疾走狂騒曲【KAC20212】

冬野ゆな

第1話

 私の街には怪異が居た。


 都市伝説において、走っているのはババアと相場が決まっている。

 とかく妖怪と都市伝説においてはババアとさえ付けておけばいいような風潮があるとしか思えない。

 しかしその怪異においては、ババアかどうかすらも定かではなかった。


 なにしろ速い。

 あっという間にランニング中の若い女性を追い越し、追いかけっこをしている小学生を抜き去っていく。ひったくりを追いかける若い男性巡査を抜き去ったあとには、そのひったくり犯をも抜いて走り去ったこともある。ちなみにそのときは、思わず驚いて絶句したひったくり犯がうっかり足を止めたことで捕まったので、若干の語り草になっている。

 そうかと思えば、走る怪異は市で行われるマラソン大会にまで出没した。何かの大会だか、オリンピックだかの走者を決めるための結構重要なマラソンだったと思う。そいつは最終走者を含めた一団を華麗に抜き去っていったあと、中盤を走る人々を抜き去り、知らぬ間に四位、三位、二位、一位とあっという間に抜き去って、更にはペースメーカーとして走っていた黒人男性をも簡単に抜いていった。

 しかも、地元民でもない外国人選手が一位でフィニッシュしたせいか、だいぶ困惑していた。


「私の前に誰かが走っていた気がしたのですが……」


 喜びの中にそんな言葉を載せた。

 映像を確認すると、常に後ろ姿だけが映っていたので、いることはいたらしい。

 ともかくそんなことが一度だけならず二度三度と続いてしまったので、あそこの市でマラソン大会が行われると、常に黒い人影が一位になるとまで噂になった。とにかくあいつは誰なんだといろいろなところから問い合わせが殺到した結果、「あれは目立ちたがりの一般人なので気にしないでくれ」ということで統一されてしまった。もう役所のほうも面倒臭くなったのだろう。


 ともかく私たちが認識できるのは、抜き去っていった後のその黒い後ろ姿だけである。

 そうなると、正体が気になるのが人間だ。一部の小学生はターボ婆などと呼びはしたものの、その顔を見たわけではない。学校では、お婆さんかどうかもよくわからない人をババアと呼ぶのはやめましょう、というトンチンカンな指導がなされた。

 ちなみに「抜かれると死ぬ」などという根拠の無い話が出てきたものの、走っているとなんでもかんでも抜き去っていくので、いつの間にか「抜き返すと死ぬ」ことになっていた。

 そもそもなにゆえ走っているのか誰にもわからない。


 しかし、言ってしまえば「実際に会える怪異」であるところの、この走る怪異は次第に有名になっていった。


 まず、この怪異の走りに挑戦しようという猛者が現れた。

 マラソン好きの一般人から、わざわざ海外から挑戦しに来る者までいた。

 一時期などYourTuberがネタにしはじめ、ことごとく負けていった。ちなみに都市伝説系のチャンネルでもちゃんと取り上げられていたので、分類としては一応都市伝説らしい。


 そうなると黙っていないのが街の人間だ。

 これ幸いと「疾走者まんじゅう」や「都市伝説の街」などというよくわからない土産物やありふれた町おこしをはじめだし、あちこちでそんなものが氾濫した。これがまた売れるのだから輪をかけてよくわからなかった。

 ともかく小さな町なので、なにかしらの変化が欲しかったのかもしれない。

 いち住民からすればいったいこの騒ぎはなんなんだという気持ちしか湧いてこなかったが、その他の住民からすれば担ぎ上げるだけの意味はあったのかもしれない。あれよあれよといううちに、小さな町は謎の都市伝説「疾走者」によって話題になった。

 ちなみに暇なテレビ局までやってきて、ちょっとしたお祭り騒ぎになった。

 ネットに至ってはイラスト投稿サイトで美少女化されたことで、海外のほうでも微妙に人気を博した。それとは別でイラストが作られ、「走る御守り」としていろいろなところで使われ出した。


 しかしそれほどの騒ぎになっても、結局くだんの怪異がどんな顔をしているのか、何故走るのか、そもそも何の理由があってこの街に出るのか、まったくわからなかった。

 中には街の歴史を紐解こうなんてところもあったが、徒労に終わったようだった。


 人の話題は移ろいやすいもの。

 やがてその顔を見ることに人々が疲れ始めると、それこそ走るように、サーッと人が引いていった。後に残ったのは「疾走者の街」などという若干意味不明な町おこしの残骸のみだった。

 こんなことで一躍有名になっても地元民としても困惑するだけなので、良かったといえば良かったのだが。


 本当の意味で残ったのは、「これはいったい何だったのだろう」という感覚だけである。

 一通りの騒動が終わったあとで、私は何気なく兄に尋ねてみたことがある。


「この話、どう思う?」


 兄は至極どうでもいいというような顔をした。


「奴はそもそも走っているわけではないのではないか?」

「根拠は?」

「奴は常に、走っているものを抜き去っていく。つまり走る怪異ではなく、抜き去っていく怪異なのだ。そんなものに走りで勝とうなんてのが間違いのもとだ」


 なるほど、と私は思った。

 つまり我々は走らされたのではなく――踊らされた、というわけだ。

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疾走狂騒曲【KAC20212】 冬野ゆな @unknown_winter

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