人生のスケジュール

トト

人生のスケジュール

 こんなに走るのはいつぶりだろう。


 中学校のスポーツテスト、みなが一秒の差に一喜一憂する中、私はすでに全力を出さず、平均タイムが出れば良しという力の出し方をしていたような気がする。


『全力を出せ』


 全力とはなんだ?


 無駄に力を使って、もしもその後、学校に不審者が入り込み走って逃げなればならないような事態が起きたらどうするのだ。

 私はいついかなる時も先のまた先のことまで考えて生きているのだ。


 朝は目覚まし時計が鳴る1分前には必ず目が覚める。

 そして決まった時間に決まった順序で支度を整えると、自転車にまたがり会社へ通勤する。


 電車はダメだ、近くの路線はよく朝夕遅延する。

 それにひきかえ自転車はいい、一応万が一を考えて、朝礼の30分前には着くように家を出てこと5年、まだ一度も会社に遅れたことはない。


 今日もきっかりいつもの時間に家を出て、いつもの時間に会社に着き、自分の机の周りを綺麗に掃除し、前日までの資料に目を通し、今日やるべき仕事のスケジュールを見直す。

 始業時間ぴったしに仕事をはじめ、終業時間には終わる。そんないつもと変わらない一日になるはずだった。



「部長、すみません。緊急事態のため、午後休を申請したいのですがよろしいでしょうか」


 よろしいもなにも、午後にやろうと思っていた仕事は全て午前中に終わらせた、部下への指示もすでに済ませてある。

 会議の段取りも普段から急な体調不良などの事態に備えて、数人で誰でも代わりに進行ができるよう教えてきた。

 なので午後私がいなくなっても、今日会社が困ることはもう何もない。

 寧ろ私に払うはずの午後の分の給料が減った分利益が増えるはずだ。


 私は部長の許可をもらうと、もう一度、急遽変わった午後のスケジュールと、午前中までに終わらせた仕事と会議のことを再度部下と打ち合わせたのち、お昼を告げるベルと共に会社を後にした。


 しかし人生とはおかしなもので、ここまで完璧に全てのことを進めてきたはずなのに、一度狂いだした歯車は、その後のすべての歯車を少しづつ狂わせていくようだった。


 今朝空気圧をチャックして問題はなかったはずの自転車がパンクしていた。

 少しづつ抜けたのだろう押せばかえってくるあの弾力が今は全く感じられない、ただのゴムの塊になっていた。


 私はチラリと時計を見るとすぐに予定を変更して、電車を乗るために駅に向かって歩き出した。

 しかし駅に着く前に私は次なる試練に顔を曇らせる。

 駅から逆流してくる沢山の人。

 駅前のタクシー乗り場もバス乗り場も長い列ができている。


 事情を聞くまでもない、私はすぐに携帯の地図アプリを立ち上げると、目的地までの経路を徒歩に変更する。


 もともとは自転車で行ける距離だったので、歩いていけない距離じゃない。

 少し、いやだいぶ遅くなるが、私の完璧な予定を狂わせたのは相手側だ。

 遅くなっても文句は言えまい、逆に怒りたいのは私のほうだ。


 私は人であふれる駅に背を向けると、目的地に向かってゆっくりと歩き出した。



 ゼイゼイと肩で息をする。

 毎日下ろし立てのような綺麗なスーツに袖を通し、そして一日着ていたとはおもえはいほど綺麗なままそれを脱ぐ。しかし今彼が来ているスーツのズボンは、内側からの汗でしっとりと肌に張り付き、途中で脱いだ上着は、邪魔だとばかりにカバンに無理やり押し込められたまま、半分飛び出した状態で見るも無残な姿をさらしている。

 会社に入って5年、汗を吸ったことのないワイシャツも、今はかすかに下着が透けて見えそうだ。


 別に急ぐ必要などないのに、自分でもわからない感情に突き動かされるように気が付いたら走っていた。

 目的地を目の前にしてようやく我に返る。そうして大きく息を吐くと。そのままいつもの冷静さを思い出すように数回深呼吸する。

 カバンに押し込んである上着をパンパンとはたきサッと上に羽織る。

 多少皺がついてしまったことは、このさい目をつぶろう。

 途中息苦しさで緩めたネクタイをしっかりいつもと同じようにキュと結びなおす。

 乱れた髪を常備していたくしで丁寧に整えると、さっきまで肩で息をしていた男とは思えないほど、スッと背筋を伸ばす。

 まだいくらか早い鼓動が落ち着くのを待ってから、男はその扉を開けた。


「どういうことだ、予定日よりだいぶ早いじゃないか」


 扉を開けると同時にそう言った。


「そうね、臨月は明日からなのに、あなたに似たのねきっと」


 そう言って、男の妻がコロコロと鈴を転がすように笑った。

 その胸には生まれたばかりの赤ん坊が抱かれている。


「なら仕方ない」


 男はそういうと、そっと赤ん坊の顔をのぞき込む。


「眠っているのか?」

「今ちょうど眠ったところよ」

「私がわざわざ予定を変えてきてやったというのに──いつ起きるんだ?」

「そんなのわからないわ」

「わからないのか……」

「えぇ、わからないわ」


 きっとこの先の人生のスケジュールは、こうしてこの子によって何度も狂わされていくのだろう。

 でもそれはきっと幸せな予定変更。

 いつ目を覚ますかわからない、予定の立てれないそれを待つために、男は妻のベッドの横の椅子に静かに腰をおろしたのだった。

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人生のスケジュール トト @toto_kitakaze

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