Who Is Runner ?

ラクリエード

Who Is Runner ?

 おもく、おもく、空に蓋をするのは黒灰色の雲。

 天気予報いわく、間もなく激しい雨が降るだろうと告げていた。

 そんな雲の下で、目の前にどんとたたずむ、重厚な扉をコン、コンと叩けば、ギィと蝶番が奏でるきしみ。


「おぅ、今日も来たのかい」


 隙間から顔を出すのは、いつもの親父。

 こんな天気に真面目なこったなぁ、と扉の内側へと通しつつため息をついてはいるが、中には整備された、広い、広いグラウンドがある。人が何万人、何十万人と詰められようとも自在に広さの変わる舞台だ。もちろん観客席には人っ子一人いなくて、しんと静まり返っている。


「いつも通りだが、どんくらいやるんだ?」


 暗雲の立ち込める上空を切り取る、どこまでも広がっている景色を見渡していると、背後で扉を閉めつつそう問うてくる。


 分からない。けど気が済むまで。


「それまたいつも通りだな? ま、好きなようにやれよ。道具はいつで貸し出してやるからな」


 普段聞き慣れない単語に、なんだそれはと振り返ってみると、親父の脇にはずらりと並ぶものがあった。白から始まり紫で終わる、並んで虹色をなしている石灰の線を引くラインマーカー、インクに万力、レンズ、あるいは彼の身長をゆうにこえるメモリのついた棒なんてものもある。

 いつ用意したのか聞いてみれば、あるのを思い出したんだよ、と苦笑いを浮かべている。


「全部、使えるぜ。なんたって、確認したからな!」


 それは、長年ここの管理人としてどうなのだろうか。しかし何でもない一言でヘソを曲げ、ここを使えなくなるのはこちらとしても困るので、胸を張る彼への軽口はしまっておこう。

 よし、走ろう。無意識のうちに、全身に力が込められる。




 上半身を気持ち前に傾け、遅れて、右腿を上げれば膝が曲がり、足は宙へ浮く。

 左のふくらはぎを伸ばして、真っ白な地面を蹴る。

 すると全身は前へと飛び出し、慌てて勢いを殺そうと右足が着地する。

 我も負けんと左膝が持ち上がりライバルをリードする。

 だが着地してしまえば、しめたと言わんばかりに右がほくそ笑みスピードを上げる。

 それらをよそに、あるいはライバルなのか、遠目に見守るのはピンと背筋を伸ばした手。

 頑張ってるな、と対面の相手を眺めているのか、同列の相手から離れたいのか。

 ばらばらな彼らは一体となって、大地を蹴り、無限のグラウンドを独占する。

 タッタッタッタッ。行く当てもなく、真直ぐと。

 真白に足跡をつけて、汚して、思うがままに。

 サアァァ――

 降り始めたのであろう外の世界のことなど知ったことではない。

 高鳴る心臓に任せて、駆ける。

 ただ一心不乱に、あるはずのないゴールを目指して。

 黙々と、通った場所の隣を、上を、下を。

 まだだ、まだだ、まだだ――

 濡れることなく、真っ白だった世界を、どんどん、どんどん、靴跡で汚していく。




 小走りになりながら親父のところに戻ると、パイプ椅子に座っていた親父はもそもそとクラッカーを口にしながら顔を上げた。


「今日もすごい走ったな。終わりにするかい?」


 降り続けている雨の下、うるさいくらいにバクバクと早鐘を打つ心臓のために小走りを続けつつ答える。


 うん、終わりにする。


 そうかい、と答えた彼は、隣のパイプ椅子に置いてあった水を一口して、どっこらせと立ち上がる。


「もし、こいつらを使わねぇってなんなら、次はしまっとくが、どうだ?」


 グラウンドに、こちらに近づく親父は道具を指さしながら尋ねる。


 使わないと思う。


 折角、引っ張り出したのになぁ、といわんばかりの表情を浮かべると、彼は白に踏み込んだ。


「じゃ、こいつをきれいにすっか。後始末は俺が全部やっとくからよ」


 だがにやりとした。その脇を通りぬけ、落ち着いてきた身体のペースを落として、歩き始める。ゆっくりと、ゆっくりと呼吸を整えて、門を開こうと手を伸ばしたが、いまだに降り注ぐ雨に、道を塞がれていることに気が付く。

 傘を貸してくれと要求するために振り返る。するとそこには屈んで、地面に手を伸ばす親父がいる。

 傘なんて持ってないんだ、と息を吸い込んだそのとき、立ち上がる親父の手に従って、足跡まみれのグランドがぐわりと波打ち始める。

 それは地平線の彼方までも見えなくなるまですーっと移動すると、ぺらぺと向こう側から帰ってくるのは紙の端っこだ。足跡をそのままに裏返ったグラウンドの一枚は、皺だらけの手に飛び込んだかと思えば、裏地を見せている次の端っこが皺だらけの手に次々に飛び込む。

 何回も、何十回も、飛び込んでいったグランドの一枚は、厚みを増すことなく親父の手に納まった。また真っ白なグラウンドに戻ったことを確かめ、まだいたのか、と目を丸くする親父に、何をしたのかを尋ねた。


「うん? ああ、おまえの描いた足跡を、こうでもして保管しとかないと、俺が怒られるんだよ。おまえは、別に知らなくても、いいことだよ」


 そう言いつつ見せてくれたのは、手の中に納まったグラウンドの一枚、ではなくイチとゼロが寄り集まった白い塊だ。


「帰るんだろ? また来いよ、カーソル」


 不意に呼ばれた名前に、こちらもまたこう答える。


 また明日もよろしく、エディタ。

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Who Is Runner ? ラクリエード @Racli_ade

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