕っていた。いつからだろう。その仲の良い姉妹が表向きになってしまったのは‥‥。妹は変らずに慕ってくれている。でも、私は妹が大嫌いだ。

「お姉ちゃんお姉ちゃん。学校で超怖い奴聞いてきた。」

うきうきと帰ってくる二つ下の中学に通う妹の美咲がカバンを置くなり、私の部屋に飛び込んでくる。

「また、くだらない遊びでしょ?お姉ちゃん勉強あるから邪魔しないで。」

ペンを握る手に力が入る。一足先に帰宅し、自分の部屋で勉強をしていた私は机の上の教科書を見ながら、感情を悟られぬように声のトーンを少し上げてから応える。そして私は、笑顔を作ってから美咲の方へ振り向く。

「違うんだって!今回のは超本物臭い。」

にこにこと楽しそうに話す妹に合わせ、こちらも笑って返す。なんでだろうか…この子の事をいつしか憎むようになってしまった。居なくなればいいと思ってしまう。何をされたわけでもなく、日々、共に過ごしていくうちに一緒に居る事がストレスとなっていく。自分でもうっすらとは分かっている。よくある理由だとも思う。きっと私はこの妹に嫉妬しているのだ。前向きで、明るく、人懐っこい。失敗をしても笑いに変え、気が付けば許されている。両親や周りに居る大人からいつも褒められるのは妹の美咲だった。面と向かって言われたことはないが、ある時に気づいてしまった。苦労して勉強して、そこそこの点をテストで取った私に両親はもっと頑張りなさいと声をかけ、勉強も禄にせず、低い点を取った妹は、前回よりも点が良かったという理由で褒められていた。そんな小さな繰り返しが、大好きだった妹を嫌悪するものへと変えて行ったのだと思う。頭では分かっている。だから私は演じるのだ。妹の事が大好きな姉を。

「本当にあんたはそう言うのすきだねぇ。」

真理子は全てを飲み込んで、笑顔で返す。

「何かね、今回のは今までと違うの。言葉遊びって言うらしいんだけどね。」

くだらない。早く出て行け。

「はいはい、わかったわかった。でも、本当に勉強もしなくちゃいけないから。一回だけ付き合ってあげる。」

あんたとは違うんだよ。こっちは親に認めてもらうために必死に努力しなきゃいけないんだ。

「やったぁ!でも、お姉ちゃんもこう言うの好きでしょ?」

怒りや憎しみで言葉に詰まる。それらすべてを飲み込んで、私は笑顔で答える。

「まぁね。」

美咲は、説明を始める。中学校で流行っているレベルの下らないままごと。

「今回のはね、友達の親戚の友達の子がこれやって失踪しちゃったんだって。」

ほら、くだらない。

「また関係性遠いね。で?何やるの?」

妹はカバンから赤みがかった奇麗な【珠】を取り出す。紅葉したもみじを薄く伸ばしたような透き通った赤。とても奇麗な【珠】であった。

「うんとね、この珠を持って‥‥」

美咲が【珠】に触れた瞬間から周りの空気が変わる。重いような滑っとしたような空間が瞬時に広がっていったような‥‥そんな感覚であった。美咲はその【珠】を手にのせ、ぼんやりとした口調で説明を続ける。

「その珠はなに?」

私の問いには反応しない。

「教えてもらった言葉をね‥…」

まるで催眠術にでもかかったようにとろとろとした口調になる美咲を見て、私は何か得体のしれない恐怖に襲われる。

「その珠はどうしたの?ねぇ?」

強めに問いかけても、反応はない。

「唱えていくの。そうしたらね‥‥」

目もうつろになり、さっきまであんなにはしゃいでいた美咲とはまったくもって別人である。私は必死に止めようとする。

「やめよう、ねぇ美咲、それなんか危ないよ。」

美咲には私の言葉は聞こえていないようだった。まるで、美咲ではなく、手のひらに載った珠に支配されてしまったように、美咲は何かを唱えだした。

「コツコツコツコツ聞こえてくる。遠い音かな近くかな。コツコツコツコツ聞こえてくる。虫の音、舞う葉の擦れる音・・・・・」

空気が変わるのが分かった。珠を持った時よりもより深く、濃い何かが空間を埋める。私は叫んでいた。

「ダメぇぇ!それ以上は危ないから!美咲!」

「終わりの準備を始めよう。始めるために終わろうか。」

一瞬、周りの空気が押しつぶされるように重くのしかかってきたような感じがする。部屋の四方には黒い影のようなものが四つ現れる。

「美咲‥…これは‥‥?」

恐怖で動けない私は、絞り出すように声を出す。美咲は続ける。

「終わりが来るから帰ろうか。ここまで来たから辞めようか。」

その言葉に呼応するように影達は不思議な歩き方で美咲へと近づきながら応える。

【辞めるか行くかは決めはせぬ。辞めるか行くかは決めなさい。】

低くくぐもった四つの声は、一つに重なり美咲へと距離を詰める。一歩進み、止まり、二歩進む。それを繰り返し、美咲と私を囲むように影達は周りを廻りだす。

「‥‥やめて‥‥美咲…視えないの?ねぇ?出て行って!なんなのよあんた達は!」

私は近くにあったカバンを投げつける。投げたかばんは影達を通り抜け、壁に当たる音がする。影達は美咲の返答を待つようにその不思議な歩き方で、周りを廻る。

「進むのならば行きましょう。囲むのならば行きましょう。」

美咲の答えに反応を示す。

【行って戻りは出来はせぬ。行けば最期の宵の道。】

私は精一杯叫んだ。

「こたえちゃだめぇぇぇぇぇぇ」



時は戻る。山中。宮本と神谷は新条真理子の経緯を聞いていた。

「‥…それ以来妹さんは?」

神谷は息を呑みながら新条真理子に問う。真理子は思い出話のように話を続ける。

「えぇ…黒い影が覆いかぶさるのを私は見ていました。美咲には見えていなかったみたい。美咲を力ずくでも引きずり出せばよかった‥‥なのに‥‥私は体が動かなかった。怖かった…私は叫ぶことしかできなかった。」

神谷は思う。壮絶な体験をしたものだと。この体験は恐らくは本当の事だろう。宮本ほどではないが、さすがに直に会って話を聞けばそれが本当か嘘なのかくらいは分かる気がする。カメラを構え、神谷は質問をする。

「ご両親は?」

新条真理子は静かにその問いに答える。

「家は共働きだったので親はその日遅くに帰ってきました。私は自分の部屋で動くこともできずに…ずっと座り込んでいました。帰宅した両親は暗い部屋で怯えている私を見て、びっくりしていました。私は、震えながら、さっき起きた事を話したんです。でも、両親の反応は意外なものでした。二人は私を慰めながら‥…あんた寝ぼけてるの?美咲ってどこの子?お友達?‥‥って‥…」

ファインダー越しに新条真理子を見ていた神谷は、一瞬背筋に冷たいものが走る。気づかれないようにファインダーから目を外す。この人、今笑った。まるで妹が消えた事が嬉しい事のように、宮本にも、そしてカメラを覗いている神谷にも気づかれないような角度で一瞬‥‥。たまたま少し横顔が見えた。やはりこの人は何かを隠している。神谷は確信する。新条真理子は話を続ける。

「‥‥何を言っているのだろう…って最初は思いました。妹の事が伝わらない。‥こんなことあります?その日の朝まで一緒に居た妹の事がまるで最初からなかったかのように‥‥」

神谷は、写真に新条真理子を抑えながら、質問をする。

「でも、ほら、家族なら写真とか」

新条真理子は、少し興奮したように声を荒げる。

「全部見ましたよ!両親が質の悪い悪戯をしているのかって、家中のアルバムだったり、…そう‥妹の部屋も‥‥押し入れになってました。妹の部屋は使わなくなったものや、季節のモノの炬燵とか‥…そんなものが仕舞われていたんです。埃も被って…」

新条真理子は深く息を吸い、自らを落ち着かせて、最後の言葉をそっと吐いた。

「今でも忘れませんよ‥‥さっきまでそこに居たものの痕跡が一切なくなっているあの光景を‥‥」

新条真理子が一通り話し終わる。返す言葉もなく静かな時間が流れた。山間を抜ける風が、地面に溜まった落ち葉を流す。かさかさと言う音だけが聞こえてくる。

「秋に連れていかれましたか‥‥」

暫しの沈黙を破ったのは宮本だった。宮本は、新条真理子と距離を取りながら、言葉をつづけた。

「昔から秋と言う季節は終わりの始まりとも、始まりの終わりとも呼ばれています。今まで青々と茂っていた草木が枯れ落ち、冬の始まりに備える。はたまた、冬を越え、新しい息吹のために一度その生を終える。秋とはそういった季節なのです。」

神谷は一度、宮本の言葉を飲み込む。しかし、心から漏れ出た声は音声となり吐き出される。

「ああ、先輩の悪い癖だ。言っている事が良く分からない。」

宮本はいつも通り、神谷の発言を奇麗に聞き流す。

「新条さんからメールを頂いてから色々調べさせて貰いました。あなた…近所では頭のおかしい人で有名らしいですね。」

宮本はまっすぐに新条真理子を見据える。

「ちょっ‥‥」

面と向かって言う言葉ではない。神谷の制止も虚しく、辺りを重い空気が支配する。

「貴方も‥‥私を信じてくれないのですか?」

新条真理子は悲しそうに宮本を見つめる。

「それはそうでしょう。」

宮本の言葉に見てわかる程に新条真理子は落胆する。神谷は、彼女が嘘を言っているようには思えなかった。何かしらの違和感は抱きつつも、彼女の発言を神谷も信じている。これは嘘だったのか‥‥。神谷の頭の中はグルグルと回る。が、宮本は言葉を続けた。

「皆の記憶から奇麗に消えた妹さんを唯一知っている人物なのですから。」

「‥…と言う事は‥‥」

神谷も新条真理子も宮本の言葉の続きを待つ。宮本のたった一言で自分の真実が揺らいでしまった事になんとも情けないなと思う。やはり、新条真理子と同じ立ち位置だと少し悔しくなった。

「妹の美咲さんは実在していました。」

宮本の言葉に新条真理子も嬉しそうに反応する。

「信じて…くださるのですか?」

神谷は一つの疑問を抱く。

「‥‥いました‥‥と言うのは‥‥?」

宮本は、自らの居る場所を確認するように数歩歩き、一枚の落ち葉を拾う。

「‥‥あなたは秋に好かれてしまったのです。」

「秋に…好かれる…と言うのは…」

宮本は自分のペースで一言一言を新条真理子に言葉を置いていく。

「妹さんが連れていかれたあの日、貴方は何を見ましたか?」

新条真理子はその置かれた言葉を拾い上げる。

「黒い影と‥‥美咲の持っていた‥‥奇麗な珠」

「秋の衆‥‥その名の通り、貴方の妹さんや彼氏さんを連れて行った影達です。彼らの世界とこちらの世界を繋ぐモノ‥‥思いの珠と書いて【思珠】(ししゅ)と呼びます。」

神谷の頭には数か月前の山の出来事と、先日の取材を思い出す。。あれにも【衆】と言う字が使われていた。読み方は【おおい】やそのまま【衆】という字がついていた。何か関係があるのか‥‥。

何かを考えている神谷に気づき、宮本が珍しく神谷に説明をする。

「少し前に出会った【おおい】や【山廻の衆】と似たような存在ではある。【衆】と言う字は山のモノを表す隠語みたいな役割もある。山の怪異の原因にその名をつける事が多かったらしい。今回の奴らとは広い意味では同じ奴らだが、細かく分けるとまた別の怪異になる。」

せっかく説明をしてくれたのだが、神谷は残念なことに深く理解を示すことはできなかった。

「はぁ…」

神谷はなんとも気の抜けた返事をするのがやっとであった。

「まぁいい。後で話してやる。」

「はい。すいません。しかし、宮本さんのその情報源本当にすごいっすね。いつか俺もつれてってください。」

「蛇の道は蛇。いつかな。お前にはまだ早い。」

宮本は新条真理子に向き直り、微かに怒気をはらめて言葉を落とす。

「そして、今回失踪したのは、彼氏さんではありませんよね?」

新条真理子が一瞬固まったのが分かる。表情はそのままだ、しかし、一瞬だけ、体に力が入った事を宮本は見逃さない。感づかれた事を悟った新条真理子はそのまま、息を深く吐くように宮本に問いかける。

「どこまで‥‥知っているのですか?」

微かに新条真理子の口角が上がる。宮本は応える。

「私達を【生贄】にしようとしている所まで…ですか。」

「何それ怖い!」

神谷は反射的に反応してしまったが、明らかに浮いてしまった。新条真理子は悪びれるでもなく、淡々と気持ちを吐露した。

「生贄だなんてとんでもない‥‥ただ、連れて帰って来てほしいだけです。美咲を。」

虚空を向いたまま新条真理子は応える。少し冷たい秋の風が宮本達の頬をなでる。

宮本は、鋭い視線のまま言葉を放つ。

「とてもお辛かったのですね。美咲さんを連れていかれてから、貴方は頭のおかしい人として、人生を歩んできた。美咲さんの生還は貴方がまともだという証明になる。」

新条真理子は悲しそうな表情で、宮本を見る。宮本はその表情を険しい表情で見返す。

「でも、真意はちがいますよね?」

お互いの探り合いは三人しかいない空間をヒリ付かせる。その緊張を解くようにあえて力を抜いて新条真理子は語りだす。

「…最初はね‥‥美咲の事だけを考えていたんです。でもね、だんだんつらくなっちゃぅって。美咲の事を忘れて、皆に合わせて、あの子は最初からいなかった。そう言えばまともに見られるんです。病院にも連れていかれました。私はおかしくない。段々とその思いの方が強くなって‥…」

宮本は視線を外さない。

「でもあなたは妹さんの事昔から‥‥」

宮本の言葉が途中で詰まる。宮本は思う。これ以上は踏み込んではいけない。この女は危険だと。新条真理子は宮本の言わんとすること察し、口の端だけを軽く上げた笑顔で、聞き直す。

「昔から‥‥なんです?」

この女のペースに巻き込まれるのは危険だ。宮本の本能と経験がそう伝える。宮本は視線をそらし、このやり取りの終わりを探していた。

「‥‥なんでもありません。残念ですが、新条さん。もう、これは私達オカルト記者の仕事ではありません。他をあたってください。」

その様子を見て、神谷は思う。本当に珍しく、宮本が引いたと。それと同時に編集長の顔が浮かぶ。

「ちょっと待って下さい。何か色々興味深いじゃないですか。この取材落としたら…」

神谷が口を挟む。このまま帰ったら、また編集長との子競り合いになる。それを制するように、宮本は静かな口調で神谷の名を呼ぶ。

「神谷君。我々の世界には決して越えちゃいけない一線がある。力量を見間違うな。連れていかれたいのか。」

この三年間、色々と危ない目にあってきた。つい先日だって中々危険な取材だった。むしろ安全な取材など今までなかったではないかと神谷は思う。その宮本が止める‥‥今回は何かが違うのだと神谷も納得をする。

「あなた方は、彼の事を覚えているんですか?」

新条真理子の唐突な質問に体が強張る。さっきまでとは少し、雰囲気が変わったように思えたからだ。宮本は冷静に返す。

「恐らくは連れていかれた新条さんの『彼氏』さんの事ですか?残念ながら私達は覚えていません。ただ…どうやら同業者だったと言う事は間違いなさそうです。」

「良く‥‥ご存じで…。」

新条真理子は笑う。まるで、巣を張り、獲物が来るのを待っていた蜘蛛のごとし。彼女にしてみれば、宮本と神谷は既に巣に捕まった羽虫同然なのだろう。

「知りはしません…ただ…」

宮本はこめかみにてを当て、少し苦しそうな表情を浮かべる。

「ただ‥そこに映っているのですよ。あなたがここで、彼にさせた事が‥‥」

宮本の目には映る。遠い過去ではない。男の最期が鮮明に映る。



三十代半ばのわりにチャラチャラとした風体の男が、カメラで適当に被写体を写す。

「へぇ~。超すげぇ。なにこの女」

人を小ばかにするのが常のようなしゃべり方で、常にタバコの匂いがまとわりついている。男は笑いながら写真を何枚か撮る。新条真理子は、写真を撮られながら手品のように綺麗な【珠】を出現させる。

「名にその玉バンバン出てくんの?それ売れるんじゃねぇ?」

タバコをせわしく吸いながら、煙をしゃべりながらダダ漏らす。笑っている時に少し見える歯はヤニで真黒くなり、何本か抜け落ちている。そのせいなのか、口の締まりは悪く、癖のように唾をすする音が聞こえる。

「無限にというわけではありません。強く願うといつからか…」

新条真理子の答えに、手を叩き大笑いをする。笑いすぎて、その締まりのない口からまた唾液が落ちる。

「どんな手品か知らねぇけどさぁ。まさかその手品見せるために俺、呼んだとかまじでやめてよ?『怪異玉産み女』なんて、昭和の見世物小屋じゃねぇんだから。幾らうちみたいなマイナー雑誌でも使えねぇよ。」

男は咥えていたタバコを地面に捨てると、すぐに新しい煙草に火をつけた。何か金になる事か、それとも自分の快楽を満たす事か、男の目がやらしく新条真理子を値踏みする。

「はい…この珠を…」

新条真理子は男のすぐ隣で、珠を差し出す。いつの間に隣に来たのか感じることができなかった男は少し驚く。新条真理子からは女特有の少し甘いような良い匂いがする。男はこの後の方向を決めるように目じりの下がった笑顔でその【珠】を受け取ろうとする。

「気持ち悪ぃな…触って大丈夫なのかよ?」

新条真理子はにこやかにうなずく。男は得体の知らないモノを触るように最初は恐る恐る【珠】を受け取っていたが、自らの掌に珠が収まった瞬間、男の意識はぼやけていく。

「綺麗だな…この珠…」

新条真理子はトロンとした目つきで、【珠】を愛でている男の顔をゆっくりと触る。

「貴方もオカルト記者なら、異世界に興味はありませんか?」

新条真理子の声が脳内に響く。男はゆっくりとうなずく。

「ああ…いいかもな…それなら…編集長に…どやされずに…」

新条真理子は名残惜しそうに男の顔をなでていた手を放し、自らもそっと距離をとる。

「じゃぁ、あれを呼んで…」

男はうつろな目でそのやり方を聞く。

「…どうやって?…」

新条真理子は優しく誘う。

「珠を持てば…頭に流れてくるはずよ…」

男は【珠】を胸の前に出し。頭に流れた言葉を口にする。

「コツコツコツコツ・・・・」



「神谷君!その珠に触れるなぁ!!」

宮本の罵声が山に響く。宮本がこの山で起きた事象を覗いている間に、新条真理子は神谷の懐に入り、自らの作業を進める。

「クソッ」

宮本が気づいた頃には【珠】は神谷の掌へと収まっていた。ぼんやりとした虚ろな目で【珠】に魅せられている神谷がいる。

「何ですか…急に怒鳴って・・・・綺麗な珠だ・・・・」

「その珠を捨てなさい!」

宮本の言葉は神谷には通じない。

「えぇ…いやだなぁ…この珠を…捨てたくないなぁ…」

うっとりと【珠】を眺めている神谷の顔を優しくなでながら、新条真理子は神谷の耳元で囁く。

「さぁ、頭に流れる言葉を口に出して・・・・」

新条真理子は名残惜しそうに神谷から離れる。力ずくでも止めなければと思う宮本だが、あたりの空気は何倍もの重力をはらんだように体は重く、頭は破裂しそうなほどの痛みを増す。

「唱えるなあぁ!神谷ぁ!」

宮本は叫ぶことしかできない。神谷はぼんやりと【珠】を見つめ、ゆっくりと口を開く。

「コツコツコツコツ聞こえてくる。遠い音かな近くかな。コツコツコツコツ聞こえてくる。虫の音、舞う葉の擦れる音。終わりの準備を始めよう。始めるために終わろうか・・・・」

宮本は、激しい頭痛の中に何かに気づく。

「そうか…そうだったのか…。」

神谷の言葉に呼応して、辺りはより深い闇を生み出していく。

「終わりが来るから帰ろうか。ここまで来たから辞めようか。」

神谷の言葉に呼ばれるように、黒い影が四つ、中空に出現する。影たちは地面に降り立つと、不思議な歩みで神谷の方へ歩き出す。一歩進んでは止まり、また二歩進んでは止まる。少しづつ、距離を詰める。その様子を嬉しそうに新条真理子は眺めている。新条真理子は湧き上がる喜びを必死に抑えるように、優しく言葉を紡ぐ。

「さぁ、繰り返して…もうすぐ、もうすぐあなたも行けるわよ。」

神谷は言われるままに言葉を繰り返す。

「コツコツコツコツ聞こえてくる。遠い音かな近くかな。コツコツコツコツ聞こえてくる。虫の音、舞う葉の擦れる音。終わりの準備を始めよう。始めるために終わろうか…」

体が鉛の様に重い。宮本は何とか振り絞るように神谷に叫ぶ。

「神谷ぁぁぁ!目を覚ませぇぇ」

新条真理子は微笑む。ここまで来たらもう戻れないことを知っているから…彼女は口が裂けんばかりにあふれ出る喜びのまなざしで神谷を見る。

「終わりが来るから帰ろうか。ここまで来たから辞めようか。」

神谷の最後の言葉に、宮本は力を振り絞る。

「クソッ一か八かだ!」

宮本は動かない腕を無理やりに上げ、神谷持っている【珠】の上に自らの掌をかぶせる。それと同時に先ほどの問いを影たちが返す。

【辞めるか行くかは決めはせぬ。辞めるか行くかは決めなさい。】

【珠】は宮本と言う異物を吐き出さんとするように拒絶する。宮本は意識が飛びそうになりながらも、気を集中させ、息を整えようと試みる。神谷の口は最後の言葉を紡ぐ。

「進むのならば行きましょう。囲むのならば行きましょう。」

最後の言葉を新条真理子は待っていた。これで、お終い。影たちはいつものようにこう答える。

【言って戻りはできはせん。行けば最期の宵の道。】

新条真理子は声にならぬ声で笑う。さようなら、よく知らぬ記者の者たちよ。今更止めることなどできはしない。あの【珠】に触れれば、結末は決まっているのだから。

「ならば私は行きませぬ。それなら私は行きませぬ。」

宮本の声が響く。新条真理子は何が起きたのか理解できぬ様子で黒い影に囲まれた二人を見ていた。

【ならば誰かを置いていけ、代わりになるもの置いていけ。】

初めて聞いた。影たちは普段と違う言葉をしゃべる。それがどう言う結末になるかわかりはしないが、新条真理子の胸がざわざわと嫌な予感を告げる。

「われらの隣におりますは、われらの代わりになる人ぞ。」

宮本の声が異様に透き通って聞こえた。神谷と宮本に向かっていた黒い影は一斉に方向を変える。

【それならすぐに連れてこか。望むのならば連れてこか。】

あの独特な歩みは、新条真理子の方向へ、一歩進んでは止まり、また二歩進んでは止まり、確実に近づいてくる。新条真理子は動揺した。何が起きているか理解ができぬまま、黒い影達はこちらに向かってくる。

「違うだろ…くるな!私じゃない!来るなぁぁぁぁ!珠はあちらぞ!やめろぉぉぉぉ」

黒い影に完全に飲まれた新条真理子は叫ぶ。最後の抵抗に幾度となく空をつかむ手が見える。宮本は、神谷の手から【珠】をつかみ、もう片方の手で印を結ぶ。

「この珠映りし思い人、秋の季節に散りぬれば、今宵の道は寂寂足らんことを…」

言葉の結びと合わせ、宮本の手の中の【珠】を高く掲げる。ちょうど、思珠に影達と新条真理子の姿が映り込む。影達は答える。

【うれしや今宵の帰り道。うれしや今宵の帰り道。】

闇よりも暗い空間が開かれ、押し込まれるように誘われるように新条真理子を飲み込んでいく。影達の隙間からは恐怖で固まった新条真理子の顔がのぞく。

「離し…て…私は…私はただ…なんで私が・・・・」

最期に何を伝えたかったのかは誰にもわからない。恐怖に怯えた新条真理子の悲痛の叫びとともに闇の中へとのまれ、消えていった。

山は静寂に戻る。珠の魔力は消え、元の時間の夕景が広がる。時折吹く風は少し冷たさを含み、もうすぐ夜が来る事を教えてくれているようだった。

宮本大きく息を吐き、宮本はボーっと突っ立っている神谷を思いっきりローキックで蹴飛ばし、自らも落ち葉の敷き詰められた地面に倒れこんだ。

「痛い!酷い!ん?あれ?どうしたんですか?」

寝起きの様な顔で、宮本に蹴られた足を摩りながら辺りを見回している神谷。

「だからお前にはまだ教えられないんだよ。このバカ。」

神谷は何で怒られているかわからないまま、まだ、キョロキョロと辺りを見回している。

「腹減った。帰るぞ。」

「…はい…ん?あれ?新条さんは?」

宮本は起き上がり、落ち葉を払う。

「そんな人間はいなかった。」

ポカンと放心した神谷の顔を見て、ため息を一つ。宮本は言葉を続ける。

「まだ気付かないのか?あれも怪異の一つだ。【秋の衆】には必ず呼び込みをする役割のもの【誘い】(いざない)と言うやつがいる。あの女は【誘い】だ。」

神谷は少し放心した後に、飛び跳ねながら驚く。

「えっ!あれも幽霊だったんですか!うそ!」

反応が一々大きい神谷を見て、呆れ半分、無事でよかったと安堵半分、宮本は複雑な表情になる。それを悟られぬように来た道を戻る。

「ちょっと、待ってくださいよ!」

慌てた神谷は宮本の後を追う。

「最初から【誘い】だったかは分からない。妹を誘ってしまった事が引き金になったのか・・はたまた、最初から妹を・・・・まぁ、ここから先は推測だ。考えるだけ無駄だ。」

神谷はいまいち納得しきれない顔をしながら間抜けに息を吐く。

「はぁ…」

宮本は疲れたことを神谷に悟られぬように精いっぱい普通に歩く。

「ったく…一応対処法聞いといてよかったよ。」

神谷は宮本の言葉に再び興味を示す。

「なんすか?そのオカルト仙人みたいな情報源は!俺にも合わせてくださいよ!」

足を前に出す度、ザクザクと落ち葉の音が聞こえる。はしゃぐ神谷に今一度、蹴りを入れたいと思うが、宮本の体はもう、ヘトヘトであった。

「お前にはまだ早い。さぁ、東京まで帰るぞ。俺は疲れた!運転頼むわ。」

車のキーを神谷に投げつける。神谷はそれをワタワタと広う。

「ちょっ、こんな落ち葉のところで鍵なくしたらどうすんすか!って嘘でしょ?一人でっすか?ねぇ?途中で変わりましょうよぉぉぉ」

神谷は宮本の後を追う。宮本は面倒くさそうにそれを見る。二人が山を下り、駐車場に着いた時には辺りはすっかりと暗くなってしまった。宮本は車に乗り込むと秒で眠りにつく。神谷は一人ぶつぶつと言いながら、車を出し東京の事務所へと車を走らせた。


       完


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