【KACPRO20212】現実?妄想?それともゲーム?

渡琉兎

現実?妄想?それともゲーム?

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 肩を上下させながら、乱れる呼吸を正そうとする。

 しかし、緊張感がその身を包み込みどうしても呼吸が早くなってしまう。


「……来た」


 無理矢理に呼吸と細くし、青年を追い掛けてきた相手──ゴブリンを窺い見る。


『……ヒャハッ!』


 ──ゾクッ!


 気付かれたわけではない。単にゴブリンが笑い声を漏らしただけだ。

 だが、青年は笑い声を耳にしただけで背筋が凍り、自分の手で口を押さえなければ悲鳴をあげるのではないかと焦りを覚える。


『……ヒャヒャヒャッ! ハハー……ヒヒッ!』


 ペタペタと足音を響かせながら、ゴブリンは青年から離れていった。


「…………行ったか?」

『ヒャッハー!』

「ぬあっ!?」


 人相手なら耳元で呟かれてようやく聞こえるだろう声量だったが、ゴブリンの聴覚は確かに聞き取り弾けたように振り返った。


「っざけんな!」

『ギャヒャヒャー!』


 ゴブリンの手の中には何もない──はずだった。しかし、青年を見つけた途端その手にはナイフが複数握られている。

 顔を青ざめながら青年は走り出し、ゴブリンから逃げようとした。


『ヒャッハー!』

「ぐがあっ!?」


 しかし、ゴブリンがナイフを投擲すると青年の太ももに命中し、そのまま躓き地面に転がってしまう。


「ぁ……ぁぁああああっ! 痛い、痛いいいいぃぃ!」


 何故このような痛みを感じなければいけないのか。

 何故青年はゴブリンに襲われているのか。

 そもそも、ゴブリンとはなんなのか。


「く、来るな……来るなああああぁぁ!」

『……ギャハ!』


 次に手の中に現れたのは、たくさんの突起が付いた棍棒だった。

 下卑た笑みを浮かべながら、ゴブリンは青年の顔面目掛けて棍棒を振り下ろした。


「止めろおおおおおおおお──ごぶゅ」


 頭蓋を砕かれ、視界が真っ赤に染まり、だんだんと暗くなっていく。そんな青年が最後に見たものと言えば──





「──お疲れ様でしたー!」

「……あ、そっか」


 営業スマイルでお疲れ様と言われた青年は、【ゲームオーバー】と真っ赤な文字が浮かんでいるゴーグルを外したところで、自分が話題のVRゲームを体験していた事を今更ながら思い出す。

 思い出したが、ゴブリンに傷つけられた太ももに自然と手が伸びて傷を確認しようとする仕草を見せる。


「……ない、よな」

「うふふ。皆様、同じ仕草をするんですよ?」

「あ! す、すみません、すぐに退きますね!」

「ありがとうございましたー!」


 店員に笑いながらそう言われると、青年は恥ずかしくなり慌ててボックスを出ると店内だというのに走り出して逃げるように外に出て行ってしまった。


「……本当にお気をつけてー」


 あまりに慌てていたせいか、青年は凛とした表情を浮かべた店員の最後の一言を耳にしていなかった。





 外に出た青年は友人を待とうとゲームセンターの外で待っていたのだが、いつまで経っても出てこない。

 十分……二十分……三十分……ゲームをクリアしていたとしても、これほど時間が掛かるものかと疑問を感じた青年は再びゲームセンターの中に入ろうとガードレールから腰を上げた。


『──ヒャハッ!』


 ゾクッと寒気を感じ、背筋が一気に凍る。

 バカな、あり得ないと思い周囲を見渡すが、誰もいない。

 気のせいかと大きく息を吐き出した青年だったが、ふと気付いたことがある。


 ──誰もいないだって?


 バッと顔を上げた青年はもう一度周囲を見渡す。

 間違いなく誰もいない。そう──声の主だけではなく本当に誰もいないのだ。

 通りを歩く人も、大きなビルを出入りする人も、車すら通っていない。

 いつでも逃げ出せるようにと走る準備をしていたのだが――


「……な、なんだってんだ?」

『ヒャッハー!』

「え?」


 ゴブリンは聴覚が敏感だった。

 何気ない一言が耳に入り、ゲームセンターの屋上に身を潜めていたゴブリンが飛び降りてきた。


「ゴ、ゴブリン!? なんで、ここは現実だろうが!」

『……ギャヒャヒャ!』


 まるでVRゲームと同じような展開に青年の冷や汗が全身から噴き出してきた。

 死んでしまう。瞬時に察した青年はその場から走り去ろうとしたのだが――


「ぐがあっ!?」


 突如として鋭い痛みが全身を走り抜ける。

 青年の視線は自然と太ももに向かい、そこで深く突き刺さるナイフが視界に飛び込んでくる。


「……痛い……何なんだ、いったい何なんだよおっ!?」

『……ギャハ!』


 やはりと言うべきか。ゴブリンの手にはいつの間にか棍棒が握られており、地面を転がっている青年の下へゆっくりと歩み寄っていく。そして――


「く、来るな……来るなああああぁぁ!」


 ──グチャ!


 まるでVRゲームの結末と同じように、青年は頭蓋を砕かれてしまう。

 ただし、VRゲームとは違い頭蓋を砕かれた時点で絶命しているのだから【ゲームオーバー】という文字が浮かんでくる事もなく、『お疲れ様でしたー』という店員の声が聞こえてくる事もない。

 ただ、青年の体を貪るゴブリンの咀嚼音が響くだけだった。





「――……よっしゃー! クリアしたぜー!」

「おめでとうございまーす! 攻略方法を掲示したいので、ゲーム内でどのように動いたのかを教えていただけませんか?」


 ゴーグルやシートベルトを外すのを手伝いながら店員が質問を口にする。


「最初は指示通りに走って逃げてたんですけど、途中からどうしようもないって気づいたんでぶん殴りました! めっちゃリアルでしたけど、楽しかったですよ! いやー、さすがは大人気間違いなしってゲーム雑誌が宣伝するだけはありましたよ!」


 興奮が冷めない様子で語っているのは、ちょうどゴブリンに貪られている頃だろう青年の友人だった。


「なるほどー。やはり、走って逃げるだけではダメ、時には立ち止まって戦う事も必要という事ですねー! それではお客様、クリアを記念して現実でのレベルアップが付与されますよー!」

「……は? レ、レベルアップ?」


 友人は突然の意味不明な言葉に首を傾げていた。


「お客様にはこの世界で生きていくための適性がございます! 詳しい説明は店長がいたしますので、こちらへどうぞー!」

「……何かのクリア特典か何かかな? まあ、俺がクリアできたんだし、あいつもいるだろう」


 友人は店員に言われるがままボックスから出ると、示された奥の通路へと歩いていく。


「……あなたは選ばれました。さあ、世界を救う事ができるでしょうか? 現実と異世界が繋がった、新たな現実を」


 凛とした表情で独り言を呟く店員だったが、ゲームセンターの自動ドアが開かれた事でいつもの営業スマイルに早変わりだ。


「いらっしゃいませー!」

「あ、あの、今話題のVRゲームって、こちらであってますか?」

「もちろんです! 今なら並ばずにできますから、ぜひ体験していってくださーい! そうそう、クリアに向けてちょっとした情報もありますが、聞いていかれますかー?」


 店員は今日も営業スマイルを浮かべながら、世界を救う救世主を探しているのだった。

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